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国際派日本人養成講座 ――――― by 伊勢雅臣さん |
☆ Common Sense:中国人の外交術 ――――――――― 2008/02/17
米中国交正常化交渉においてキッシンジャーを翻弄し続けた中国流の外交術に
学ぶ。
―― 1.中国招待は皇帝の温情!?
1971年7月、キッシンジャー大統領補佐官は、北京への最初の秘密訪問を
行った。ニクソン大統領が、対中国交正常化への意欲を示し、5月に中国側が
大統領の公式訪問を歓迎すると応えたのを機に、そのお膳立てのための極秘訪
問をしたのだった。
キッシンジャーを迎えた周恩来首相は、こう語った。
┌--------
中国側がまだ招待していない実に多数の米国の政治家のリストをみせましょう
か。私のデスクには、中国を訪問させてほしいと要請する米国政治家からの手
紙が山のように積まれています。私は返事はまだ出していませんがーーー
└--------
周恩来の先制パンチだった。交渉相手をそのライバルと競わせて焦らせる、中
国一流の外交術である。何千年も国内で激しい外交合戦を繰り広げてきた中国
では、ごく基礎的な手法であった。この後に続く何年もの米中交渉の間、キッ
シンジャーはこうした中国側の天才的な外交術に翻弄され続けることになる。
この先制パンチに、キッシンジャーはこう応えるのが精一杯だった。
┌--------
あなたがしたこと=ニクソン氏訪中招待)には、ニクソン大統領も非常に感謝
しています。
└--------
これでは中国皇帝への拝謁を許された周辺蛮族の使節が、皇帝の格別の仁慈に
感謝しているようで、完全に位負けである。周恩来はその答えに満足したよう
に、さらにこう畳みかけた。
┌--------
その招待は、毛主席の英知と指示によりなされたのです。
└--------
―― 2.CIA報告書『中国人の交渉術』
米中国交正常化交渉は、この後、79年1月、カーター政権下で結実するまで
7年以上も続けられるのだが、中国の外交術に翻弄され続けた米政府は、この
経験を『中国人の交渉術』という報告書にまとめて、中国との交渉を担当する
人間には熟読することを義務づけた。
米国中央情報局=CIA)が発行したこの報告書は、ランド研究所主任研究員
リチャード・ソロモン氏によってとり纏められたのだが、彼はキッシンジャー
の補佐官を務めた人物である。前後20年に及ぶ中国との交渉記録を渉猟し、
さらにニクソン、フォード、カーター、レーガンの歴代政権の高官たち30人
以上にインタビューを行った。
キッシンジャーもインタビューに答えた一人であり、その体験をもとに、この
報告書では随所にキッシンジャーが翻弄された実話がちりばめられている。冒
頭のシーンはその一つである。
キッシンジャーほどの著名な国際政治学者でも実際の交渉の場では手玉にとっ
てしまうほどの高度な外交術を、中国の政治伝統は生み出している。
その分析を行った本書は、日本の対中外交、そして民間企業における交渉にお
いても参考になる。本号では、その一端をご紹介しよう。
―― 3.「中国の友人」を選ぶ
中国の外交術の原則は、国家間の関係は条約などの法的なものでなく、あくま
で個人どうしのつながりに基盤を置く、というものである。
これは、中国の歴代王朝が(現在の中国共産党政権も含めて)、皇帝の独裁を原
則としてきたことから生まれた歴史的な特性だろう。国家間の関係も、企業間
の関係も、まずは相手側との人間関係を作るところから始まる。
その第一ステップは、中国側と個人的関係で結ばれた「中国の友人」を作り出
し、それが相手側の交渉窓口となるよう工作することである。相手国政府内の
ライバル関係、あるいは権力状況を調べて、「中国の友人」として最適な人物
を選び出す。
米中交渉において「中国の友人」として選ばれたのが、キッシンジャー補佐官
であった。71年はじめに中国政府は、ニクソン政権と直接のコンタクトをと
ろうと決めてから、少なくとも二人の仲介者を通じてキッシンジャーに特に会
いたいという意向を伝えている。
最初は71年2月に、喬冠華外務次官がこの意向を北京駐在のノルウェー大使
に伝達した。4月には駐米パキスタン大使が周恩来首相からの同様のメッセー
ジを伝えている。こうした名誉ある「ご指名」に与ったキッシンジャーが、対
中国交回復にどれほどの意欲を燃やしたかは想像に難くない。
―― 4.「中国の友人」への計算され尽くした「熱烈歓迎」
日中国交正常化の場合、「中国の友人」に選ばれたのは田中角栄だった。佐藤
