┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  迷子になったらここ!(^O^)  ━┓
┃
┃ 翁先生的自言自語 ――――― by Wengさん (ML旅日華人信息)
┌──────────────────
│ 閑話:Re: 川島芳子の娘

翁です。

ABCテレビのダダダダーン番組「川島芳子」の後半も、
事実を披露しました。

1948年、川島芳子は死刑を逃れて、
鹿児島県出身の軍人、松本章さんと結婚して、
建国の年に(1949年)娘の暁玲さん(ショウレイ)を生みました。
1953年5月に、松本夫婦は何者かの襲撃を受けて亡くなりました。

暁玲さんは生き残っていて、長年教師をしていて、
今も中国東北部の寒村で元気に生きています。
----------
さて、興味深いのは、
この番組によると、
満州国建国後から、日本軍の暴行にあきれて、
川島芳子は、なんと自分を自責したり、
日本を批判するようになったそうです。

しかし中国の一般常識では、
川島芳子は頑固な親日派で、
中国を同情すたこともなく、
死ぬまで日本に忠誠を尽くしていた人物でしょう。

どっちが真実でしょう。
┌--------
│川島芳子の娘
│
│戦前の満州国建国や、日中戦争にかかわった旧日本軍のスパイで、
│1948年に「売国奴」として北京で処刑された「東洋のマタ・ハリ」、
│川島芳子の娘と名乗る女性が、中国東北部にいることが、15日までに
│分かった。
│
│写真は、川島芳子の娘を名乗る「ショウレイ」さん
│(テレビ制作会社「テレコムスタッフ」提供)
│(時事通信社)17時48分更新
└--------
2002年、日本ABCテレビの記者が、
直接に暁玲さんと暁玲さんの親族、愛新覚羅・連清さんを
採訪していたので、信憑性が高いです。

謎だらけがスパイという職業ですけど、
またいくつかの謎があると思います。

1.極めて危険の環境で、
  日本軍人の松本章さんと川島芳子(金壁輝)さんが、
  1948年〜1953年の長い期間
  なぜ中国に滞在して、結婚して子育て?
  
2.松本さんの中国語は大丈夫か、
  日本軍人と第一売国賊という二人は
  身分がバレる恐れはない?

3.なぜ1953年5月に、松本夫婦は緊急に
  日本に行くことにしました?
  何があった?誰の指令?

4.なぜ日本を目指して松本一家が自宅を離れた瞬間、
  タイミングよく、すぐ暗殺された?
  暗殺者は誰?
  なぜ同行の4歳の暁玲ちゃんを殺さなかった?
  (まともな工作員だったら、そんなヘマを残すはずはない)
  目の前で両親が殺された暁玲ちゃんが、将来、
  証人になれる心配はない?
  
5.なぜ村人が、暁玲ちゃんの一家の身元を熟知しながら、
  中国当局などに通報しなかった?
  しかも危険を顧わずに、両親を失った暁玲ちゃんを養子として育ていた?

6.なぜ暁玲ちゃんが成人したら、
  養父母は彼女に彼女の出身や身元など真実を告げた?
  「第一売国奴の娘」という事実を彼女に告げる意味はなんだ?

愛新覚羅・連清さんが川島芳子のお墓に花束を添えて、
ABCテレビの記者にこう語りました。

「川島芳子を殺したのが日本のマスコミだ。
日本のマスコミは反省すべきだ」と不満。

その根拠は、
「男装の麗人」という日本の小説から、
川島芳子は初めて中国人に注目されて憎まれたのです。
死刑の前、川島芳子は
「デマに生き、デマで死す、これは私の人生だ」
(生于謡言、死于謡言、這就是我的人生)
と、書き残したそうです。
が、
マスコミの責任や小説の責任ではないと私は思います。

1.スパイという職業は神秘的ですから、  
  デマや風説が横行するのは当たり前のことです。

2.戦後、日本の軍国主義が否定されたから、
  元スパイの「プライバシー」を保護する義務も曖昧に
  なったでしょう。

3.「男装の麗人」は原形が川島さんですけど、あくまで日本の小説です。
  中国人(中国当局)が勝手に海外小説のすべての描写を
  真実だと捉えたならば、その責任は中国側にあるはずです。
      
