┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━┓
┃
┃ :韓国を見る眼:――――――――――――――― by Bunさん
┃ 「韓国からのPC通信」
―これからの日朝関係(1)― ―――――――――――――― 2002/09/22
2002年9月17日に平壌で行われた日朝首脳会談はさまざまな方面に大き
な衝撃をもたらしたが、あれから連日今後の日朝関係(といっても、日本では
「拉致問題」に矮小化されている)についての報道が氾濫している。
そのような報道も視野に入れつつ、現在までの日朝首脳会談に対する、
私なりのコメントを付しておきたい。
1.国家テロリズムによる被害に対する補償
私の周囲にいる人々の多くは朝鮮政府が拉致を認めたことに対して強い衝撃を
受けている。
私は一昨年の南北首脳会談然り、平壌で首脳会談をやるからには大胆な約束が
取り付けられることを予想していたし、いわゆる「拉致問題」にも進展がある
と思っていたが、金正日国防委員長が「拉致をした」と明言するところまでは
考えていなかった。
(「軍の一部がやった」式の弁明はありうると思っていた)
朝鮮側は「拉致問題」について、この問題の早期解決を図ろうとしたのだろう
が、それと同時に、これにより、朝鮮政府も独裁体制のもとでの犯罪の実態調
査及び被害に対する補償を要求される立場にたたされた。
しかし、その一方で、日本政府も植民地支配を通じて発生した強制連行などの
犯罪に対する補償を要求される立場にある。
ただし、日朝平壌宣言でも明らかなように、日本政府は朝鮮側の要求に対して
「痛切な反省」と「心からのお詫びの気持ち」(決して「謝罪」ではない!)
を表明するかわりに、朝鮮側の請求権を放棄させた。
そのうえで、日本は戦後補償の意味を全く含まない経済協力を実施することに
なった。
つまり、日本政府は、当初から朝鮮人の犯罪被害に対する責任を問われていた
にもかかわらず、その責任を果たすことなく、経済協力供与によって回避した
のである。
ところで、このように自己の責任を果たそうとしない日本政府が「拉致問題」
について朝鮮政府の責任を追及できる資格があるのか・・
というのが私の率直な疑問である。
日本政府関係者(「拉致問題」をプロパガンダした「有識者」どもを含めて)
は口が裂けても言わないだろうが、実のところ、日本政府(外務省に限らず)
は金正日による(自己の関与を否定しながらの)「謝罪」を受け入れること
で、「拉致カード」を切り捨てようとしているのではないだろうか・・という
のが私の憶測である。
数日前の「クローズアップ現代」における外務官僚のインタビュー、及び今日
の「サンデープロジェクト」における小泉首相に随行した「超強行派政治家」
のインタビューを通じて感じられたのは、日本政府はこれ以上朝鮮政府に対し
て「拉致問題」を追及したくないという基本姿勢である。
すなわち、日本政府にとって「拉致カード」はできるだけ日本側に有利なかた
ちで国交正常化交渉をするための手段であり、とにかく交渉を再開させること
が重要で、「拉致問題」が「あんな国家と国交を開くなんてとんでもない」と
いう世論を形成するのはかえって日本政府にとって不都合なのである。
さらに、朝鮮政府としても、自らの「拉致問題」に対する説明責任及び補償を
行わない限り、日本政府の「強制連行」に対する責任を問えない立場にあるこ
とは先述したとおりである。
こう考えると、「強制連行」と、「拉致」という、日本政府と朝鮮政府が抱え
る責任問題について、双方が相手を追及せず、自分の責任を回避するという
「共犯関係」を約束したというのがこれらの問題についての構図であると考え
るべきであろう。
だとすれば、「拉致問題」だけを取り上げて朝鮮政府を糾弾する議論も、「強
制連行」だけを取り上げて日本政府を糾弾する議論も不十分であるし、ともす
るとどちらかの政府の「国益」に奉仕するものになるだろう。
したがって、私は日本政府の「強制連行」に対する責任も、朝鮮政府の「拉
