国際派日本人養成講座 ――――― by 伊勢雅臣さん
☆ 地球史探訪:インド独立に賭けた男たち(上) ――― 2007/08/13

シンガポールへ:誠心誠意インド投降兵に尽くす国塚少尉の姿に、彼らは共に
戦う事を決意した。

―― 1.アテンション(気をつけ)!

1941(昭和16)年12月、タイからマレーシアに入った国境近くのジット
ラの陣地は、すがすがしい南洋の朝を迎えていた。英軍が構築したこの陣地を
シンガポール攻略を目指す日本陸軍第5師団が夜襲戦法で攻略したばかりだっ
た。
100人ほどの投降したインド兵を前に、参謀部付通訳・国塚一乗(かずのり)
少尉が叫んだ。

 アテンション(気をつけ)!

無気力状態だったインド兵たちは、急に目が覚めたように、軍靴をカチッ!と
ならして「気をつけ」をした。さすがにプロの軍隊、それもインドから選りす
ぐって派遣された兵たちである。緊張感を漲らせて次の命令を待つ。

「右向け右!」「駆け足!」と国塚少尉は次々に命令を下し、インド兵たちは
見事にそれに従った。彼らの顔に畏敬の念が浮かぶ。「どうしてこの黄色い顔
をした日本人は、あの英人将校と同じように号令をかけて、我々を自在に動か
せるのか?」

訓練が終わると、国塚少尉はこう語りかけた。

 われわれは、けっして君たちを殺さない。敵性人とは認めない。友情をもっ
 て取り扱い、その生命と名誉を尊重する。

英語のできるインド兵がこれをインド語に訳した。兵たちの顔に、みるみる明
るさがさしてきた。

―― 2.なんといういい男たちだ

日本軍はインド兵を殺さない、という噂が伝わると、どこからともなく次々と
インド兵が投降してきて200名ほどになった。国塚少尉は、急に200人の
部下を持つ隊長になってしまったわけである。

まずは糧食を調達しなければならない。インド兵たちは、近くに英軍が置き去
りにした兵舎があるという。行ってみると、食料、酒、衣料などが山のように
あった。

国塚少尉が「皆で大宴会をやろう」と提案すると、皆は沸き立った。兵たちは
インド料理を作って山のように盛り上げた。国塚少尉がインド兵と同じように
手づかみで食べだすと歓声があがった。英軍将校はこんな事はしなかったよう
だ。〜〜〜口が裂けるほど辛いカレーを食べて目を白黒させると爆笑が起こっ
た。そのうちに踊りが始まり、国塚少尉も手拍子で和した。

「なんといういい男たちだ。俺はこの連中のためなら、どんなこともしてやろ
う」と国塚少尉は決心した。

その思いはインド兵たちも同じだった。近くの飛行場を修理する作業を始める
と、彼らは「日本のこの若い少尉に手柄を立てさせてやろう」と、4時間労働
という英軍規定など無視して一心に働いた。仕事が面白いようにはかどった。

―― 3.F機関へ

そこにたまたま居合わせた中佐参謀が、インド兵たちを見事に指揮する国塚少
尉の姿に感動して声をかけた。「おまえは異民族を扱う天才だな。特務機関に
入れてやる。明日午前10時、軍司令部へ来い」

翌朝、軍司令部に出頭すると、30代半ばのがっちりした体格で、軍人のくせ
に長髪の人物に引き合わされた。藤原特務機関長・藤原岩市少佐であった。少
佐に与えられた任務は「インド独立連盟、マレー人、シナ人らの反英団体との
連絡ならびにその運動の支援」だった。藤原少佐は、陸軍大学で準恩賜賞を授
与され、参謀本部作戦課という中枢に配属されたエリート中のエリートであっ
た。

少佐は、わずか6名の部下を率いてF(藤原)機関を創設し、マレー半島を南下
する陸軍部隊の陰で反英活動を支援していたのである。特にマレー作戦の目的
地であるシンガポールは、大英帝国の極東最大の要塞であり、護る英軍10万
の半分はインド兵である。彼らを敵にするか味方にするかは、マレー作戦の成
否を左右する重大な鍵であった。

藤原少佐の国塚少尉への第一声はこうだった。

 皇軍の行う謀略は「誠」の一字あるのみだ。至誠、仁愛、情熱をもって任務
 を遂行しなくてはならぬ。広大な陛下の大御心を、身をもって戦地の住民と
 敵に伝えることだ。

藤原少佐は、自らの使命を「アジア各民族が独立協和する大東亜新秩序の理念
を実現するために、インドの独立と日印提携の開拓を図る」ことと受けとめて
いた。それが陛下の大御心であり、それを「至誠、仁愛、情熱」をもって遂行
しようとしていた。

ちょうど、「インド兵たちのためにどんなことでもしてやろう」と決心してい
た、20代半ばの血気盛んな国塚少尉は、この言葉に心の支えを得た。

―― 4.ジープにはためくインド国旗

藤原少佐は、開戦前に、バンコクでインド独立運動を展開しているインド人グ
ループと接触し、そのリーダーの一人、プリタム・シンをマレー戦線に連れて
きていた。

国塚少尉が藤原少佐を訪問する数日前、プリタム・シンと気脈を通じている現
地のゴム園オーナーから、英印軍一個大隊がジャングルを逃走中である、との
情報がもたらされた。