栄作政権の親台湾政策を継承する福田赳夫に対して、田中角栄に訪中招待を呼
びかけ、親中派の大平派、三木派を抱き込んで、田中政権の成立を裏から助け
た。田中角栄は首相に就任した初閣議後の記者会見で「中華人民共和国との国
交正常化交渉を急ぐ」と発言している。 [a]
逆に、「友人」になりえない人物が交渉相手に選ばれそうになると、中国はそ
れを避けるためにあらゆる手段を使う。1980年の米国大統領選の最中に、
親台湾派と見られていた元CIA副長官レイ・クラインが新政権の対中窓口に
なりそうになると、
トウ小平は、副大統領候補ブッシュとの会談で「レイ・クラインとは何者なの
か。クラインの中国に関する見解はレーガン・ブッシュ政策を反映するものな
のか」と厳しく問い詰めた。
そして、クラインがある記者会見で「中国は野蛮」と口を滑らせた発言を大々
的に取り上げ、激烈に非難したのだった。中国敵視政策を決意した政権でない
限り、ここまで非難された人物を対中外交の責任者に任命することはできない
であろう。
「中国の友人」に任命された人間が招待に応じて訪中すると、計算され尽くし
た「熱烈歓迎」を受ける。
キッシンジャーは、ニクソン訪中の事前準備に訪中した際に、中国側がレセプ
ション、名所見物、食事、音楽など綿密に効果を計算して準備を進めているこ
とに強い印象を受けたと述懐している。2回の訪問で、紫禁城と万里の長城に
案内され、さらに北京の現代オペラを観劇させられた。
田中首相が北京入りしたのは、9月の30度を超える暑い日だったが、迎賓館
の部屋は、田中の好きな17度に設定されており、田中の第一声は「ああ涼し
くて助かる」だった。部屋の隅には、さりげなく田中の好きな台湾バナナ、富
有柿、木村屋のあんパンが置いてあった。「これは大変な国に来たな」と日本
側は驚いた。 [a]
―― 5.相手のライバルと競わせる
こうした陰からのバックアップや「熱烈歓迎」で相手国のリーダーと個人的パ
イプを作る事に成功すると、その「中国の友人」を通じて中国は様々な要求や
圧力をかける。
ここで「中国の友人」が反抗することもあるが、それを抑え込む手口がいくつ
かある。一つは「相手のライバルと競わせる」という手である。
冒頭に紹介したように、周恩来首相がキッシンジャーに対して、他にも中国の
招待を待つ米国政治家がたくさんいる、と牽制したのもこの一例である。共和
党のニクソン政権下で国交正常化への進展がはかばかしくなければ、中国訪問
を切望する民主党の多数の政治家に交渉相手を切り替えると脅したのである。
1974年11月、ニクソン訪中後、3年近く経っても、米中交渉がまだ続い
ていたが、トウ小平はキッシンジャーに対して、そのライバルと目されていた
シュレジンジャー国防長官を中国に招待すると告げて、ショックを与えた。
[1,p108]
┌--------
米中関係ではもう一つ考えていることがあります。両国関係がいま冷却してい
るという点です。このため中国政府は国防長官ジェームズ・シュレジンジャー
氏への公式招待を発表する。同氏の訪中は、いまの米中間の諸問題に適切な答
えを与えるでしょう。
└--------
キッシンジャーが「クレムリンでは(驚いて)すぐに政治局会議を開くでしょう
ね」と牽制すると、トウはこうかわした。
┌--------
私たちは気にしません。むしろソ連が政治局会議を開くことを私たちは望んで
います。中国は真剣にこの招待を出しているのです。
└--------
―― 6.われわれはあなた方を必要としない
交渉相手をライバルと競わせて、自分を有利な立場に置くという外交術は、相
手国全体に対しても用いられる。
上記のキッシンジャーとトウ小平の会談の前月、中国首脳は突然、ソ連に向け
てボルシェビキ革命の記念日を祝う電報を打ち、中ソ不可侵条約を提案した。
米中関係が冷却している時期にこんなメッセージが送られただけに、中ソ対立
が解消されるのではないか、との憶測まで流れた。
その直後のキッシンジャーとの会談で、トウ小平は「ソ連の覇権政策は不変」
という見解を強く再確認してみせた。キッシンジャーとの会談を狙って、中国
側が「米中交渉が進展しないと、中ソが再び組むかも知れない」という揺さぶ
りをかけたのだろう。
レーガン大統領が84年春に北京を訪問した際にも、中国側はこの外交術を巧
みに使ってみせた。ソ連のアルキポフ第一副首相がすぐに中国を訪問する予定
だとレーガン大統領に伝えたのである。中国首脳はさらに「日中関係が21世
紀まで円滑に保たれる」と力説して、行き詰まっている米中関係と対比した。
軍事はソ連、経済は日本があるから、アメリカが中国との関係緊密化を望まな
