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国際派日本人養成講座 ――――― by 伊勢雅臣さん |
☆ 国柄探訪:『論語』が深めた日本の国柄 ――――― 2008/05/04
岩越豊雄著『子供と声を出して読みたい「論語」百章』
『論語』の説く「まごころからの思いやり」は、我が国の国柄を深めてきた。
―― 1.孔子の喜びに弾んだ肉声
「孔子は、その思想が当時の為政者に入れられず、不遇の人生を歩んだ人だ」
と思っていたのだが、実は「その内面では、学ぶことの喜びに充ち満ちた幸福
な人生を送った人ではなかったか」と『子供と声を出して読みたい「論語」百
章』[1] を読みつつ今更ながらに気がついた。
著者の岩越豊雄さんはこう語っている。
┌--------
私は小学校の校長を退職した後、子供を対象に、江戸時代の「寺子屋」をモデ
ルに、素読と習字を組み合わせた塾を始めました。対象は小学生たちですが、
喜んで『論語』を素読しています。リズムの美しい簡潔な文で、読んで心地よ
い名文だからだと思います。 [1,p31]
└--------
この本は、岩越さんが子供たちに『論語』の一章ずつを読み聞かせた内容をま
とめたものだが、その文章を通じて、孔子の喜びに弾んだ肉声が聞こえてくる
ような気がした。『論語』の解説書は何冊か読んだことがあるが、こういう経
験は初めてである。
こういう本を通じて、子供の時から学問の喜びを感じる事ができれば、それは
これからの長い一生を支える「学ぶ力」「生きる力」となるだろう。
―― 2.学びの喜び
孔子の喜びは『論語』冒頭の第一章から弾んでいる。 [1,p37]
┌--------
子[し]曰[いわ]く、学びて時にこれを習う。また説[よろこ]ばしからずや。朋
[とも]あり、遠方より来たる。また楽しからずや。人知らずして慍[いか]らず
また君子ならずや。
先生がおっしゃった。学んだ時に、よくおさらいをする。それが自分の身につ
いたものになってくる。なんと喜ばしいことではないか。心知る友が遠くから
訪ねてきてくれる。なんと楽しいことではないか。人が認めてくれなくとも怒
らない。なんと志の高い優れた人ではなかろうか。
└--------
この一章を、岩越さんは、子供たちにこう解説する。
┌--------
「学ぶ」は「まねをする」に由来するといいます。「習」は雛鳥[ひな]が巣の
上で親鳥の羽ばたきをまねて、飛び立つための練習をしている字形だといいま
す。
どのようなことでも、練習して初めてできるようになった時の喜びは誰でもよ
く覚えています。例えば自転車に乗れるようになった時とか、体が水に浮いて
泳げるようになった時の喜びなどは、生涯忘れられない思い出です。
学んだ時にはそれを何度も繰り返し、練習してできるようになる。それが「学
びの喜び」です。小さな事でも、「わかった」「できた」「やり遂げた」とい
う喜びを体験し、積み重ねると、自信にもなり、物事に意欲的に取り組めるよ
うにもなるのです。
└--------
自転車や水泳を例に「学びの喜び」を説くあたりが、いかにも小学生にふさわ
しい。
―― 3.「学び」と「友」と「不足を思わない」
その後に続く「朋[とも]あり、遠方より来たる」と「人知らずして慍[いか]ら
ず」については:
┌--------
学んだことが身につき、自信がつけば自然と互いに心が通じる友ができ、楽し
く語り合うこともできます。そうした友が、思いがけなく訪ねてくれた時は、
本当に嬉しいものです。
└--------
水泳の例で言えば、一緒に水泳を習う友達どうしが、自分は背泳もできるよう
になったよ、などと語り合う喜びだろう。
┌--------
しかし、たとえ自分が学び、力をつけても、他の人がわかってくれない、認め
てくれない時もあります。それでも怒ったり、不足を言ったりしない。そうで
きる人は、ほんとうに志の高い優れた人です。
└--------
へたくそな泳ぎで、級友も先生もなかなか褒めてくれないが、別に不満を言っ
たりしない。自分自身の上達そのものが喜びだからだ。
┌--------
「学び」と「友」と「不足を思わない」、この3つの事柄は、学問の喜びとい
うことで一貫しているのです。
└--------
岩越さんのこの指摘から、私は初めて、孔子の抱いていた「学問の喜び」に触
れえたような気がした。
―― 4.あれが目の不自由な楽師を助ける作法なのだ
