|
国際派日本人養成講座 ――――― by 伊勢雅臣さん |
☆ Common Sense:国民を護るインテリジェンス ――― 2008/03/23
国家国民を襲う危機を事前に避けることこそ、インテリジェンス活動の狙い。
―― 1.兆候があった在ペルー日本大使公邸占拠事件
1996(平成8)年12月17日、ペルーの首都リマにある日本大使公邸にて
天皇誕生日祝賀レセプションが開かれた。ホスト役の青木盛久大使をはじめと
する大使館員、ゲストとしてペルー政府要人、各国の駐ペルー大使、日本企業
のペルー駐在員ら約600人が集まった。
そこに突如、隣の家の塀を爆破し、14名のゲリラが乗り込んできた。彼らは
大使館を占拠し、約600人の人々を人質にした。トゥパク・アマル革命運動
という左翼武装組織のメンバーであった。ゲリラたちは「フジモリ政権の経済
政策の全面転換」「身代金の支払い」などを要求した。
フジモリ大統領はこれを拒否し、ゲリラたちは女性や老人、子供たちを解放し
た後、残りを人質として膠着状態に陥った。
事件が発生した直後、在米日本大使館の武官としてワシントンDCに駐在して
いた太田文雄氏(前・防衛庁情報本部長)は、国防情報庁(DIA、Deffense
Intelligence Agency )に行ってラテン・アメリカのテロ専門家と情報交換
をした。その専門家は、事件が勃発する1ヵ月前から、トゥパク・アマルが何
らかの公共機関を襲撃するであろうという兆候を2件掴んでいた、という。
それを聞いた時太田武官は、もしペルーに日本の武官がいて、米国の在ペルー
武官を通じてDIAからの情報を入手していたならば、あの事件は未然に防止
できたかもしれない、と思ったそうである。 [1,p118]
―― 2.この程度の情報はすぐ入手できますよ
事件が解決したのは5ヶ月も後だった。4月22日、ペルー海軍や警察による
特殊部隊が公邸に突入し、死亡者1人、複数の重軽傷者は出したが、人質71
人の救出に成功した。
その数日前、太田武官は各国海軍武官団の旅行で、メーン州に出張していたと
ころ、同行のペルー海軍少将が「アドミラル太田、今週動くぞ」と耳元で囁い
た。
太田武官は、この情報を日本に伝えようとしたが、暗号化して発信するために
は、最も近い所でもボストンの日本領事館まで行かなければならないのと、こ
の情報をダブル・チェックする術がなかったことから、知らせなかった。伝え
たとしても日本政府は混乱するだけで、何の役にも立たなかったろう。
数日後、バスの中で、このペルーの海軍少将が「数時間前に救出作戦が始まり
既に制圧した」と教えてくれた。
事件後も、太田武官はDIAからのテロ情報を頻繁に発信していたので、日本
のペルー大使がワシントンのDIAに情報収集に来たことがあった。その時、
太田武官は大使に「この程度の情報は在ペルー米国大使館の武官が持っていま
すから、日本からの武官が配置されれば、簡単に入手できますよ」と言った。
ペルーには今でも武官が配置されておらず、この事件の教訓は生かされていな
い。防衛省が武官をある国の日本大使館に配するには、外務省はその見返りと
して防衛省内で同レベルのポストを要求するためという。そんな縄張り意識が
在留邦人の安全確保よりも優先されているのである。
―― 3.ゲリラの動きを察知していれば
この事件を通して、インテリジェンス活動の効用を理解することができる。
ゲリラ側の立場に立って推察してみると、彼らの主要な敵はアメリカであり、
本当ならアメリカ大使館を襲ったほうが、国内外へのアピールから見てもはる
かに効果的なはずだ。
しかし、そのアメリカ大使館はDIAからの情報を得て、普段よりもなお一層
厳しい警戒態勢を敷いていたと考えられる。そうと知れば、アメリカは自分た
ちの動きを掴んでいるのかも知れない、とゲリラ側は察し、これでは「飛んで
火にいる夏の虫」になりかねない、と考えたであろう。
ゲリラ側は次善の策として、その他の西側の大使館を検討したかもしれない。
英仏独などの大使館も当然、武官を通じて、アメリカからの情報を得ていたと
すれば、警備も厳重になっているわけで、あきらめざるを得ない。
そんなところに、日頃から警備も薄いのに、さらにパーティー準備に大わらわ
になっている日本大使館を見れば、ゲリラ側は、こここそ格好の標的だ、と考
えたであろう。インテリジェンス活動ができてないばかりに、日本大使館はと
んだとばっちりを受けたのではないか。
―― 4.独ソ戦を左右したゾルゲ事件
国際的に有名なインテリジェンス活動の一つが、日本を舞台にしたゾルゲ事件
である。
1941(昭和16)年6月、欧州では第二次大戦が始まっており、ドイツ軍が
ソ連に侵攻していた。スターリンの関心事は、ドイツの同盟国である日本が、
これに呼応して極東からソ連を攻撃するのかどうか、という点にあった。現に
松岡洋右外相などは、この際、ソ連を背後から叩くべきだと主張していた。