いなら、それでも中国のほうは一向に困らない、という圧力である。
「われわれはあなた方を必要としない。あなた方こそわれわれを必要としてい
るのだ」というのが、中国の慣用句である。
―― 7.時間のプレッシャー
中国のもう一つの外交術は、相手側に「時間のプレッシャー」を与えることで
ある。
キッシンジャーは、1971年10月の二度目の中国訪問の際の共同コミュニ
ケ草案づくりの光景を次のように描いている。 [1,p131]
┌--------
われわれを夕食の蒸し焼きアヒルで腹一杯にさせたあと、周(恩来)氏は、自分
のつくった草案を突きつけてきた。周草案は、一連の問題について極めて非妥
協的な言葉で中国側の立場を述べ立てる一方、米国の立場を述べる空白のペー
ジを残しており、米国の立場は、中国側の立場とは反対になることが予測され
ていた。 [1,p131]
└--------
米国は自身の主張を盛り込むことができるが、中国と米国の主張に何の共通点
もないのであれば、ニクソン訪中は意味のない失敗であるとされてしまう。
キッシンジャーは、「限られた訪問期間の中で何らかの共通点を見いださなけ
ればならない」というプレッシャーをかけられ、翌朝に対案を提示することを
約束した。
┌--------
対案作りは、肉体的な耐久力との競争になった。まず、私が3時間眠っている
間にウィンストン・ロードがコミュニケを練り直した。そして彼がベッドに潜
り込むと、私が夜の明けるまで草案を推敲した。
└--------
共同コミュニケの草案の大部分はこの際にまとまったが、最も重要な台湾問題
に関する合意は、翌年2月のニクソン大統領訪中時にまで持ち越された。
この時もキッシンジャーは、喬冠華外務次官と20時間におよぶ交渉を続けた
が、大統領の北京出発の時間が迫ってくる――――。喬次官は、まとまらない
のなら共同コミュニケを出さなくともよいという虚勢を張ったが、米国側とし
ては、それではニクソン訪中は失敗だった、ということになる。
結局、米国側は大統領の出発の12時間前に台湾問題で譲歩し、「上海コミュ
ニケ」をまとめたのだった。
―― 8.後で都合のようように解釈
こうした「時間のプレッシャー」のもとで、米国は中国側が主張する「一つの
中国」という原則を受け入れた。しかし、そこでは「米国政府は台湾海峡のい
ずれの側の中国人も、中国は一つであり、台湾は中国の一部だとみていること
を認識し、その立場には挑戦しない」という文言であった。
これなら台湾側が「中国は中華民国という一つの国であり、台湾はその一部」
という主張をしている事も米国政府は「認識」していることになる。極端な時
間のプレッシャーの下で、キッシンジャーが考え出した天才的な苦肉の策であ
る。
しかし、この苦肉の策も、老練な中国の外交術に手玉にとられることになる。
中国側は後に「台湾は中華人民共和国の一部である事を米国が承認した」とい
うように一方的にねじ曲げて解釈してしまう。
77年1月、カーターが大統領就任直前に、「台湾は(中国とは)別の国」と述
べたことに対して、上海コミュニケ違反として批判した。さらに米国が台湾に
武器を売却する都度、「上海コミュニケ違反」として非難した。
合意事項を含みのある文面にしておき、後の自分に有利な形に解釈する、とい
う中国の戦術は、日本との交渉においても発揮されている。 [a]
―― 9.敵を知り己を知らば百戦危うからず
以上のような中国人の外交術は天才的なものではあるが、様々な交渉において
繰り返し見られる一定のパターンである。
逆に言えば、そのパターンを知っていれば、こちらに有利な形で交渉が進めら
れる。だからこそ米国は、このレポートをまとめて、中国との交渉担当者に読
ませているである。我が国の外交担当者や国際的なビジネスマンも、こうした
研究が必要である。
「敵を知り己を知らば百戦危うからず」とは孫子の言葉である。
= おわり = (文責:伊勢雅臣)
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参考リンク:
a.JOG(312) 「日中国交正常化」〜幻想から幻滅へ
そもそものボタンの掛け違えは、田中角栄の「日中国交正常化」での「異
常」な交渉にあった。
参考書籍(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1.産経新聞外信部翻訳『中国人の交渉術―CIA秘密研究』★★文藝春秋 H7
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