4.文革時代の終わりまで「デマに生き、デマに死す」中国人は
  決して一人や二人ではありません。
  こんな悲劇を防ぐには、
  国民の知的素質とマスコミの健全性に掛かります。

5.充分な調査も裁判もせずに死刑を急いだ当局には、
  落ち度とうか、裏があると言わざるを得ません。
  
まあ、今さら、混乱中だった日本や中国の是々非々を究明するには、
難しいです。  

で、今度ちょっと視点を変えて、
顕舒(川島芳子の本名)公主様を見てみます。
冒険的な試しだから、真似しないほうがいいです。(^_^)

三国時代の貂嬋や、
顕舒と同時代の秋瑾は、
英雄視されているが、
一方、
衰弱の祖国(清)と民族(満)を救うために、
南方反乱軍を阻止するために、
青春と人生を掛けた顕舒は、
逆に売国賊視されています。

「よしこ」の李香蘭は、
日本のために頑張ればいいですが、
「よしこ」の顕舒はあくまで大清の公主様です。

中国王族なりの傲慢や、
「満清復興」の強い意志は、
日本軍の高官や日本情報機関に嫌われて、
しばしば排除され、冷遇されていました。

大村洋は顕舒に
「日本以外に満清を支持する勢力はあるのか、
日本を除いて満清独立はあり得るのか」と
説教した場面もあったほどです。

関東軍が満州国政府の許可も得ずに、
勝手に満州国の国民に暴行を加えるなど、
著しく満州国政府の尊厳を傷付く光景を見て、
顕舒は鬱憤と無力感に襲われます。

三世紀の年月が経て、
大陸を震撼させたヌルハチ騎馬軍団の威光は、
もはや微塵も残らず、瀕死状態の満清の弱い息は、
ただ一人の少女の身に掛かっている惨めさ。

そしてそんな乱世の中で、
革命党勢、地方軍閥勢、日本勢、欧米勢、ロシア勢、
強豪の渦中で、瀕死の祖国(清)を守ろうと、
この少女は力と智慧を尽くし、やれることはすべてやりました。
ヌルハチの意地は多少、
この満清最後の公主様の身に残っているようです。

(さて、顕舒の死刑後の状況をちょっと紹介して、
今度の番組を終わらせていただこうと思います。
今度もご拝見していただいてありがとうございました。)(テレビ番組風)

伝奇的な顕舒は、
1948年の死刑の後にも生きていたことが確認されたのです。
社会主義中国の急速な復興を体験できて、
顕舒はどんな思いでしょうか。
それは満清だけの復興ではなくて、
中華民族全体の復興です。
1953年顕舒夫婦は暗殺されて、
唯一の娘、暁玲さんは生き残っています。

英雄か罪人か、世間の勝手な評価次第ですが、
数十年もの牢獄暮しを送っていた老人の愛新覚羅・連清は、
2002年にも 
     愛新覚羅・顕舒・東珍 公主様
のお墓に花束を供えたのです……
--
Weng

┌─┬───────────────────────────────┘
││お便りで頂きました感想。
└─┘
┌──────────「平民百姓さん」男性@六十代@兵庫 2003/10/17

「川島芳子の娘」を読みました。
しかし、死刑を免れた川島芳子の話は疑問だらけですね。

1.秋瑾は本を読んで少しだけ知っています。
  紹興に秋瑾故居がありました。

2.「よしこ」の李香蘭は、日本のために頑張ればいいです。
   ・・・これはよくわかります。

3.「よしこ」の顕舒はあくまで大清の公主様です。
  ・・・「よしこ」と顕舒の関連がよくわかりません。
      翁先生よかったら教えてください。

・・翁先生の豊富な知識には敬服します。

└──────────
┌──────────「ばぶるすさん」10代@女性 2008/12/30

ホントに娘さんがいたんですかね・・・
ふしぎな女性としかいいようがない川島芳子・・・・

└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 

翁先生的自言自語目次 アジアの街角から目次 CHINACHIPS 総合トップ




SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送