☆ 海外で食糧生産を!(下) ―――――――――――― 2009/04/06
by 老玩童 OJIN
ーーーそれは相当の苦労を伴う作業となるでしょう。
しかし、このまま日本でヌクヌクと、高齢者医療制度の世話になりながら生き
永らえて、そんな残りの人生に意味があるでしょうか?
俺は日本の経済成長を牽引してここまで頑張ってきたんだからもういいよ‥‥
それはたしかにそうですけれど、借金まみれの、坂の上の雲を仰ぎ見る希望を
奪い、坂の下に果てしなく広がる沼しか見ることができない状況を、我々の子
や孫に残すような今のような社会にしてしまったのも我々ではありませんか?
男は、死に場所を求めて毎日を生きている、、のではないでしょうか?
生き永らえることに汲々とするようになれば、それは最早男とはいえない、た
だの「生き物」にしか過ぎないのではないでしょうか?
ジャングルを切り拓く中途で、毒蛇に噛まれて命を落とすことがあるかもしれ
ません。或いは引き倒した大木の下に屍をさらすことがあるかもしれません。
それを怖れますか?
わたしはアホなのかもしれませんが、もしもそういう状況の中で死ぬことがで
きたならば、こんな幸せな往生の仕方はない、と思っています。
老醜を曝して、身体中にチューブを取り付けられて、僅かの時間でもこの世に
留まりたいですか?
ーーーそんなふうに生きて、それは生きているということなのでしょうか?
30代、40代、50代前半の方々に呼びかけているのではありません。
スマトラや、カリマンタンや、セレベスに死に場所を定めてみませんか。
平時の開墾物語ではありませんが、戦時中のニューブリテン島(ラバウル)に、
陸軍将兵7万人の完全な自給自足体制を築き上げた今村均将軍の事跡を、参考
にご覧になられて下さい。
┌──────────「国際派日本人養成講座(45)平成10年07月19日」
―― 1.責任をとるとは
今村均将軍は、まさに徹頭徹尾、見事に自らの責任を果たした人である。イン
ドネシアでは、民族独立を目指すスカルノとの友情を貫き、ラバウルでは陸軍
7万人の兵を統率して米軍の攻撃をものともせずに、玉砕も飢えもさせずに終
戦まで持ちこたえ、無事に帰国させた。
戦犯として捕まった部下を救うために、自ら最高責任者として収容所に乗り込
み、一人でも多くの部下を救うべく奮闘した。ーーー帰国後は、部下や遺族の
生活のために奔走した。その姿はマッカーサーをも感動させたのである。
政治家や官僚、企業経営者の責任が問われている現在、責任をとるとはどうい
うことか、今村将軍の生涯を振り返りつつ、考えてみたい。
―― 2.あなた方と日本人とは兄弟です
昭和17年3月1日、今村中将は約4万の兵を率いてジャワに上陸、僅か9日
間の戦闘で、10万のオランダ・イギリス軍を降伏させた。これは、現地人の
絶大な協力の賜[たまもの]である。
たとえば、敵軍は退却時に、舗装道路の両側や中央線に植えられたタマリンド
という喬木を切り倒して日本軍の前進を阻んだ。そこに多数の現地人が現れて
木を取り除くのを助けてくれた。休憩時には椰子の実をふるまってくれた。
そのうちに、長老らしき人物が現れ今村に言った。
┌--------
この国では何百年も昔から「いつか北方から同じ人種が来て我々の自由を取り
戻してくれる」と語り伝えられていますが、あなた方は同じ人種でしょうか。
└--------
今村は答えた。
┌--------
我々日本民族の祖先の中には、この国から船で日本に渡ってきた人々もいるの
です。あなた方と日本人とは兄弟です。我々はあなた方に自由を得させるため
にオランダ軍と戦うのです。
└--------
ジャワ占領後、現地人から、独立の闘士スカルノを獄から救出して欲しいとい
う多数の嘆願書を受けた今村は、スカルノと会い、戦争終結後、インドネシア
がどのような状態になるかは、日本政府とこの国の指導者階級とが決めるべき
事で自分の権限外だが、自分の軍政中はオランダ統治時代よりもよりよい政治
と福祉を、と約束した。
スカルノは、今村の言葉を信じ協力を誓った。
―― 3.住民愛護の軍政方針
今村の軍政方針は、自身が起案した「戦陣訓」の「皇軍の本義に鑑み、仁恕の
心能[よ]く、無辜[むこ=罪のない]の住民を愛護すべし」に則ったものであっ
た。
たとえば、敵が破壊した石油精製施設の復旧に民衆は全力を挙げて日本軍に協
力した。今村は石油価格をオランダ時代の半額とし、民衆は石油が安く使える
と喜んだ。
また、日本では衣料が不足して配給制となり、ジャワで生産される白木綿の大
量輸入を申し入れてきた。しかし、白木綿を取り上げたら、現地人の日常生活
を圧迫し、さらに死者を白木綿で包んで埋葬する彼らの宗教心まで傷つける、
と今村は考えて、日本政府の要求を拒んだ。
