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わたしの主張:賛否何論可希望討論
☆ 敗戦日本の忘れ物(4) ――――――――――――― 2008/12/10
                       by 歯軋りゴマメさん

敗戦に至る迄に統制派独裁体制がやらかした「KY」チョンボは多々あったが

最大のものは、海軍中央部強硬派とつるんでやらかした対英米開戦の決定じゃ
なかろか。陰の御前会議での決定はまぁ脇に置いておくとして、半藤一利氏の
「昭和史」を読むとその「KY」ノーテンキ振りには全く驚かされる。

石油の殆どをアメリカに頼っていた日本が、南方資源の獲得を目指して仏印へ
進出したことは、英米に喧嘩を売るに等しい行為じゃったが、どうやらそうは
思っておらんかったところが「KY」の極みじゃなかろか。

アメリカが石油の対日輸出全面禁止を通告してきたとき「えっ!まさかそこま
で?」と仰天したとのことで、如何に世界情勢に疎かったかということじゃ。

それまでにも、屑鉄の輸出禁止、日本の在米資産凍結を皮切りに、各国におけ
る日本資産の凍結、通商航海条約の打ち切り、など様々のイビリに遭ってきて
いたが、この石油輸出禁止がイビリの総仕上げとなって「石油を止められたら
戦争だよ」ということに相成った次第。で、

たしかに日本は「嵌められた」面がないわけではないが、この「嵌められる」
きっかけは自分で作っており、自分から嵌っていった側面を忘れてはいかんの
じゃなかろか。

アメリカ組は、1940(昭和15)年末頃迄は、日本を本気でぶっ潰す気はな
かったらしく、11月末に「日米国交打開策」を提案してきた。それには、

日中戦争の解決策、アメリカが打ち切った日米通商航海条約についての再検討
等が挙げられており、日米が敵対関係になっている基本的な問題について両国
が意見をぶつけ合って調整しようという内容じゃった。

日本側も大いに乗り気になり、この提案をそのまゝ生かし問題を一気に解決し
ようと、交渉開始のため、海軍大将の野村吉三郎氏を当時欠員だった駐米日本
大使に選び、ーーーこれは近来にない名人事といわれたそうじゃ。

ところが外務省は、その前年に当時外務大臣だった野村氏が外務省の大改革を
やり対英米強硬派を外へ転出させたのを大いに恨んでいて、その野村氏が駐米
大使になるとはトンデモナイ人事とばかり一切協力せず、サボタージュで以っ
てこれを迎えたとのこと。

野村氏が大使に赴任したのは昭和16年の4月1日――――。で、氏が何とか
「日米諒解案」の最終案をまとめて本国へ送り、届いたのが18日。

ところが、日ソ中立条約締結で鼻高々でそっくり返っていた松岡外務大臣は、
「こんな案は陸軍の陰謀だ、我が外務省は独自にやる=俺が自分でやる」とこ
の案を蹴飛ばしたゝめ、折角の名案が空中分解してしまったのじゃ。

野村氏の交渉相手は件のコーデル・ハル長官で、非常に好意的だったとのこと
じゃが、このことにより氏の面目は丸潰れ、長官には非常な対日不信感を抱か
せることになったのじゃなかろか。

松岡外務大臣の舞い上がりは無論トンデモなものじゃが、野村大使に対する外
務省の非協力は、お局サマ根性丸出しのイヤラシさであり「敗戦責任」として
も第一級に相当しよう。

昭和16年6月に、ドイツがソ連に侵攻を開始すると、ドイツの勝利を想定し
て軍上層部は南方資源獲得に乗り出す絶好のチャンスとばかり、御前会議でそ
れを決定すると共に、「本目的達成のため対英米戦を辞せず」と国家としての
戦争決意を公式決定したのじゃ。

で、この決定をドイツやイタリア、ワシントンの大使館に秘密電報で打電した
のじゃが、アメリカは既に日本の外交暗号の解読に成功しており、これらを全
て傍受解読しておったゝめーーー「何〜?対英米戦を辞せずじゃと?ふざけや
がって!」てな具合。

そんなことゝは露知らぬ日本側は、御前会議の決定に基づいて兵を動かした途
端、米側は上記の資産凍結、石油対日輸出の全面禁止の策に打って出、最後の
仕上げが「失礼」は承知の上でのハル・ノートという次第。

こうしてみると「嵌められた」と言って言えなくもなかろが、寧ろ自ら進んで
嵌っていった面のほうが強く、挙句の果てが無残な「敗戦」じゃ。そしてそれ
は、軍部を含めた当時の上層部全体を覆っていた「無責任体制」と「KY」と

その結果のノーテンキに起因していたように思えてならんのじゃが、最大の問
題は、それが60余年経った現在でも依然として引き継がれておることじゃ。

このような内側の大きな問題を、「理性を込めて振り返る」のではなく、

あの戦争の「動機」のみを前面に押し出し「俺達ゃ悪くねぇ、悪いのはアイツ
等だ」と恨みがましく正当化しているだけなのは、敢えて言えば「ガキ」の反
応にしか過ぎんのじゃなかろか。

昨年の「正論」10月号に、「あの戦争を誇りに思って何が悪い!」と題する
座談会記事が掲載されたが、統制派独裁体制のヨイショに終始する、御同様の
反応。

また、少々古いが、小林よしのり氏の”戦争論”も、「敗戦責任」や上記の如
き問題には一切触れずに「ゴーマンかましてよかですか」などと大上段に構え
られても、わしにゃ「ゴマかしてもよかですか」としか聞こえんかった。

こうした発言は、わしにゃどうしても真に検証すべきだった点を覆い隠そうと
するプロパガンダのように思えてならんのじゃ――――。

そして最近物議を醸してる田母神氏の論文も御同様のものじゃ。

氏の論文は、自ら種々検証した結果ではなく、いうなれば「俺達はなにも悪く
ねぇ」派の諸論のみを集めて読み、自分もそう思う、ーーーと結論付けたゞけ
なのじゃなかろか。従って、

「侵略」云々にしても、他のことにしても、「負けた」が故だという、最も重
要な点が一切考慮には入ってきていない――――。戦争において「負ける」こ
とが如何に重大なことか、が分かってないように思えてならんのじゃ。

その「負け」をもたらした最大の要因が、戦争指導部の「無責任体制」と「独
善」と「KY」と、その結果の「ノーテンキ」であったとわしゃ思うとる。

ーーー「敗戦責任」は実に重大なのにも拘らず、その「総括」を60余年もの
間怠っていることが最大の問題じゃなかろうかのう――――。

                           = おわり =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
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 参考文献:
「昭和天皇の謎 神として人として」鹿島f著 新日本出版社
「昭和史」半藤一利著 平凡社

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