さて孔子の志した学問とは、どのようなものだったのか。それを孔子の行動を
通じて説いた小学生にも分かりやすい一章がある。 [1,p204]
┌--------
師冕[しべん]見[まみ]ゆ。階[かい]に及ぶ。子[し]曰[いわ]く、階なりと。席
に及ぶ。子曰く、席なりと。みな坐す。子之[こ]れに告げて曰く、某[それがし]
はそこにあり、某[それがし]はそこにありと。師冕出[い]ず。子張[しちょう]問
いて曰く、師と言うの道かと。子曰く、然[しか]り。固[もと]より師を相[たす]
くるの道なりと。
目の不自由な楽師冕[べん]が訪ねてきた。先生は自ら出迎えて案内し、階段に来
ると「階段ですよ」と言われ、席に来ると「席ですよ」と言われた。一同が座る
と、「誰それはそこに。誰それはここに」と一人ひとり丁寧に教えられた。
師冕が帰った後で子張が「あれが楽師に対する作法ですか」と訪ねた。先生が答
えられた。「そうだ。あれが目の不自由な楽師を助ける作法なのだ」
○
目の不自由な者の身になって、きめ細かに対応する孔子の温かな配慮が伝わって
きます。相手の身になって行動する、まさに仁者の在り方を具体的に学べる章で
す。
子張が質問したのは、一盲目の楽師に対して、孔子の取った対応があまりにも丁
寧で、礼に過ぎるのではと思ったからです。「然[しか]り。固[もと]より師を相
[たす]くるの道なりと」ときっぱりと答える孔子の言葉に、まごころからの思い
やり、「忠恕」を「一以て之を貫いた」孔子の確信ある生き方を髣髴[ほうふつ]
とさせます。
└--------
目の不自由な人を導いてあげることは小学生でもできることである。そういう誰
にでもできる「まごころからの思いやり」が、孔子の学問の核心であった。
―― 5.人を尊び、まごころから思いやる
「忠恕」を「一以て之を貫いた」とは、次の一章に出てくる言葉である。
┌--------
子曰く、参[しん]や、吾[わ]が道、一[いつ]以[もっ]てこれを貫[つらぬ]く。曾
子曰く、唯[い]と。
子出[い]ず。門人、問うて曰く、なんの謂[い]いぞや。
曾子曰く、夫子[ふうし]の道は忠恕[ちゅうじょ]のみ。
先生が曾子に呼びかけておっしゃった。「参(曾子)よ、私の生き方は一つのもの
で貫かれているのだが」と。曾子はただ「はい」と答えた。先生は部屋を出て行
かれた。門人たちが「何を言いたかったのですか」と尋ねた。
曾子が言った。「先生が貫かれている生き方は、人を尊ぶまごころからの思いや
り、それに尽きる」と。
○
「忠恕」の字の作りは、「中と心」と「如と心」です。「中心」とはまごころの
こと、「如心」とは自分の心の如く人の心をおしはかるという意味です。つまり
「人を尊び、まごころから思いやる」ことです。『論語』でしばしば触れられる
「仁」にも通じます。それは孔子の一貫した生き方でした。
└--------
ちなみに「仁」については、こう解説されている。
┌--------
「仁」とは「人」と「二」を組み合わせた漢字です。つまり、人と人との人間関
係における倫理・道徳の基本である「まごころから人を思いやる」ことです。
[1,p40]
└--------
孔子の学問は、誰でもが持つ「まごころ」「おもいやり」をいかに引き出し、発
展させるか、というところにあった。
―― 6.素直な社員は良く伸び、仕事もできる
「まごころ」と「おもいやり」を伸ばすために、孔子は次のように若者に教え諭
している。
┌--------
子[し]曰く、弟子[ていし]、入りては則[すなわ]ち孝、出でては則ち悌[てい]、
謹みて信あり、汎[ひろ]く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力有らば則ち以[も]
って文[ぶん]を学ばん。
先生がおっしゃった。若者よ、家では、親孝行、外では目上の人に素直に従う。
何事にも度を過ごさないように控えめにし、約束を守る。多くの人を好きになり
善き人について学ぶ。そうした上で、まだゆとりがあるなら、本を読んで学んで
いけばいい。
○
「親に孝行することや、人に素直であること」と「勉強すること」と、どっちが
大切かと問えば、今は親も子も大抵は「勉強すること」と答えます。でも、孔子
は逆だと言っています。
└--------
一流大学を優秀な成績で卒業しながら、違法な株取引で逮捕されたり、エセ宗教
にひっかかって人を殺めたりする人間は、勉強ばかりしていて、「まごころ」や
「おもいやり」を磨かなかった人間失格者であろう。
