☆ チベットホロコースト50年(下) ―――――――― 2008/03/24
by 伊勢雅臣さん
―― 1.法王の脱出
1959年3月10日、数万の群衆がダライ・ラマ法王のいるノルブリンカ宮
殿を包囲した。その日、法王は中共軍司令部での演劇に招待されていた。しか
も中共側は、法王が護衛なしで来ることを要求していたのである。
今まで、東部チベットで、高僧が中共軍司令官からパーティに招待され、殺害
あるいは投獄されるケースが4回もあった。群衆は、法王を中共軍の手に渡す
まいと決意していた。
法王は、中共軍司令部に大臣を派遣して、訪問に反対する「民衆の熱意があま
りにも強固なので断念せざるを得ない」と告げた。中共軍の将軍たちは激高し
て叫んだ。
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いままではわが政府も我慢づよかった。しかし今度の事件は叛乱である。これ
が決裂点である。われわれは今こそ行動にでるであろう。だから覚悟しろ。
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群衆は、何日経っても宮殿の傍から離れなかった。3月17日、中共軍陣地か
ら発砲された重臼砲の砲弾2発が宮殿の近くに落ちた。法王はこのまま宮殿に
いれば、中共軍と群衆の対立がいや増すだけだと考え、国外脱出の決意を固め
た。群衆の指導者の協力も得て、法王は一兵卒に変装し、その夜、密かに宮殿
を脱出した。 [2,p127-169]
―― 2.中共軍「反乱を鎮圧」
法王の脱出に気がつかなかった中共軍は、3月19日午後2時から、宮殿に向
け一斉に砲撃を開始した。集中砲火は41時間続けられ、宮殿はハチの巣のよ
うになった。3日間で、1万から1万5千人のチベット人が殺された。宮殿の
内外は死体で埋め尽くされ、中共軍は法王の死体を探し回った。
中共軍は、さらに「反乱を鎮圧」するために、チベット全土に戒厳令を敷き、
23日までにラサだけで4千人を逮捕した。 [4,p136]
中共軍の内部資料によると、10月までに、ラサおよびその周辺地域で8万7
千人のチベット人を殺害したという。 [3,p89]
3月28日には中国国務院が、周恩来首相の名でチベット政府の解散と、その
職権を「チベット自治区準備委員会」に移すことを発表した。そしてダライ・
ラマ法王が「拉致」されている間、パンチョン・ラマを準備委員会主任代行に
任命した。 [4,p136]
パンチョン・ラマは、ダライ・ラマ法王を助けるためにチベットに現れたと信
ぜられ、法王に次ぐ宗教的権威を認められてきたが、世俗的権力はなかった。
このパンチョン・ラマも、中国の傀儡にはならず、89年には「チベットは中
国から得たものよりも、失ったものの方が大きい」という歴史的な声明を発表
し、そのわずか4日後、謎めいた不慮の死を遂げた。 [4,p161],[3,p214]
―― 3.ヒマラヤ超え
世界中の新聞がダライ・ラマ法王のラサ脱出を一面で報じ、その安否を気遣っ
ている間、法王の一行約100人は、200名の兵士、ゲリラ兵に守られて、
徒歩でラサから道もない広大な山岳地帯を南南東に進み、ヒマラヤの主幹をな
す連峰を横断してインドへ向かっていた。
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国境に近づけば近づくほど、旅は、よりいっそう難渋をきわめた。そうして、
つづく二、三日というもの、大吹雪、雪に反射するギラギラする光、それから
滝のようにおちる激しい雨などの異常な連続によって、わたくしたちは悩まさ
れた。・・・
非常に寒かった。指や手は感覚を失った。そして眉毛が凍りついた。・・・こ
うした旅のあいだに、口ひげの伸びた人々もかなりあったが、その人々の口ひ
げには、氷がいっぱいついた。
それでもわたくしたちは、別に着替えを持っていなかったから、暖を保つ唯一
の方法としてはただ歩くことだけであった。 [2,p193]
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途中の村で、中国側がチベット政府を解散させたというニュースを聞き、法王
は、同行していた人々で臨時政府を作り、その宣言のコピーをチベット全土に
送った。
法王の一行が、正式な許可を得てインドに入国すると、町や村では心からの親
切な歓迎をした。ネール首相も、電報で歓迎と、無事の到着を喜ぶメッセージ
を送ってきた。さらに全世界からの百人を超す新聞記者やカメラマンが待ちか
まえていた。 [2,p200]
法王の亡命後、数ヶ月のうちにおよそ8万人のチベット人が、同様に困難な国
境越えをして逃れてきた。途中で行き倒れになった人数は数知れない。
[3,p88]
―― 4.アデの悲しみ
アデは、16年の刑期が終わっても釈放されなかった。常に囚人の先頭にたっ
て中国人看守たちに反抗したからである。厳しい生活環境、過酷な強制労働、