この時、在日ドイツ大使の私設情報官として働いていたリヒャルト・ゾルゲは
実はドイツ共産党を通じて、モスクワの国際共産主義団体コミンテルンに所属
していた。ゾルゲは朝日新聞記者・尾崎秀美に接近する。尾崎自身も上海駐在
の頃から、国際共産主義に共鳴していた。 [a]
尾崎は、近衛内閣の嘱託として入り込み、「日本は石油を取りに南進する」と
いう確度の高い情報を掴んで、ゾルゲに伝えた。ゾルゲはこの情報をモスクワ
に送り、それを受けたスターリンは、満洲やシベリアの軍団のうち数個師団を
欧州戦線に振り向けた。
冬期戦に長けたこれらの援軍によって、ソ連軍は電撃的侵攻を続けていたドイ
ツ軍を食い止めることに成功し、12月初旬からは冬期大反攻を開始した。
もし日本がゾルゲのインテリジェンス活動を封じていたら、ソ連は欧州戦線へ
の兵力投入ができず、独ソ戦は全く別の様相を呈していただろう。
さらに想像を逞しくすれば、そもそも1941(昭和16)年12月初旬といえ
ば、運命の真珠湾攻撃が開始された時期である。この時点で、ドイツ軍の旗色
が悪くなりつつあるという情報を日本が掴んでいたら、アメリカの挑発をも堪
え忍んで、日米戦の勃発は防げたかも知れない。そうなれば、第一次大戦と同
様、第二次大戦でも我が国は高見の見物をしていられた可能性もある。
―― 5.日露戦争を勝利に導いたインテリジェンス
日本がインテリジェンスで失敗した例を紹介したが、もちろん、見事な成功事
例もある。
福島安正陸軍少佐は、日露戦争の11年前に、たった一人でドイツからウラジ
オストックまでの1万4千キロを1年4ヶ月かけて騎馬で横断した。世界中が
この大冒険に湧いたが、その裏には、ロシアの東方進出の実態を探るという目
的があった。
福島少佐は、現地の見聞情報をもとに、ロシアはかならず蒙古、満洲へと東進
してくると判断した。そして弛緩した清国政府にはそれを抑える力も意志もな
いことを見てとった。こうした情報をもとに、海軍増強など対ロシア戦略が構
築された。 [b]
また福島少佐は、ロシアが支配するポーランド、バルト3国などで独立運動が
起きていることを掴んだ。この情報から、日露戦争中、明石元二郎大佐はこれ
らの地域での独立運動を支援して、ロシアを後方から脅かした。これがロシア
皇帝に早期講和を促す大きな要因となった。 [c]
国力でも武力でも大きく劣る日本が、ロシアに勝てたのも、インテリジェンス
の面で相手を凌駕していた点が大きい。
―― 6.孫子を忘れたが故に戦略的思考に乏しくなった
明治時代の日本は見事なインテリジェンス力を発揮して、大国ロシアの侵略を
打ち破ったのに対し、その後、インテリジェンスの力を失い、ついには敗戦と
いう事態に至ったのはなぜなのか。太田文雄氏はこう述べている。
┌--------
また、幕末の吉田松陰が「孫子」を弟子たちに講義したことは有名ですが、そ
の弟子達である伊藤博文や山縣有朋が軍政面での指導者として戦った日清・日
露の戦いでは、極めて見事な戦争指導が行われたのに、
日露戦争後、洋行帰りの人達が国の指導者となってから、思わしくない結果が
出ているということも、「孫子を忘れたが故に戦略的思考に乏しくなった」と
いう事実とあながち関係がないとも言えないような気がします。 [1,p110]
└--------
「孫子」は、今も戦略論の古典として世界中で読まれている。アフガニスタン
作戦とイラク戦争を指揮した米中央軍司令官フランクス陸軍大将は若い頃から
「孫子」を熟読していた。
また、軍事戦略家「Harlan K. UllmanとJames P. Wade 」の著書"Shock and
Awe"(衝撃と畏怖)は、イラク戦争での作戦名にも採用されているが、その中で
は「孫子」の引用が数十回もなされている。
この「孫子の兵法」こそ、「敵を知り己れを知らば、百戦して危うからず」と
の名言で知られるように、インテリジェンスを重視した戦略論なのである。
―― 7.戦わずして人の兵を屈する
「百戦して危うからず」などと聞くと、軍国主義の権化のようで毛嫌いしてし
まう人もいるだろう。しかし、「孫子」をよく読めば、それが誤った先入観で
あることが分かる。
┌--------
百戦百勝は善の善なるものに非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の
善なるものなり。
(百回戦争して百回とも勝利を収めるのというのが、最善ではない。戦わずし
て相手の力を挫くことこそ、最善の方策である)
└--------
戦争とは、たとえ勝ったにしても多くの人命を失い、国富を消尽させる。国家
にとっては、国民と国益を護ることが目的なのだから、戦わずしてその目的を
達成することこそ、最上の道なのである。
冒頭に紹介した在ペルー日本大使公邸占拠事件の例でも、アメリカは事前にゲ
リラ活動を察知しており、ゲリラ側に攻撃の隙を与えなかった。
また、尾崎秀美のような国際共産主義の手先が日本を中国大陸での戦乱に巻き
