┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
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┃ 重慶熱線 (重慶で見た中国): by 重慶出稼ぎ人のちゅーさん
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│連載を初めて7ヶ月が経ちました。
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│この間読者の皆様には叱咤激励を頂き、OJIN さんにはマゾ的刺激を
│頂きました。
│ここまで来れたのも皆様のお陰です。
│志半ばにして筆を折るのは誠に不本意ですが、一旦ねぐらへ帰ります。
│
│日本へ帰ってからは、随時メールで参加させていただきます。
│オフ会にも、都合がつけば是非参加したいと思っています。
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│末尾ながら皆様のご健康と、益々のご活躍をお祈り申しあげます。
│
│                        <(_ _)ちゅー>
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1−家庭崩壊への道−「国内勤務−1」その4.和装業界

京都は会社の発祥地です。文久元年創業の生糸問屋が前身です。
戦後のナイロン・ブームで一山あてて、株式組織になりました。
だから京都支店の業務は、生糸から和服の製品まで含めた、
総合シルク関連業務でした。

実はわたしは京都生まれの京都育ちですが、いわゆる皆さんがイメージされ
ている京都らしい環境ではありません。

京都人は偏見と差別意識が強く、北へ行くのは上がる、南へ行くのは下がると
いいます。
わたしが生まれ育ったのは、下がるも下がる、羅城門の門外ですから平安京の
時分は、死体が捨てられていた様な地域です。
全国的に有名なものと言えば、東寺とデラックス東寺です。

東寺には子供の頃自転車を乗り入れて、遊んでいました。
当時は拝観料などと言うケチな了見のものはありませんでした。

中学校で、このお寺は正式には教王護国寺と言うことを初めて知りました。
クラス全員が感心........などせず、一斉に笑い出したのです。
それほどに、われわれはこのお寺を馬鹿にしていたのです。
弘法大師には大変失礼なことをしました。

デラックス東寺は、観音様で有名です......知る人ぞ知るストリップ
のメッカです。

もともと東寺劇場と言って、旅回りの芝居をかけていたのが、いつの間にか
ストリップ専門になりました。
真向いに小学校の同級生が住んでいたのですが、高学年になるにつれ、成績
が落ちて行きました。
それでも七浪して医大に受かったですから、その粘り腰は大したものです。

ある週刊誌が全国ストリップのランク付けをしました。
A級からB級へとランクが下がります。
東寺はA級の上をいっていたので、デラックスという
特級の名称を与えられました。

京都には他に伏見劇場がA級伏見に、千中ミュージックがA級千中に
改称しています。(千中:せんなか→千本中立売、せんぼんなかたちうり、
京都人はなかたちゅうりと言ってます、千本通りと中立売通りの交点近くに
あるのです)

京都支店へ出社して驚いたのは、昼食になっても誰一人わたしに声をかけて
くれるものがいなかったことです。
ひとりで昼食をする期間が三ヶ月続きました。げに恐ろしき排他主義です。

わたしの担当は、中国からの絹織物の輸入でした。
主に羽二重という和服の裏地に使用する薄い生地です。
中国語では「電力紡」といいます。

当時は輸入割当枠があり、平方メートルで規制されていました。
だから価格の張る表生地を輸入するほうが、枠を有効に活用出来るのですが、
中国ではろくな表生地が出来なかったのです。
だからおいおい簡単な裏地の輸入になりました。

和装業界は変わったところで、苦労して絹織物を織っている機屋は、
立場が一番弱いのです。
潰し問屋というところが、生地を買って加工します。

そのまま販売することもありますが、主には前売り問屋というところが
販売します。
それも買い取って再販売するのではなく、借りて販売し、売れたものだけ
支払うというまことに横着な商法でした。
おかしなことに、消費者の次に威張るのがこの前売り問屋でした。

和装業者は普通二つの入り口があります。
お客さん用の表口と、仕入れ業者用の裏口です。
これでは「利は元にあり」と言う格言に背きます。
和装業界が不振になったのもむべ成るかなという所でしょう。