致」に対する責任も、同時に糾弾し、追及する姿勢が正しいと思う。
この二つの問題を結びつけるキーワードは「国家テロリズム」である。
もちろん「強制連行」と「拉致」ではその規模において重大な差があろうが、
その本質はどちらも「国家テロリズム」であり、毎日を生きている人々の生活
を踏みにじるものである。
昨日の朝日新聞の夕刊である国際政治学者が「植民地支配は当時の帝国主義時
代においては常識」と述べているが、馬鹿も休み休みにいうべきである。
「当時の論理」云々を検討することは重要であるが、それが国家の名の下での
犯罪行為を免ずるものであってはならない。
今回の日朝交渉で明らかになったことは日本であれ、朝鮮であれ、国家という
のは自らの責任を極力回避しようとし、あらゆる問題を「国益」に矮小化し、
交渉の道具(カード)とするものだという本質である。
結局「補償問題」はもっとも補償が必要な人々とその周りにいる人々から力強
く突き上げていくしかないのだと、私は確信するに至った。
これからの日朝交渉は日朝両国の「国家テロリズム」に対する責任を追及する
という立場からながめる必要があり、そうすることではじめて「いま日朝関係
はどうなっているのか」を正しく把握することができると、私は思っている。
= Bun =
= つづく =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┃▼┃ お便りで頂きましたご意見。
┗━┛
┏━━━━━━━━━━「たろおじさん」――――――――― 2002/11/04
「韓国を見る眼」Bunさんの考え方は、興味深く読ませていただきました。
まるで社民党の土井さんのような感じなんですが、
なるほどこういう考え方なんだー。
Bunさんはパールバックの大地を読んだことがありますか?
中国大陸では、昔から匪賊や官の軍が、実質的に兵隊や使役する人を集める
のには、トラックやなんやらで回って、銃を突きつけたりして半強制的に人
を狩集めていくというのがどうも普通だったようです。
(そういう場面があちこちに、なにげなく普通に出てくるのです)
人間関係で作られる関係の中には、時効という概念があります。
長い歴史を共有する国家関係でも、この概念を導入しないとどうにもならない
ことがあります。
日中・日韓関係など隣国関係であれば、それこそ有史以来の関係があります。
それと、現代機能している法律・制度とは全く異なる状況や慣習が支配して
いた時代もあります。
大陸の状況の中で、日韓が派兵しあうことが大昔あったようですし、
元寇のように韓国も侵略軍に加担させられたこともあったでしょうし、
秀吉のように無邪気に世界征服を夢見た老人によって両国がひどい目に
あったこともあります。
どこの時代まで遡って、文句を付け合うか?
は大事な問題です。
やはり時効の概念でものごとを諦めないと、昔のことを引っ張り出して、
戦争の種を一生懸命まくことになります。
ヨーロッパで、昔から民族問題が世界に火をつけてきたセルビア問題などは、
その典型。
お互いの、民族間でやりあった古い事件をとっちめあうことで、現代の火種に
火をつける。 爆発させて困るのは、いま生きている人たちです。
―――― さて、ここはアジアです。
揉め事の解決は、仏教思想が最適です。
諸行無常、勝者必滅、なんまんだぶ なんまんだぶ の世界宗教は、
あれだけ好戦的で世界を騒がせたモンゴルを平和な民族に変えました。
仏教の教えの中に、悪者が悔い改めたのを、
正義の被害者が旧悪を糾弾する度が過ぎると
かえって悪者に転化してしまう、
というのがあります。
加害者被害者の輪廻みたいなもんです。
あまりしつこく悪事を糾弾するのも程々にという智慧です。
私たちの世代は、学園紛争のころに当っています。
しっかり記憶と体に染み付いたことがあります。
----
声高に正義を叫び、他の悪事を糾弾する人たちを警戒せよ。
彼らは、それにより自身をアピールし、自分が最高位に立ち、権力を握り、