そして看守達の懲罰をアデは耐え抜いた。
1960年にゴタン・ギャルドの収容所に一緒に移った百人の女囚のうち、3
年後に生き残っていたのは、アデを含め、わずか4人であった。
21年目の1979年、アデは生まれ故郷への15日間の旅を許された。バス
が故郷のカンゼ停留所に着くと、通りにたくさんの中国人がいることに驚かさ
れた。標識はすべて中国語で書かれていた。実家の家も、土地も家財道具も、
すべてが没収されていた。
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森や丘を眺めるだけでも、丘が文字通り不毛の地になるまで薬草や花がやみく
もに採取されていることがわかった。私はその荒廃ぶりに圧倒された。生命あ
るものに対して、これほど完璧に敬意の念が欠けているということはいったい
どういうことなのか理解できなかった。 [1,p276]
私の若い頃には、とても活気に満ちていたカルナン僧院、カンゼ・デイツァル
僧院、デ・ゴンボ僧院は完全に破壊され、略奪されていた。カンゼ・デイツァ
ル僧院が以前建っていたところには、野生の灌木が生い茂っていた。[1,p273]
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アデの母と兄の一人は飢饉で餓死していた。二人の兄は人民裁判で暴行され殺
された。最愛の姉ブモは、ゲリラのリーダーだった夫ペマ・ギャルツェンの処
刑後、発狂して死んだ。
息子のチミは、アデが連行されてから狂ったようになり、母親の名前を呼びな
がら泣き叫ぶばかりで、そうしているうちに、川に落ちて死んでしまったとい
う。
アデが逮捕された時、生まれたばかりだった娘タシ・カンドは、アデの幼なじ
みのツォラが育ててくれていた。アデは22歳になっていた娘を初めて見た。
娘は近く結婚する事になっており、アデは幸せな生活を送って欲しいと、自分
の悲惨な過去についてはあまり話さなかった。
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私は悲しみでいっぱいになりながら、ワ・ダ・ドゥイ(収容所)に戻る準備を始
めた。またバスに乗り、カンゼを通り過ぎるとき私が考えていたのは、「もう
何も残っていない」ということだけだった。苦痛、別離、そして失ってしまっ
た21年間が、すべて心の中にこみあげてくるような気がした。それは本当に
耐え難いものだった。そして今の私には何も残されていなかった。[1,p281]
└--------
アデが釈放されたのは、逮捕から27年目の1985年だった。
アデはその後インドに脱出し、ダライ・ラマ法王がチベット亡命政府を組織し
ているダラムサラに住むようになった。
―― 5.収奪された国土
第二次大戦後、アジアやアフリカの民族が次々と独立していく中で、チベット
民族はこうして、唯一、植民地に転落した。
チベットは、ヨーロッパ共同体に匹敵する広大な領土を持っていたが、その東
部は分割されて、四川省、雲南省、甘粛省などに編入された。北部のアムド地
区は青海省とされた。
たとえばアデの生まれ育ったカンゼ地区は、四川省甘孜(カンゼ)チベット族自
治州とされている。細かく分割して、周囲の省の少数民族とされたのである。
残るチベット自治区の面積は、約半分にすぎない。 [3,p83]
1949年当時のチベットの森林面積は22万平方kmであったが、中共軍に
よる乱伐で、1985年には13.4万平方kmと、ほぼ半減した。中共軍は
旧国民党系の囚人や、チベット人を使って、原始林へのアクセス道路を切り開
き、伐採した木材を中国本土に送っている。
チベットは、インドや東南アジアを望む戦略的地域である。
中国はここに90基の核弾頭を配備している。アムド地区の中国西北核兵器研
究所は、その核廃棄物をきわめてずさんな方法でチベット高原に廃棄したと伝
えられている。 [3,p170-179]
―― 6.生活と文化の破壊
チベット亡命政府は、1949年から79年の30年間に死亡したチベット人
は120万人をくだらないと発表している。その内訳は、拷問17万3千人、
死刑15万7千人、戦闘43万3千人、飢餓34万3千人、自殺9千人、傷害
致死9万3千人である。
侵略以前のチベット人口が600万人なので5人に1人が殺された事になる。
チベット人の家庭で、家族が一人も投獄、殺害されていない家を見つけるのは
難しい。 [3,p99-10]
仏教国家チベットには、6259もの僧院、尼僧院があったのが、1976年
に残っていたのは、わずか8つに過ぎない。仏像や装飾品などは、ことごとく
中国本土に持ち去られた。59万人いた僧、尼僧などのうち、11万人強が拷
問死し、25万人以上が還俗を強制された。 [3,p146-149]
僧院に付随して学校があったのだが、それらも一緒に破壊された。チベットの
12歳以上の文盲率は、中国側発表でも74.8%であり、中国本土の31.