今村の融和的な方針は、強圧的な軍政を行うシンガポールの日本軍幹部などか
ら批判を浴びた。しかしその実情を調べに来た政府高官達、軍幹部は「原住民
は全く日本人に親しみを寄せ、オランダ人は敵対を断念し、華僑に至っては日
本人に迎合これつとめており」或いは「治安状況、産業の復旧、軍需物資の調
達において、ジャワの成果がずばぬけて良い」などと報告して今村の軍政を賞
賛した。
―― 4.マッカーサーを諦めさせた堅固な要塞
8ヶ月のジャワでの軍政の後、昭和17年11月、今村は第8方面軍司令官と
してラバウルに向かった。ラバウルはニューギニア島の東のニューブリテン島
にある軍港である。ミッドウェー海戦の敗北を契機に、米軍は反攻を始め、い
ずれここが戦場となる運命であった。
今村は、日本からの海上補給はいつまでも続かないと判断し、現地で自活しつ
つ持久戦を展開する方針を立てた。国内から農事指導班、農具修理班を呼び、
陸稲や野菜の種子を持ち込み、中国人、インド人、インドネシア人などの労務
者4千人を集めた。
今村自ら率先して開墾作業に従事し、昭和20年には一人あたり200坪の耕
地面積を開墾して、陸軍将兵7万人の完全な自給自足体制ができあがった。
昭和18年10月からは、連日400機以上の大編隊の空襲に曝される。今村
は空襲に耐えうる地下大要塞の建設に着手する。完成したのは、幅1.5m、
高さ2.1mの洞窟で、もし一列に並べれば370kmもの長さになる。
15センチ砲までも地下に格納され、レールで移動できるようにされた。合計
5500人もの収容能力のある病院も洞窟内に作られた。昭和20年に入って
からも、猛爆撃は続いたが、地下要塞内ではほとんど被害を受けなくなった。
マッカーサーの参謀達は、「現有勢力でこのような堅固な敵陣地をどうしたら
占領できるか見当がつかない」と投げ出した。マッカーサーは「そんな堅固な
所は占領しないことにしようじゃないか」と言い、空爆を続けるだけで迂回し
て侵攻を続けたのである。
―― 5.敗戦後のご奉公
昭和20年8月16日、今村は電報で受け取った終戦の詔書を部隊長ら約60
名に読んで聞かせ、別辞を述べた。
┌--------
諸君よ、どうか部下の若人たちが失望、落胆しないよう導いてくれ給え。7万
の将兵が汗と脂とでこのような地下要塞を建設し、原始密林を拓いて7千町歩
の自活農園までつくった。この経験、この自信を終始忘れずに、祖国の復興、
各自の発展に活用するよう促してもらいたい。
└--------
敗戦のどさくさで耕地のことなど忘れていた将兵に、すかさず今村から新しい
指令が出た。
┌--------
ラバウル将兵は、今後も現地自活を続け、将来日本が賠償すべき金額を幾分な
りとも軽減することを計る。これは我々の外地における最後のご奉公である。
└--------
今更自活でもあるまい、という気持もあったが、黙々と畑に立つ今村の姿を見
ては、誰も何も言えなかった。
―― 6.祖国の復興に役立つ社会人とするために
そのうちに日本政府の海外部隊引き揚げの案がラジオのニュースで伝わってき
た。ラバウル部隊の引き揚げ完了は、なんと3年半後の昭和24年春になると
いう。
この3年半を、兵士らの教育に使おうと今村は考えた。規律ある生活を維持す
るためには、目標が必要である。また帰国後も生計を立て、祖国の復興に役立
つ社会人となってもらうためには、兵士たちの知識、教養面の低さが障害にな
ると考えた。兵の多くは小学校卒であり、差し当たり中学程度の学識を与える
事を目標にした。
軍の中の教職経験者を集めて、英語や数学などの教師とし、教科書も作成させ
た。和歌や俳句、漢詩などの教養講座も設けた。さらに「かがみ」という謄写
版刷り60頁もの雑誌を発行し、将兵の創作した小説や和歌、俳句、世界情勢
解説や英語講座などを掲載した。
当時、将兵たちはオーストラリア軍の捕虜となり、無報酬で作業をさせられて
いた。これは明確な国際法違反なのだが、将兵たちは不満も忘れて、作業の合
間に教科書や雑誌に読みふけった。
海の外[と]の 陸[くが]に小島に 残る民の 上安かれと ただ祈るなり
海外に残された居留民や将兵らの安危を一心に気づかわれた昭和天皇の御歌で
あるが、これはまた、肉親の無事帰還をただに祈る国民の気持でもあった。
ーーー今村は、7万人の将として自らその祈りに応えていたのである。
└──────────
インドネシアの人口は2億2千万人強(2005年)。中国、インド、米国に次
ぐ世界第4位の人口。大半がマレー系(ジャワ、スンダ等27種族に大別)で、
中国系は約3%。
総人口の約6割が、全国土面積の約7%に過ぎないジャワ島に集中している。
ーーー自虐史観で、かつて侵略した国じゃないか、と思っても、素直にこうし