込もうという策謀を巡らしているのをよく知っていれば、それに乗せられて日
華事変のような消耗戦を戦うことは避けられたであろう。
さらに1945年12月初旬の時点で、独ソ戦でドイツの旗色が悪くなってい
ることを知っていれば、アメリカの執拗な挑発を避けて、第2次大戦に巻き込
まれずに済んだ可能性もあったことはすでに述べたとおりである。
このように、的確な情報を得ていれば、余計な戦いを避けて国民の安全と利益
を護ることができる。そこにインテリジェンス活動の効用がある。
―― 8.オウムと北朝鮮
日本は平和な国であり、我が国さえ侵略をしかけなければ戦争は二度と起こら
ない、などという幻想は過去のものとなりつつある。この幻想を打破したのは
オウム真理教による地下鉄サリン事件、および、北朝鮮による拉致であろう。
1995(平成7)年に起こった地下鉄サリン事件では、オウム真理教徒が地下
鉄丸の内線、日比谷線、千代田線の5編成で化学兵器として使われる神経ガス
サリンを散布し、乗客や駅員ら12人が死亡、5510人が重軽傷を負った。
大都市で一般市民に対して化学兵器が使用された史上初のテロ事件として世界
中に衝撃を与えた。
オウムは、上九一色村にサリン製造プラントを建設し、ロシアから大型軍用ヘ
リコプター「ミル17」の中古機を購入・配備していた。まかり間違えばサリ
ンが大都市に空中散布されて、遥かに大規模な被害が出ていた恐れがあった。
北朝鮮による拉致事件も、めぐみさんが連れ去られたのが昭和52(1977)年。
17年後の平成6(2004)年に韓国に亡命した北朝鮮工作員の証言によって、よ
うやく拉致問題が公にされた。日本政府が拉致被害者として認定したのは17
名だが、一説には100名以上とも言われている。
オウムにしろ、北朝鮮にしろ、なぜもっと早くその動きを掴んで、大きな被害
が出る前に手が打てなかったのか。これが日本のインテリジェンスの問題であ
ろう。
―― 9.敵の情を知らざるは、不仁の至りなり
日本のインテリジェンス機関としては、防衛省情報本部(2千人規模)、内閣情
報調査室(数百人)、外務省国際情報統括官室(百人以下)が主だったところであ
り、合計しても3千人以下の規模と推定される。
それに対してアメリカは、中央情報庁(CIA、数万人)、国家安全保障庁(N
SA、CIAの約2倍)、国防情報庁(DIA、約1万人)、国家地理・空間情
報庁(NGA、約1万人)と、おそらく合計では10万人規模のインテリジェン
ス人員を擁している。
イギリス、フランス、ドイツなどは、アメリカの十分の一の陣容と推定される
が、それでも日本の数倍の規模となる。
孫子は「爵禄百金を愛[おし]んで敵の情を知らざるは不仁の至りなり」といっ
た。インテリジェンス活動のためのポストや費用を惜しんで、敵情を知らない
のは「不仁の至り」というのである。
地下鉄サリン事件での死者12人、重軽傷5510人、北朝鮮の拉致被害者が
政府公表だけでも17名という被害者の上を思えば、インテリジェンス活動の
軽視が、まさに国民に対する「不仁の至り」であることが実感できよう。
(文責:伊勢雅臣) = おわり =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
▽
関連リンク:
a.JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東亜
共同体」が実現する!
b.JOG(418) 福島安正・陸軍少佐のユーラシア単騎横断
迫り来るロシアとの戦争に備えるべく、 安正は1万4千キロの大偵察旅
行を敢行した。
c.JOG(176) 明石元二郎〜帝政ロシアからの解放者
レーニンは「日本の明石大佐には、感謝状を出したいほどだ」と言った。
参考書籍:(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1.太田文雄『「情報」と国家戦略』★★★芙蓉書房出版 H17
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
▽
Mail: nihon@mvh.biglobe.ne.jp
Japan on the Globe 国際派日本人養成講座
姉妹誌「国際派日本人のための情報ファイル」JOG Wing
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogindex.htm
購読解除: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/quit_jog.htm
広告募集: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jog/jog_pr.htm
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
|