9%の2倍以上となっている。 [3,p132]
中国政府は、産児制限や中絶・不妊手術により、チベット人の人口抑制を図っ
ている。その一方で、中国人の移住を数々の優遇策によって奨励した。その結
果、チベット人口600万人に対して、チベット全土に住む中国人は750万
人と見積もられている。 [3,p166]
チベットは、中国の過剰な人口の捌け口とされ、チベット人は自らの国土にお
いても少数・劣等民族とされてしまったのである。
―― 7.ダライ・ラマ法王の祈り
ダライ・ラマ法王の働きかけで、国連総会は1959年、61年、65年の三
度、「チベット人民の基本的人権と、その独特の文化的ならびに宗教的生活を
尊敬することを要求する」と決議している。
近年、多くの国の議会がチベットの人権を尊重するよう中国政府に求める決議
を行ってきた。たとえば欧州議会(1987-90,4回)、旧西ドイツ(1987)、イタ
リア(1989)、オーストラリア(1990、1991)など。アメリカの上下院は10回
以上の決議を行っている。 [3,p114]
1989年には、ノーベル平和賞が法王に授与された。ノルウェーのオスロ大
学での受賞記念講演では、法王は「平和は私達一人一人の内から始まります。
内的な平和があれば、周囲の人々とも平和を分かち合うことができます。」と
の信念を披瀝し、「非暴力による平和の追求」が世界の一大潮流になっている
ことを指摘した。
89年6月の第2次天安門事件において、「中国で同じような変化をもたらそ
うとした勇気ある人々の努力は、・・・暴力でうち砕かれてしまいました」し
かし中国の若者達が「権力は銃口から生まれる」と教えられ続けてきたにも拘
わらず、非暴力を選んだことを法王は高く評価した。
┌--------
チベット高原全体を、人間と自然が調和して、自由に平和に暮らしていける保
護区にしようというのが私の夢です。世界中の人々が、世界各地の緊張や圧力
から逃れ、自分自身の内にある平和の真の意味を探し求める地区としたいので
す。
└--------
として、チベットの非武装、非核化、自然保護、そして国際人権保護機関の設
置を提案した。法王は、演説を次の祈りで締めくくった。
┌--------
世界に苦しみがあり、
生きものが残っている限りは、
私も、残ります。
世界の苦難を消すために
└--------
ダライ・ラマ14世の肉体は滅びても、その魂は15世としてこの世に戻って
くる。世界の苦難を消すために。ーーーチベット仏教の輪廻転生信仰は、世代
を越えて受け継がれる人類の「内なる平和への意志」の象徴ともいえよう。
= おわり =
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参考リンク:
a.JOG(009) 米中の人権論争
中国が抱える火種は南のチベットだけではない。西のウイグル、北のモン
ゴル、そして東の北朝鮮との国境沿いの朝鮮族と、全方位で異民族の土地
を占拠している。
参考書籍:(お勧め度★★★★:必読〜★:専門家向け)
1.★★★「チベットの女戦士アデ」アデ・タポンツァン 総合法令 H11/05
2.★★「この悲劇の国 わがチベット」ダライ・ラマ 創洋社 S54/
3.★「チベット入門」チベット亡命政府情報・国際関係省 鳥影社 S11/05
4.★★「チベット入門」ペマ・ギャルポ 日中出版 H10/03
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▽
┌──────────「ちかりんさん」
―― どうして世界各国はチベット問題に積極的ではないのか?
チベットの記事よみました。中国人のあまりの傍若無人振りにただただびっく
りしました。チベットのことは、もっと世界でも映像などをつかってアピール
していくべきだと思います。もともと独立国なのに、武力で制圧するなんて許
せません。
ずっと昔に、日本人の僧侶がチベットへいったときの本を読んだ記憶かあり、
なぜか昔から興味がありました。どうしてヨーロッパやアメリカは、もっとチ
ベット問題に積極的に出ないんでしょうか?日本も然りです、、とくに日本に
はもっと厳しい姿勢で発言してほしいと思います。日本は中国に弱すぎると思
います。
└──────────
┌──────────「高橋さん(群馬県、28歳、男)」
―― ダライ・ラマの平和への祈りに感動
124号を読み終えて、私は涙があふれてしまいました。何より、ダライ・ラ
マの平和への祈りに感動したのですが、アデさんに象徴されるチベット人民の
悲惨な過去、中共思想の裏にある、人間の弱さ。そして、自分は、何とものを
知らなかったのだろうという反省。
日本で平和に暮らしていることの有難さ・危うさを痛感しました。とにかく何
か勉強せねば、行動せねば、と焦ってしまうのですが、まずはJOGバックナ
ンバーを読ませていただきたいと思います。
└──────────
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┌──────────「編集長・伊勢雅臣より」
中国のチベット侵略には、3つの特徴があります。
・20世紀後半で唯一、かつ現在進行形の侵略であること。
・国連常任理事国自体が侵略行為をしているので、国連は手も足もでない事。
・そしてダライ・ラマの崇高な姿勢です。
我が国が、日本国憲法に明記しているように、本当に平和と人権を追求するな
ら、まずダライ・ラマ法王を支援すべきでしょう。現在の中国に黙って経済支
援を続けることは、平和と人権を蹂躙する侵略行為を黙認している事になりま
す。
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