┌--------
本当に優秀な人は大抵、素直です。経営の神様といわれた松下幸之助も「素直な
社員は良く伸び、仕事もできる」と言っています。 [1,p46]
└--------
親孝行、素直さ、謙虚さ、謹み、信頼、こうした人格的基礎を土壌として、その
上に知識や技術が花開くのである。
―― 7.『論語』が深めた我が国の国柄
『論語』は、1千6百年ほど前に、海外から我が国にもたらされた最初の書物で
あった。
そしてその「忠恕」や「仁」を核とする思想は、民を「大御宝[おおみたから]」
と呼び、すべての生きとし生けるものが「一つ屋根の下の大家族」のように仲良
く暮らしていくことを理想とした我が国の国柄 [b]には、まことに相性の良いも
のであった。
そして我が先人たちは『論語』に学びつつ、我が国の国柄を深めていった。岩越
さんは、その歴史を簡潔に振り返っている。
聖徳太子は、『論語』の「和」を深めて「十七条憲法」の第一条に「和を以て貴
しと為す」と説いた。鎌倉時代の「曹洞宗」の開祖・道元禅師は、世を治めるの
は『論語』がよいと推奨していたという。
江戸時代には『論語』研究が盛んになり、中江藤樹 [c]、山鹿素行、伊藤仁斎、
荻生徂徠などが独自の思想を発展させた。こうした学問の系譜から、吉田松陰、
西郷隆盛など幕末の志士が生まれ、明治維新への道を開いていく。
―― 8.「素読」の合理性
こうした歴史を俯瞰した上で、岩越さんは語る。
┌--------
偉人や学者だけではありません。江戸時代は一般の武士も庶民も『論語』を学び
ました。各藩の藩校はもちろん、庶民の子弟の教育が行われた寺子屋では、『論
語』等の素読が行われていました。
「素読」とは、文章を意味はさておき、声を立てて暗唱できるまで繰り返し読む
ことです。「読書百遍、意自ずから通ず」という言葉があります。声を出して何
度も読んでいくうちに、自然にその意味が表れてくる、分かってくる、そうした
読み方を言います。 [1,p28]
└--------
「意味もわからない文章を丸暗記させるなど、なんと封建的な」と考える人も多
いだろう。それに対して、岩越さんは小林秀雄の次の言葉を引用する。
┌--------
(素読を)暗記強制教育だったと簡単に考えるのは悪い合理主義ですね。『論語』
を簡単に暗記してしまう。暗記するだけで意味がわからなければ、無意味なこと
だと言うが、それでは『論語』の意味とは何でしょう。
それは人により年齢により、さまざまな意味にとれるものでしょう。一生かかっ
たってわからない意味さえ含んでいるかも知れない。それなら意味を考えること
は、実に曖昧な教育だとわかるでしょう。丸暗記させる教育だけが、はっきりと
した教育です。 [1,p30]
└--------
―― 9.『論語』の言葉を胸に人生を歩んでいく
「朋[とも]あり、遠方より来たる。また楽しからずや」というような言葉も、
少年時代、壮年時代、そして熟年時代と、人生経験を積むにしたがって自ずか
らその味わいも深まっていくだろう。素読とは、そのような言葉の種を幼児期
から心に埋め込んであげることである。
小学生にたわいのない英会話を教えるよりは、はるかに高級な人間教育ではな
いか。そこから、しっかりとした精神的バックボーンを持った日本人が育って
いくだろう。
すでに大人になってしまった人でも、『論語』の中の心に響く一節を暗記して
それを時々反芻しながら、自らの人生を歩んでいく、という生き方も良いので
はないか。
ちなみに天皇陛下は「忠恕」という言葉がお好きだそうだ。ひたすらに国民の
安寧を祈られる陛下ならではの言葉である。
『論語』の言葉を胸に抱いて人生を歩んでいくのが、我が先人たちの生き方で
あった。
(文責:伊勢雅臣) = おわり =
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関連リンク:
a.JOG(488) 中国の覚醒(下) 〜 日本で再発見した中国の理想
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参考書籍:(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1.岩越豊雄『子供と声を出して読みたい「論語」百章―人の品格を磨くた
めに』★★★、致知出版社 H19
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