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┃ 自虐史観の枷を解く ―――――――――― by gosakuさん
☆ 私見:韓国・朝鮮論(6) ―――――――――――― 2004/08/06

―― 1990年代に入って興った植民地近代化理論は、

日本時代に対する従来の評価から一歩前進した内容を含んでおり、彼ら(韓国
主流経済学者)は、日本時代に起きた産業化が、当時の朝鮮半島で可能な唯一
かつ最善の発展過程だったという事実を概ねで認めています。

大韓帝国が日本と合邦した二十世紀初頭の状況はといえば、日本はロシアとの
戦争で消耗し、経済状態が良くなかった。こういう場合にはたいてい戦敗国か
ら賠償金を取って経済回復のために投入する。日本の場合、10億円の戦費を
費やし、40万人以上の人的損害をだした末の、かろうじての勝利でしたが、
ロシアからは一銭の賠償金も得られず、そのかわりにサハリンの南半分を譲り
受け、朝鮮を保護国としました。

従って日本は、新しい領土を活用して損害を取り戻さなければならなかった。
その頃日本は、既に台湾を十年間統治し、多くの試行錯誤を繰り返していたの
で、低開発状態にある統治地を育て、なんらかの収益を得るのはそれほど容易
ではないということを良く知っていました。

台湾の場合、統治初年度の1896年だけで、当時の国家予算の11%という
莫大な金を注ぎ込まなければなりませんでした。その後の台湾に支給する補助
金は少しづつ減ってはいきましたが、台湾経営はずっと赤字が続き、1905
年になって、初めて台湾統治地政府は自立経済を達成できました。

台湾統治の初期、日本はサトウキビ栽培を振興して外貨を得ることに力を注い
だが、1920年に、日本で米が足りなくなって米価が上がると、台湾の農民
は稲作に転じ、日本に米を輸出して莫大な利益を得ました。この結果、日本の
農業は打撃を受け、その一方で台湾のサトウキビ生産高が減っていきました。
日本政府は、台湾の米生産を減らして砂糖生産をと奨励しましたが、その転換
は容易には進みませんでした。

―― 朝鮮半島は、

帝国主義時代の植民地という意味では、全く魅力がありませんでした。

たいした地下資源がある訳でもなく、プランテーション農業ができるほど暖か
くもなく、土地はやせている。台湾では暖かい気候を利用して、外貨獲得用に
サトウキビ農業を育成することができましたが、朝鮮の場合には、それさえも
不可能でした。

朝鮮の地主は米と豆を生産し、日本に高い値段で輸出して収益を上げました。
だが当時の日本は、産業革命が始まって間もない農業国でしたから、朝鮮から
の穀物輸入は日本の農業競争力を削ぎ、経済発展に好ましくない影響を与えま
した。

従って、当時の日本にとっての朝鮮は、大陸に進出する橋頭堡である事の他に
は、特別な利点のある地域ではなかったのです。だからこそ日本は朝鮮経済を
速やかに発展させ、日本経済と統合して市場規模を拡大し、長期的に日本と繋
げて「規模の経済」を実現するという、一種の「長期投資」に臨まざるを得な
かったのです。

帝国主義が植民地を獲得しようとした理由は、地下資源や砂糖・ゴムのような
原料を獲得するという一次的な目的が主なる理由でした。しかし、資源や気候
や文化などが日本と似たり寄ったりだった朝鮮は、植民地としては最悪の地域
であったため、日本は朝鮮を、基礎から時間をかけて発展させていくより仕方
がなかったのです。

1953年の日韓会談で、日本側首席代表の久保田貫一郎が
「日本は朝鮮に対し善意をもって臨んだ。日本統治は悪い面ばかりではなかっ
た。例えば禿山が緑の山に変わり、鉄道が敷かれ、港湾が築かれ、水田が非常
に増えた。大蔵省は当時、多い年で2千万円を持ち出した」

ーーという主旨の発言して韓国側の非難の的になりました。

日本帝国は、朝鮮、満州に、製鉄・造船・航空機をはじめとする重工業を中心
に、莫大な投資をして多くの工場を造ったことは良く知られています。例えば
清津・利原・元山・平壌・海洲・二浦などに製鉄所を造り、仁川・鎮南浦・海
洲・郡山・元山・釜山に造船所を造りました。それ以外にも日本窒素・三菱マ
グネシュウム、理研ピストンリング、昭和電工、三井金属アルミなどなど百箇
所を超える工場を造り、今日の工業化の基礎となっています。

合邦当初、工場総数が15箇所しかなかった朝鮮半島には、1935年には、
すでに5千6百35箇所の工場が林立し、工業製品の生産額は、1931年の
不況の真っ只中でさえ16倍、実質13倍も増えたのです。

―― 朝鮮を育ててから食べるための併合ではない。朝鮮は同じ日本なのだ。

1930年代後半から、日本の工業施設の25%は朝鮮に立地し、特に戦時体
制に突入した後は、重工業部門まで移されましたが、これは世界の植民地支配
の歴史に類例のないことでした。

