☆ キリシタン弾圧の本当の理由 ―――――――――― 2007/04/18

(ST生、神奈川)

遠藤周作の「沈黙」が海外で映画化されます。日本への誤解がまた拡がる懼れ
が。
私が心配しているのは、今年、アカデミー監督賞を受賞したスコセッティ氏が
遠藤周作の小説『沈黙』の映画化に取り組んでいるということです。島原の乱
後のキリシタン弾圧に材をとり、棄教用に使われた穴吊りの刑をクリスチャン
世界の欧米に紹介しつつ、話題性をもとめるつもりらしい。

セプルベダとラス・カラスの論争でも明らかなように、南米では加害者であっ
た宣教師が、戦国時代末期から江戸時代の日本では被害者であったということ
になります。

危険なのは、日本の歴史教育でこのキリシタン問題が、仏教僧との論争、宗教
弾圧、さらに当時の日本を知る情報源としての宣教師の残した文書しかとりあ
げていないことです。

なぜキリシタンが弾圧されたかを知っている日本人はほとんどいません。やは
り日本人はこの問題では悪かった。日本人は残酷な人間で、責められても仕方
がない、ということになってしまう危険性があります。

否、何故弾圧されたか、という点から研究した歴史研究者すらほとんどいませ
んでした。今までのキリシタン研究者は、多くが、自身キリスト教徒かキリシ
タンに同情的な学徒であり、そういった人しか関心を持たない歴史学における
マイナーな分野であったのではないのでしょうか。

そんな先入観を持ったところから、正確かつ実証的な研究が行われるはずがあ
りません。

幸い1990年頃から、当時新進気鋭の歴史学者であった(現在では大家か?)
藤木久志氏等の学者によって、室町時代末期から江戸時代初期の、それまで等
閑に付されていた下級武士や一般庶民の実態に関する研究が進みました。

その結果、キリシタンが弾圧されるにいたった真相が徐々に明らかになってい
きました。

当時の日本社会も支配階層も、宗教に関して非常に寛容であった。ーーー法然
上人の専従念仏が弾圧された平安時代末期や、日蓮が弾圧された鎌倉時代初期
とはまったく違う状況であった。そんな中で、何故キリシタンが秀吉の時代に
なってから弾圧されたのであろうか。

実は、彼らが弾圧された理由は簡単である。

ーーー犯罪行為を行ったからなのである。

南米で原住民に対して行ったような残虐な犯罪行為が、戦国時代で強大な武力
を持った戦国大名のいた当時の日本では行えなかった。しかし、大名が一旦キ
リシタンとなった地域ではやり放題であった。

宇佐八幡宮をはじめ、多くの神社仏閣が破壊された。僧侶、神官、一般信徒が
虐殺された。

なかんづく秀吉が一番問題としたのは、戦国大名同士の戦いで捕虜となった兵
士を、宣教師からの要請により、スペイン、ポルトガルの商人に奴隷として売
り渡すキリシタン大名・武将がいたことである。

戦国時代を通じて総数約10万人。日本は16世紀末、世界最大の奴隷輸出国
であり、東南アジア一帯には日本人奴隷があふれた。

当時、日本全体の覇者となりつつあった秀吉にとって、これは許しがたいこと
であった。同盟関係にあった大友氏に対しても、捕虜を奴隷として売り渡すこ
とを禁じている。

当時のキリシタンたちの倫理観の低きこと斯くの如しである。

神の恩寵により自分だけは救われる。それでよしである。マルクス(乃至レー
ニン・毛沢東)の恩寵により自分だけは救われる、、それでよしとする人たち
の如しである。

処刑された「十三聖人」にしろ、彼らが裁かれたのは、彼らが行った犯罪行為
に対してである。――――しかも、改宗すれば許されるという、とてつもなく
寛容な裁きを受けながら、改宗を拒否したのである。

ーーー改宗したかどうか外からは分かるわけもない。かれらを赦すためのたん
なる口実であったろうに。

にもかかわらず、彼らは自分の意思で改宗を拒否し自殺したのである。日本人
的生真面目さの極地である。まさに、オーム真理教信徒の如し。それを悲劇の
ようにいうのは笑止千万というしかない。

十三人聖人の碑が、破壊もされず観光名所となっていることこそ、日本人の寛
容性の証明である。韓国や中国なら、とっくに破壊されていることであろう。

この宗教的寛容性は徳川氏にも継承された。島原の乱までは、表面的に改宗さ
えすれば赦された。島原の乱は、徳川氏にとって、まさに巨大な軍事的脅威で
あった。ーーー乱の中核は、元秀吉方の小西行長の家臣たちである。

軍事戦略・戦術に強いはずである。この徳川氏支配の存亡に関わる事態になっ
た後から、初めて本格的にキリシタン弾圧が始まった。つまり、最初から最後
まで「キリシタン弾圧」とは宗教弾圧ではなかったのだ。

さらにひとつ重要な、あるいは驚くべき点を付け加えます。

島原の乱後、徳川氏によって島原藩の藩主が任命された。その藩主に対して、
島原の乱後島原の農民たちが、田畑を鹿が荒らすので農民から接収した武器を
返還してくれという要求を出しました。

そこでその藩主は、徳川氏の了解を得た後、三百数十丁の鉄砲を含め、接収し
た武器を返還しました。このことを知った上で、あえて「キリシタン弾圧」を
誰が言いうるのであろうか。

キリシタン弾圧とは狂信的な犯罪者に対してやむを得ず行われたものである。

この事実は、これからの日本が正気の社会であるために、歴史教科書に絶対に
書かれるべきものと確信いたします。

これこそ真に、現代日本の「生氣[せいき]の詩」である。

┌--------「宮崎正弘のコメント」

マイク・ホンダ米連邦下院議員のインチキ決議案はどうやら消えそうですが、
一難去ってまた一難、今度はハリウッド映画が新手ですか!

ところで「島原の乱」の経過を、攻める側、護る側から克明に描いた小説に、
中村彰彦『知恵伊豆に聞け』があります。文春文庫になって新登場、これは面
白い小説ですよ。
http://astore.amazon.co.jp/chinachips-22/250-1722686-2160263

また、キリシタン伴天連を禁教とするに至る最大の理由は、当時のシナ(=明)
からもたらされた或る情報、つまりキリスト教軍団の日本への侵略意図です。

秀吉の朝鮮半島進出は、日本の防衛戦争でした。いま米国が得意げにいう“P
RE EMPTIVE”(予防先制攻撃)です。このような正しい歴史認識は、
保守陣営のあいだにあってさえあまり真剣に論議されていませんが、、、。

└--------
                           = おわり =
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「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
BN http://www.melma.com/backnumber_45206/
HP http://www.nippon-nn.net/miyazaki/

渡部亮次郎のメールマガジン「頂門の一針」
BN http://www.melma.com/backnumber_108241/
HP http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm

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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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