京都支店の取引先(潰し問屋)が、前売り問屋を組織して、香港へ旅行に
行くことになりました。
そのアテンドが、こちらに回って来ました。
中国の隣といっても、当時は広東語しか通用しなかったので、横着な客を
終日アテンドするのにはほとほと疲れました。
・
・
・‥疲れたところで、この連載も休止とします。

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2−道で出会った仏と閻魔

仕事を通じて親しい人が出来るでしょうか。わたしの場合は幸いなことに、
京都で沢山の友人、それも年上の人ばかりですが、友人に恵まれました。
今でも年賀状のやりとりをしています。

初めて飛行機に乗ったとき、一滴もアルコールが飲めないのに、わたしが
ウイスキーを注文するのを聞いて、無理矢理ウイスキーを飲んだ人。
勿論すぐに顔は真っ赤か、着陸まで地獄の様な目に遭っていました。

初めて行った香港で、魚入りのおかゆを注文するところが、なぜかお粥と生魚
が別々に出てきて、危うくわたしに生魚を食べさせられるはめになった人。

これも香港で、日式蒸気マッサージに行き、サービスの内容がわからず
右手の親指と人差し指を小さな輪にして、上下に動かして相手の確認を
..取った人。

多士済々、これからもおつき合いをお願いします。

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3−重慶短信

今月初めから、重慶の役所は朝は九時出勤、午後は五時退勤となりました。
昼間の休憩時間は1時間です。
夏は午前八時半出勤、午後は五時退勤ですが、昼は1時間半の休みです。

これは重慶の夏は暑く、夜寝付けないので、昼寝の時間を確保するという
意味です。
今のところ午前九時出勤としているのは、重慶と上海だけだそうです。

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4−外大では教えない中国語

先週号に続いて土地柄を読み込んだ言葉です。

「ィ可和蘇州人〔口少〕架也不願意和寧波人談恋愛」
(Ning4 Ke3 He2 Su1 Zhou1 Ren2 Chao3 Jia4 Ye3 Bu4→2 Yuan4 Yi4
He2 Ning2 Bo1 Ren2 Tan2 Lian4 Ai4)

意:むしろ蘇州の人と言い合いをしても、寧波の人と恋を語りたくない。

蘇州語は耳にやさしく、喧嘩をしても気にならないが、
寧波の言葉は汚く聞こえるので、恋を語る気にもなれない。

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5−おまけ

重慶に住んで一年と10ヶ月が過ぎました。色々ありましたが、概ね楽しい
生活が出来たのは、ひとえに重慶人民のおかげです。
山有り河有りの美しい所.......にはすぐになるでしょう。

しかし南山から見た夜景を、香港と比較するのは無理があります。
もしわたしが香港を知らなければ、そんなものかと思いますが、
4年も住んでいたので、100万ドルの夜景と100万元の夜景の差は
よくわかります。

重慶の夜景が早く1000万元の夜景になるよう、祈ってやみません。

ではまたいつかお会いしましょう。

                           <(_ _)ちゅー>
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┃┃ 読者からのさようならメール。
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┏━━━━━━━━━━ 掲示板へ「サトシ81さん」

ちゅーさんおつかれさまでした!

楽しく読ませてもらっていました。
何か残念ですがどこかでまたお会いできればと思います。
(ハンドルネーム変えないで下さいね。)

では、簡単ですが、御礼とお疲れ様の言葉でした!

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この他にも
「アジアから〜のほうも、楽しみにしていた連載が終わって淋しい..筆者さん
 お疲れさまでした!」
というお便りを頂いています。

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┃┃ (^^) OJIN です(^^)
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ちゅーさん、7ヶ月にわたる連載、本当にお疲れ様でございました!
そして、ありがとうございました。

OJIN にとりましても、ちゅーさんの**にして軽妙な**に翻弄された
苦しく楽しい日々でもございました。

また、
「散髪から二つ引いた」などという珍(チン?)語も
数多く学ばせていただきました。
これで女性の読者が増えたか減ったか..は、
後世歴史家の評を待たねばなりませんが、楽しませていただきました。

爾今共、お便りでの積極的なご援護と、更には尽快なるライターとしての復帰
をよろしくお願いいたします。

本当にありがとうございました。m(__)m

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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 

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