た事実を信じてでも、どちらでもかまわないではないですか。
どうせ残り少ない、生きられてもあと長くてもたかだか30年かそこいら‥‥
であるならば、自分の残りの人生を、孫子が困らないようにもうひと働き、力
を振るってみようか、と、
一緒に頑張ってみませんか?
ある人は現役で働いていたときの顔を利用して生産物の販路を世界中に求め、
ある人は汗を流して農作業に従事する。女性の参加者があればその得意な分野
で力を振るっていただく。
現地の雇用創出にもなります。
大農場ができれば、肥料その他、諸々の物資を運び込み、生産された農作物を
加工する工場も必要になり倉庫も必要になり、出来上がった産品をインドネシ
ア各地や日本を含む世界各国へ輸送しなければなりません。
病院も必要になります。学校も必要でしょう。様々な施設が必要になります。
老人勢だけでは無理な仕事も多いでしょうから、たくさんの現地青年を雇用し
たり、現地の会社に協力してもらわなければならないでしょう。
地球の人口は毎年8千万人ずつ増加しています。=それだけ食べる口が増えて
いるわけです。かたや、世界の食糧生産量は漸減傾向にあります。ーーー世界
の食糧品価格が上昇していくことは、ちょっと考えれば明々白々です。
当然のことながらこの事業はボランティアではできません。営利を考えて運営
していかなければなりません。最初は細々と、そして苦労の連続でしょうし、
(たぶん)歴史には残らないでしょう。記憶されることもなく埋れていくことに
なるだろうと思います――――。でも、それでもいいではないですか。
私たちは、戦後日本の復興を担ってきました。そして同時に、孫子のためにと
ガムシャラに頑張って、気がついてみれば、坂の下に果てしなく広がる沼しか
見えない世の中にしてしまったのです――――。
ーーーわたしは、指導者にはなれないアホな人間です。
名乗りを上げて頂ける方のご登場を、お待ち申し上げております。
= おわり =
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┃ ┃ 読後アンケート結果。
┗━┛ ◇ なるほどこのとおり! -------------------------------- 35人 (63%)
◇ いいことはいいんだけど ------------------------------ 19人 (34%)
◇ こんなの夢物語だよ〜 -------------------------------- 2人 ( 4%)
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃ ┃ お寄せいただきましたご意見や感想。
┗━┛ ┌──────────「Aruiさん」
OJIN さん、横浜のAruiです。この考えに賛成です。
ですが、私自身は農業に従事したことがありません。販路開拓とか資材の調達
ならなんとかできそうです。
昔、本で、日本の商社がインドネシアで農場開拓、の中で凄い苦労の連続だっ
たのを読みました。大変なんでしょうね。
└──────────
▼
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
現場じゃなくても「販路開拓とか資材の調達」なんかももの凄く必要なことで
す。当メルマガ第一号ライターの藤田健さんがスマトラで農場開拓に従事して
いますが、一人で頑張っているので、販売などの方面では苦労されておられる
ようです。
しかしそれにしても、皆さんの反応が鈍いですね〜〜〜
OJIN は直感型の人間で、考えることはいつも早過ぎるきらいはありますが、
でも、いつも、何年か後には必ず予想したとおりになりました。ーーー早過ぎ
て、事業としてはうまくいかなかったことも多いですが――――。
└──────────
┌──────────「爺さん」
20年前には、このような壮大な理念ではないけれども、
海外で役に立ちたいと思ったことがあったね。
└──────────
▼
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
あいや〜〜〜、爺さん、お久しぶりでございます!♪
20年前というと60代の頃でしょうか。さすが元海軍航空兵は、青雲の志を
忘れず!でございますね〜〜〜
爺さんの回想記
http://chinachips.fc2web.com/repo4/042001.html
http://chinachips.fc2web.com/repo4/042002.html
└──────────
┌──────────「ざるるさん」
初めてコメントいたします。
単純な疑問ですが、この計画、日本では無理なのでしょうか?
