国際派日本人養成講座 ――――― by 伊勢雅臣さん
☆ 地球史探訪:インド独立に賭けた男たち(下) ――― 2007/08/20

デリーへ!:チャンドラ・ボースとインド国民軍の戦いが、インド国民の自由
独立への思いに火を灯した。

―― 1.マダガスカル島沖での邂逅

昭和18(1943)年4月26日未明、日本海軍のイ−29号潜水艦は、インド洋
のマダガスカル島南東沖に浮上した。まだ夜明け前で海は暗く波も荒かった。
30分ほど経ってやや明るくなった時、見張りの一人が「潜水艦発見!」と叫
んだ。

ドイツのUボート80号である。2月8日、フランスのブレスト港を出港して
以来、79日もかけて大西洋を南下し、アフリカの喜望峰を回ってやってきた
のだった。

2隻の潜水艦は互いに接近し、荒波の中でロープを渡して10人乗りのボート
3隻を組み立てて物の受け渡しを行った。日本側からは、長さ6メートルもあ
る無航跡魚雷の実物、ドイツからは、対戦車砲の特殊弾や、マラリアの特効薬
キニーネ2トンなどの交換が行われた。――――次に日本側から、造船研究の
交流のためにドイツに渡る海軍士官2名、ドイツ側からは、2人のインド人が
相手の艦に移動した。

インド人の2人は、インド独立運動の指導者スバス・チャンドラ・ボースとそ
の秘書であった。ボースは、ガンジー、ネールと並ぶインド政界の大立者で、
一時ガンジーと衝突してインド国民会議派の議長にもなった人物である。反英
運動を理由に英国官憲に逮捕され、自宅に監禁されていたところを脱出し、ア
フガニスタンからソ連経由でドイツに逃れていたのである。

日本軍がマレー、シンガポールを占領したので、やがてビルマに入り、インド
国境に迫るようになるとボースは考えた。そこで、何とか現地に行って日本軍
と共に戦いたいと、日独双方に何度も要望し、ついに両国政府の同意を得て今
回の潜水艦による引き渡しとなったのであった。

―― 2.ボースに魅了された東条首相

ボースは、ペナン、サイゴン、台北を経て、5月16日に東京に到着した。

6月に入って、ようやく東条首相との会見ができた。ボースに会った首相は、
いっぺんにその人柄に魅せられた。烈々たる愛国の至情、卓越した識見、端正
な挙措動作、明快なインド独立への主張は東条首相の心をゆさぶった。

6月16日、第82臨時議会の本会議では、ボースを招き、東条首相は次のよ
うな大演説を行った。

 インド独立のため、帝国のあらゆる手段をつくすべき牢固たる決意を示し、
 インドの民衆の独立完遂は必ずや実現され、インドの自由と繁栄とがもたら
 される日の遠からざるを確信し、大東亜戦争の完遂なくして大東亜の解放な
 く、大東亜の建設なくして大東亜の福祉なし、、、

6月21日、ボースは東京からのラジオ放送で、はじめてインド向けの第一声
を発した。

 いまや私は東京にある。東条首相は議会において、インドに関する重要演説
 をおこなったが、これは劃期的宣言として永久に青史に伝えられるべきもの
 である。

シンガポールでインド国民軍の幹部が食い入るようにこの放送を聞いていた。
    
―― 3.ボース万歳!革命万歳!
    
10日ほど後の7月2日、シンガポール・カラン飛行場では、美しく晴れ渡っ
た朝空が広がっていた。飛行場では、インド国民軍の一個大隊が厳粛な面持ち
でずらりと並び、ロビーには国民軍とインド独立連盟の幹部が続々と詰めかけ
ていた。[a]

東の空に一点となって現れた飛行機は、みるみる近づいて着陸した。

扉が開かれ、堂々とした体格ながら理知的な風貌の男が、しっかりとした足取
りでタラップを降りた。ロビーから大歓声があがった。待ちに待ったボースが
ついにインド国民軍の前に姿を現したのである。

歓迎の閲兵式が行われた。国民軍一個大隊は、号令一下、「捧げ銃[つつ]」の
礼を行った。ラッパが高らかに鳴り響いた。ボースは、インド兵一人ひとりの
顔を食い入るように見つめながらその前を歩いていく。その目から一条の涙が
つたった。ボースが求めてやまなかった独立のための軍隊が、ここに忽然と出
現したのである。

閲兵が終わって、ボースが車の中に乗り込んだとき、兵士たちはいっせいに左
手をあげて叫んだ。

 ボース・キ・ジャイ!ボース・キ・ジャイ!
 (ボース万歳!、ボース万歳!)

 インクラブ・ジンダバア!インクラブ・ジンダバア!
 (革命万歳!、革命万歳!)