他を服従させたがっている。
自らは何も生産せず、サービスをせず、苦労をせず、奉仕もしない..人が、
他の悪事と称されることを非難することで、人のサービスや苦労の結実を
収奪する。
自ら生産し、サービスをし、苦労をしているといろいろ簡単でないことに、
気づきます。
何もしない人ほど、物事を単純化し、正義と悪に分類して、正義の判事役を
やりたがります。
----
北朝鮮のことに関しては小生自身は戦後生まれなので、
戦前の日朝関係の実態を自分の目で見たことはありません。
釜山に住んでいたことがあるというお年寄りを知っています。
彼の言によると、子供心にも、日本人が向うの人に対してひどいことをすると
思ったそうです。
また、貧しい地域を通る時は向うの子供達にいじめられて怖かったそうです。
さもありなんと思います。
―――― 日本でも部落差別問題があります。
昔、差別されていた部落は経済的にも、生活環境的にも虐げられていた、
と聞きます。
だれでも、自分たちと異なる言葉や、環境や、慣習を持っている人を見ると、
違和感を持ちます。
子供が自分の家に帰るのと同じ。
自分の家に帰ってほっとするということは、裏返すと他の家にいると緊張する
ということです。
ましてや、住宅街のはずれに(昔の日本人がしたがらなかった牛や馬を殺生し)
皮の加工をするなんてことになると、、
且つ、動物くさい臭いの一角があるなんていうと、
それだけで胡散臭い連中がいる、なんとなく恐ろしげに感ずる、
きっと恐ろしい連中だ、よそものだ、近づくと怖い、
・・と想像の連鎖が始まる。
(昔直接知ってたおばあさんは、牛乳ですら「臭うてよう食わん」。
米の飯とおつけものと豆腐の味噌汁だけしか食いたがらなった。
牛乳を沸かしてくれた時、鼻をつまんでた。 信じられる????
日本にもそういう時代があったんですよ。
いわんやニンニクや唐辛子で真赤っかな食べ物なんて、論外もいいとこ)
今の私は、キムチやタイのグリーンカレーや、焼肉も大好き。
牛乳も、チーズも苦にならない。
お嬢さんたちはグッチなど、皮のハンドバックなんか大好き。
お肉は大好きでも、屠殺場は考えたくない。
シチューは食べたいけど、血の流れるところは嫌だ。
ハンドバックは持ちたいけど、皮をはぐのは考えたくもない。
農耕民族の私たちの行動の、籾殻を取り、糠をこすり、水洗いし、米を炊く
手順に相当する部分が、牧畜民族では全く違うらしい。
ご馳走とは、羊を選んで屠殺し、血まみれで解体し料理すること。
ドイツでは、クリスマスが近づくと一家総出で豚を殺し解体し、
ハムやソーセージをつくるんだそうです。
労働量としてもかなりなものになるので一家総出なんだって。
よちよち歩きの頃から体に染み付いた、ご馳走と屠殺行動と一体の感覚。
―――― 話がずれました。
でも、現代日本は、法制面でも表の社会意識の上でも、部落問題は過去の克服
すべき社会悪で、無知による人権侵害であったということを定着させました。
セルビアなどの地域の殺し合いは、民族・宗教の違いからくる深刻な問題です
が、基本的には上記のようなことが更に日常的かつ扇動者の存在とあいまって
始まるものだと思います。
お互いにお詫びをし合い、相互の立場が立つように納得出来る線で妥協する。
一端決めたことは、ぐだぐだ言わない。
ただ、現在進行中の不正は正すべきです。
正し方としては、けんかを吹っかける、こぶしを出す、石を投げるという暴力
的な対しかたもありますが、穏やかに言論と交渉で事を進めるのが最上でしょ
う。
でも、
相手は昔の悪事?を働いていたころの日本に輪をかけたような軍事独裁国家で
す。そんな相手に、昔のことを言われとうはないわい・・・。
そりゃ昔むかしは、そんなこともしてたかもしれんが、
おんどりゃー ‥は、今現在、おんなじことをしとるやないかい・・・
えらそうにいえる柄かーーー・・・
ーーてな調子でしょうか。
┗━━━━━━━━━━
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
|