韓国史学の世界的権威、ブルース・カミングスによれば、
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日本による朝鮮経営は、産業を逆行させ農業社会に退行させたイギリスのイン
ド経営と比較してみると、極めて対照的である。植民統治の全期間に亘り朝鮮
半島と日本列島は、経済のみならず政治および文化でもひとつの単位にくくら
れた。
日本は将来、朝鮮半島が独立するとは夢想だにしていなかったため、躊躇する
ことなく朝鮮半島に、とてつもない数の産業施設を建設しました。1930年
代から朝鮮半島に入ったフンナン(興南)の窒素肥料工場、スブン(平安北道)の
水力発電所、チンナンポ(平安南道)の工業団地などは、当時からみても最先端
の重工業産業の施設だったというだけでなく、世界的にも最高水準の施設でし
た。
また日本が、朝鮮の農業生産性向上のために投資した灌漑事業や農業開発事業
も、他の植民地ではいくら探してもみつからないものです。このような投資や
事業を行う植民地経営は、植民地そのものの発展に積極的に役立った。

└──────────

教育面では、6年以上の教育を受けた人は、大韓帝国の末には2.5%に過ぎ
なかったのが、だんだん増えてゆき、1930年代に生まれた人々は78%が
小学校以上の教育を、17%が12年以上の教育を受けました。

このような教育が、近代化の土台となり、さらに朝鮮戦争後の韓国で本格的な
産業化の基盤になったことは、あらためて強調する必要もないでしょう。

―― 韓国人が歴史を解釈するとき、たびたび錯覚することが一つあります。

かつて、中国大陸を統一した諸王朝が、朝鮮を直接統治せず、朝貢を受けなが
ら君臣関係を保っていたのは、朝鮮民族は自主自立精神が強かったことに因る
としていますが、これはそうではなくて、占領する価値もない土地だったから
に過ぎないという理由なのです。

気候が良いわけでも、土地が肥沃なわけでもなく、資源が豊富でもなかったた
めに、あえて直接統治する必要がなかっただけです。
十九世紀末、不凍港を求め続けたロシアと、ロシアの南進を阻まんとした日本
が、軍事的な理由から朝鮮を欲しただけなのです。

日本は、1910年の日韓併合当初から莫大な資金を投入し、鉄道を敷き、車
が通れる道をつくり、土地調査事業を行い、近代的な官僚制度を移植し、学校
を建てて朝鮮人を教育しました。

植民地としては最悪の条件であった三つ、即ち
・気候が温暖でない、
・特別な天然資源がない、
・政治・経済・文化的に、アジアで最も遅れていた、東洋でも類例がないほど
 強い儒教原理主義が根を張った社会、でした。

特に、儒教原理主義を打破して資本主義経済に見合った新思想を普及するには
膨大な労力を必要としました。

「日帝の三十六年」は暗黒ばかりではない、という「正しい歴史認識」を持つ
ことができなければ、韓国人・朝鮮人のアジア史認識は、せいぜい朝鮮半島内
でしか通用しない「恨み辛み史観」でしかなく、いくら「国際化時代」を呼号
してみたところで、

ーー韓国・朝鮮人の「国際化」は、永遠に到来することはないでしょう。

                          =この稿つづく=
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│「私見:韓国・朝鮮論」を著すに際しての参考文献は如下。
│
│・小室直樹−「韓国の悲劇(誰も書かなかった真実)」
│・鈴木英夫−「歴史に見る日本と韓国」
│・呉 善花−「韓国併合への道」
│     −「反日」を捨てる韓国」
│     −「これでは困る韓国(ニューカマー韓国人の対話)」
│     −「恋愛交差点」
│・中村八洋−「歴史を偽造する韓国」
│・朴 泰赫−「醜い韓国人」(われわれは「日帝支配」を叫びすぎる)
│・西尾幹二−「わたしの昭和史1」
│・菅野朋子−「好きになってはいけない国(韓国J−POP世代が見た日本)」
│・黄 文雄−「韓国は日本人がつくった(朝鮮総督府の隠された真実)」
│     −「台湾・朝鮮・満州日本の植民地の真実」
│・伊藤亜人−「もっと知りたい韓国」
│・黒田勝弘−「ソウル烈々(韓国を見つづける珠玉のコラム集)」
│・岩槻泰雄−「韓国・朝鮮と日本人」
│     (韓国・朝鮮人の嫌いな日本人、日本人の嫌いな韓国・朝鮮人)
│・土佐昌樹−「韓国の反日について」
│・秦 郁彦−「慰安婦と戦場の性」
│・金 英作−「韓末ナショナリズムの研究」
│・筒井真樹子「韓国の教科書のなかの日本人」
│・山辺健太郎「日本統治下の朝鮮」
│・金達壽ほか「教科書に書かれた朝鮮」
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