将兵たちの心に、独立への炎が燃えさかった。
    
―― 4.デリーへ、デリーへ

3日後の7月5日、ボースのインド国民軍最高司令官就任を記念する大閲兵分
列式がシンガポール市庁前でおこなわれた。長身で恰幅[かっぷく]のよいボー
スは、カーキ色の国民軍の制服に身を固め、堂々たる将軍ぶりである。壇上に
立ったボースは、低い、よくとおる声で演説を始めた。

 今日は、私の生涯においてもっとも誇りとする日である。インド国民軍の結
 成を世界に宣言する日である。この軍隊が、かつて英帝国の牙城たりしシン
 ガポールに編成されたことは意義深いものがある。この英国の基地に立って
 いると、英帝国すでになしとの感が深い。

 同志諸君!わが兵士諸君!諸君の雄叫びはチェロ・デリー、チェロ・デリー
 (デリーへ、デリーへ)である。デリーが再びわれらがものとなるまでは!

ボースの声はしだいに熱を帯び、満場は逆に静まりかえっている。

 私は、かならず諸君を勝利と自由に導き得ることを確信する。われわれのう
 ち、幾人が生きて自由インドを見るかは問題でない。われわれの母国インド
 が自由になること、インドを自由にするため、われわれがすべてを捧げるこ
 と、それで充分なのである。

兵の中から「チェロ・デリー!チェロ・デリー!」の叫びがあがった。大群衆
もこれに唱和して爆発的な叫びとなった。
    
―― 5.インド仮政府樹立と対英米宣戦布告

インド国民軍最高司令官に就任したボースは、軍の増強に精力を傾けた。就任
の際に1万3千名だった国民軍は、最終的には4万人の規模となった。

同時にボースは国民軍の最精鋭をビルマに進撃させることとした。将兵は争っ
てこれに志願し、最高の装備を持った一個連隊を組織した。連隊長にはシャナ
ワーズ・カーン中佐(終戦後、ネール政権で鉄道省副首相)が任ぜられ、650
キロを行軍してラングーンに到着した。

ボースは同時に、卓越した政治手腕を発揮して体制作りを進めた。昭和18年
10月21日、自由インド仮政府を樹立し、2日後、日本政府から承認を受け
た。25日には自由インド仮政府は、交戦権ある政府として英米に対して堂々
と宣戦を布告した。
    
―― 6.これこそ、私の宝です

同年11月5、6日の二日間、東京にて大東亜会議が開かれた。欧米勢力から
の自由と独立を目指すアジアの国々の元首が一同に集い大東亜共同宣言を採択
して全世界に発表すると共に、相互の協力を緊密にしようという趣旨である。
[b]

参加者は、南京政府の王兆銘首席、満洲国の張景恵総理、フィリピンのホセ・
ラウレル大統領、ビルマのバー・モウ総理、タイ代表ワンワイタヤコーン殿下
そしてオブザーバーとして加わった自由インド仮政府のチャンドラ・ボース首
席だった。

ボースがオブザーバー参加としたのは、インド国内のガンジー、ネールにひき
いられたインド国民会議派から、日本の傀儡[かいらい]との誹謗を受けないた
めの用心であった。しかし、この会議はインド仮政府の存在を全世界に印象づ
け、また、各国首脳との交流を図る上でまたとない好機であった。

会議の二日目、「大東亜戦争を完遂し、大東亜を米英の桎梏[しっこく]=足か
せと手かせ)より解放」する事を謳った大東亜宣言を採択した。その後、ビル
マのバーモウ総理の提案で、インドを英国から解放しようとしているボースに
完全なる支援を与える、という宣言が追加された。

これに応えてボースは、「インド国民軍は、一身の生死を省みることなくイン
ドの自由を求める」との決心を語った。

4週間後にシンガポールに戻ったボースは、国塚中尉を呼んだ。ボースは日本
で立派な美術品や日本刀などを贈られたが、インドが独立した時にまたいただ
く、と皆返しておいた、と語った。しかしこれだけは貰ってきた、と国塚中尉
に見せたのは、青竹の一節で作った貯金箱で、振ってみるとたくさんの硬貨が
入っている。中尉が怪訝な顔をしていると、ボースは「まあ、この手紙を読ん
でごらん」と、たどたどしい文字で書かれた便箋を渡した。

 コノオカネハ、ワズカデスガ、ボクガチョキンシタモノデス。インドノヘイ
 タイサンニアゲテクダサイ。

「これこそ、私の宝です。大切にします」と言って、ボースは貯金箱を自分の
キャビネットにしまった。
    
―― 7.日本が負けないうちにインド侵攻作戦を

ボースは大東亜会議の最中に、随員を駆使して各国の代表から日本の戦争能力
占領地の統治能力を秘密裡に探らせた。その結果、「大東亜戦争での日本の勝
利は到底おぼつかない。日本が負けないうちにインド侵攻作戦を進めさせて、
独立までもって行かなければならない」との決意を密かに固めたようだった。

ビルマ方面軍の高級参謀であった片倉衷[ただし]少将は『インパールの悲劇』
と題する語録のなかで、「チャンドラ・ボースがインド国民軍を組織して、直
接、間接にインド侵攻の企図を告げ、援助をしきりに頼むわけです」と、いか
にも迷惑そうに書いている。

しかし、ビルマを占領すれば重慶の蒋介石軍に対する軍需物資補給路を断つこ
とになり、中国大陸での抵抗を止めさせるという効果を期待できる。さらには
インドに侵攻すれば、反英運動を激化させ、英国をインドから駆逐する契機に
なるかもしれない。日本にとって起死回生の一策でもあった。
    
―― 8.諸君の血のみが独立を勝ち得る!