「限界集落」なんて名前をつけられてしまった農村地域もありますし、人手も
あるように思うのです。(完全失業率もまた上がったようですし)
経費が高いですか?
└──────────
▼
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
こりゃー、全く逆の視点からの発想でございますね。 OJIN は長く海外で暮ら
しておりませんので、日本の国内事情は浦島太郎なんでございます――――。
日本国内ではどうなんでしょうか? 朧に分かっていることは、農地法の問題
とそれに絡む土地集約化の可否―――当然大規模化して大型農機での作業にし
なければコスト的に外国産に太刀打ちできませんし、
それと、高齢者だけでは無理な仕事もありますから、様々な分野で青年の力を
必要としますので、その人材が確保できるかとか、人件費の高さとか。
遠い海外からは運べない、野菜のようなものを大規模に安く生産するのは可能
かと思います。価格的に中国産に比肩させるのは無理でしょうが、それでもあ
る程度下げることができれば、いま中国から大量に入っている野菜をかなり減
らすことができるのではないかと思います。
└──────────
┌──────────「Hal さん」
老玩童OJINさん、
海外で食糧生産を!(下)も拝見しました。残念ながら、ちょっとラオスのほう
に出かけていましたので、貴提案を見る時間帯が、ちょうど1週間ずれてしま
いましたから、当然アンケートは無効だろうと思いますが、当方の感じた事を
書かせて頂ききます。
今回のお話で述べられた今村均将軍と兵士の皆様の立派な業績は、先号の感想
でも述べましたが、1986〜7年頃に訪れたカリマンタンの奥地の村々でも
確実に語り継がれていました。
その時は、バナナ育成の専門家であるアメリカ人の友人との調査旅行を兼ねた
旅でした。
当方も、指導者になるほどの器量は持ち合わせておりませんが、20数年前に
現地で実感した「ここは世界の食糧庫になる場所だ」という夢を改めて蘇らせ
て頂いた老玩童OJINさんの心意気に、少しでも賛同できればと思います。
先駆者藤田氏の情報もお教え頂ければと思いますが、来月以降に時間を見つけ
て、ぜひ再度カリマンタン島を訪ねてみたいと思います。
└──────────
▼
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
Hal さん、こんにちは!
そうですか、ラオスへ行かれていたんですね。----賛成1票損した----
スマトラやカリマンタンの面積は、それぞれが日本の本州よりも広いですから
やる気になれば本当に「ここは世界の食糧庫になる場所」だと思います。
さらに、もしかすると、アメリカのテキサスではないですけれど、ある日突然
敷地内から石油が噴き出して億万長者!ーーーという幸運だってあり得ないと
はいえません。現にスマトラには大油田が存在するんですからーーー。
ーーーしかし、日本人は確実なものにしか手を出さない。
中国市場が開放された初期の頃、その他の国の企業に対するよりも日本企業に
対しては、かなり有望なオファーが数多く寄せられたそうですが、
まだ計画の前段階とか、海のものとも山のものともという感じのものが多く、
日本企業が適当な対応をしているうちに、他国企業がしっかり喰らいついて、
現実味を帯びてきてから慌てて巻き返しを図るも後の祭り・・・という事例が
多かったと聞きますが、まあ、日本人の国民性なんでしょうから、仕方がない
んでしょうか――――。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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