昭和19年1月9日、インパール作戦が開始された。インド北東部の都市で、
イギリス軍の主要拠点であるインパールを攻略しようというのである。

しかしこの作戦には、日本軍が経験したことのない多くの困難が待ちかまえて
いた。第一に、北ビルマから東インドは、千メートルから3千メートルの山並
みが続く山岳地帯である。道路といえば、かろうじて牛車が通れる山道がある
程度で、食料、弾薬の補給が難しい。しかも、大樹海やジャングルに覆われ、
マラリアや赤痢などの巣窟である。さらに、5月末から始まる雨期には、雨量
が8千ミリにも上り、道路は川と化してしまう。

日本軍3個師団と、インド国民軍からシャナワーズ・カーン中佐率いる一個連
隊が出発した。ボースはこの連隊に大いなる希望をかけ、こう激励した。

 諸君は、いま飢餓に苦しんでいるインド数億の同胞を救う軍隊である。この
 軍隊には、英印軍のような快適さはない。ただ渇き、飢え、行軍、最後に死
 があるのみである。しかし銘記せよ! 諸君の血のみが独立を勝ち得るので
 ある。

ボースの期待を受けたインド国民軍の連隊は、日本軍と協力して次々と敵陣を
落とし、2月中旬にはついに国境を越えて、インド領のモードックの地に立っ
た。はじめて自分の力で得た祖国の自由の地。インド国民軍の将兵は土を握り
しめ、大地に転がり、地面に頬をつけて接吻した。

期せずして、愛国の詩人タゴールの作ったインド国歌が歌い始められ、全将兵
は流れ落ちる涙をぬぐいもせずに、直立不動の姿勢で歌い続けた。

しかし、航空機で補給を受ける英軍に対して、補給能力の限られた日印連合軍
は、弾薬や糧食が尽き、5月末にはついに撤退の命令が下った。すでに雨期に
入り、土砂降りの雨の中の撤退で、日印軍10万のうち、3万の将兵が原野に
屍を晒した。インド国民軍も数千の死者を出した。
    
―― 9.インドは遠からず、必ず独立する

昭和20年8月15日、ついに日本は降伏した。ボースはなおも屈せず、満洲
に渡って、南下してくるソ連軍に身を投じて、独立運動を続けることを決意し
た。まさに不屈の志士である。

しかし満洲への途上、台北を離陸しようとした陸軍の軍用機が墜落炎上。全身
に火傷を負ったボースは副官にこう語った。これがボースの遺言となった。

 君がインドに帰ったら、ボースは最後の息をひきとるまで独立のために戦っ
 たと伝えてくれ。私が死んでも、我々の同胞はこの戦いをつづけてくれる。
 インドは遠からず必ず独立する。

日本の降伏に伴って、インド国民軍も連合軍に降伏した。そして英国が、イン
ド国民軍の指導者たちを「反逆者」として軍事裁判にかけた時、インド各地で
憤激した群衆が暴動を起こした。さらに英海軍の一部であったインド人乗組員
が、ボンベイ、カラチ、カルカッタなどで一斉に反乱を起こし、これに呼応し
て各地でストライキが始まった。

インド全土での反乱には英国もなすすべもなく、1947(昭和22)年8月1
5日、インドは独立を勝ち得た。当時のアトリー首相は後に、なぜ連合軍とし
て勝利した英国がインドから撤退したのか、と聞かれてこう答えている。

 英印軍のインド兵の、英人指揮官に対する忠誠心が、チャンドラ・ボースの
 やった仕事のために低下したということですよ。[1,p248]

日本とともに立ち上がったチャンドラ・ボースとインド国民軍の戦いが、イン
ド国民の自由独立への思いに火を灯したのである。

                =(文責:伊勢雅臣)この稿おわり =
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関連リンク
a. JOG(508) インド独立に賭けた男たち(上)〜 シンガポールへ
 誠心誠意インド投降兵に尽くす国塚少尉の姿に、彼らは共に戦う事を決意し
 た。 http://blog.mag2.com/m/log/0000000699/108827729.html

b. JOG(338) 大東亜会議 〜 独立志士たちの宴
 昭和18年末の東京、独立を目指すアジア諸国のリーダー達が、史上初めて
 一堂に会した。
 http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h16/jog338.html

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