藤原少佐は、非武装で、プリタム・シンと通訳を連れただけでその大隊を訪れ
た。インドの敗残兵たちは、シープにはためくインド国旗を見て茫然とし、戦
意を失った。英印軍は、大隊長のみがイギリス人で、中隊長以下は全てインド
人だった。

藤原少佐が投降を勧めると、インド兵達の戦意喪失のさまを見ていた英人大隊
長は受諾した。藤原少佐は大勢のインド将兵たちに大声で語りかけた。

 諸君!私は日本軍の藤原少佐である。ただいま、君たちの大隊長は私の勧告
 を容れて投降文書にサインをした。私は君たちを、インド独立連盟のプリタ
 ム・シン氏と一緒に迎えに来た。

プリタム・シンがこれをインド語に訳すと、歓喜のどよめきがあがった。

―― 5.モン・シン大尉の決意

投降した一個大隊の中隊長の一人、モン・シン大尉が、その後のインド将兵達
のリーダーとなった。大尉は全将兵を集合させて、きびきびと投降処置をとら
せた。

国塚少尉がF機関に入って与えられた任務が、この大隊の世話と、モン・シン
大尉との連絡役だった。藤原少佐はモン・シン大尉と連夜懇談を重ねて、日本
軍と共に立ち上がって英軍と戦うよう勧めたが、英軍から日本軍の残虐ぶりを
吹き込まれていたモン・シン大尉は藤原少佐の話を急には信じられなかった。

自分たちを騙して、英軍と戦わせるための謀略かもしれないと疑った。

国塚少尉は、モン・シン大尉の疑いを解くには、大隊と一緒に生活する自分が
身をもって日本人としての誠意を見せなければならないと考えた。

インド人は、古代の輝かしい精神文化やムガール帝国時代の文化を誇りに思っ
ている。しかし、イギリス人が征服民族としてなにかと優越感をひけらかし、
彼らの自尊心を傷つけていた。

国塚少尉は、インド人の心を捉えようとするなら、彼らの文化伝統、生活習慣
を尊重するしかない、と考えた。そこで毎日、カレーを主としたインド料理を
手づかみで食べ、公務が終わるとインド人将校と同様に白い腰巻きに着替えて
インド煙草を喫い、インド英語で話した。そして、献身的にインド将兵の世話
をした。

モン・シン大尉が急に発熱して病の床に伏した時には、国塚少尉は、朝に夕に
看病に努めた。額に手を当てる国塚少尉を、モン・シン大尉は感謝の気持ちで
見上げるようになった。

ようやく熱も下がった12月30日、モン・シン大尉は国塚少尉に、全員一致
でインド独立のために立ち上がる決意を固めた、と語った。

―― 6.インド国民軍と日本軍とは同盟関係の友軍とみなす

モン・シン大尉は藤原少佐に、日本側への希望事項を文書にして渡した。
「インド国民軍を編成し、最高指揮官をモン・シン大尉とする」
「インド国民軍と日本軍とは、同盟関係の友軍とみなす」

など、あくまでも独立国の正規軍として立とうという決意に満ちていた。しか
し、その希望事項を正式に約束するには然るべき手続きが必要なので、実質的
に希望に応ずるよう、第25軍司令官山下奉文(ともゆき)中将の認可を得た。

立ち上がったインド国民軍の最初の任務は、英印軍内のインド将兵を投降させ
自軍に引き入れることである。そのためにモン・シン大尉は、自ら厳選した兵
をもって70名の決死特殊工作隊を作った。5、6名を一班とし、これにF機
関員一人がついて、最前線を通過して敵地に侵入し、インド兵を説得して投降
させるという作戦である。前線を通過する際に、日本軍に間違って攻撃される
恐れもあるし、また英軍からも攻撃される危険な任務である。

この作戦は成功し、投降するインド将兵は日を追って増えていった。

―― 7.さあ、俺のところに来い!

2月13日、英軍を撃破しつつマレー半島1千キロを南下した日本軍は、いよ
いよシンガポールを望むジョホールバルに陣取って総攻撃を始めた。英軍の主
要抵抗線の一つであるニースン兵営では、英軍のインド兵が必死の抗戦を続け
日本の近衛師団の猛攻にも関わらず戦局は動かなかった。

この状況を見て、インド国民軍の工作隊長アラ・ディッタ大尉は、単身、英印
軍一個大隊の最前線へ乗り込んでいった。しばらく前方を睨んだ後、急に意を
決して、身体をかがめて走り出した。「危ない!撃たれる!」と日本兵が思っ
た瞬間、大尉は仁王立ちになって大音声で叫んだ。

 友よ、撃つな!俺は第22山砲連隊のアラ・ディッタ・カーンだ。日本軍は
 われわれを殺さない!われわれの友人だ!戦闘を止めろ!

意外な同胞の呼びかけに、敵陣は一瞬射撃を止めた。この機を彼は逃さなかっ
た。

 俺たちはインド国民軍を作った。日本軍は味方だ。敵ではない。マレーには
 数千の同志がいる。さあ、俺のところに来い。

アラ・ディッタ大尉は、ポケットからインド国旗を出してチカラ一杯降り続け
た。敵陣から2、3人が飛び出してきた。それに遅れまいと、多くのインド兵
が続いた。ニースンの兵営の上に白旗があがった。

―― 8.英軍降伏

ニースンに駆けつける途中の藤原少佐は、副参謀長から声をかけられた。「お
い藤原、エライことをやってくれたな。これで英印軍は大動揺だ。もっとジャ
ンジャンやれ」
激戦はまだまだ続いたが、その後、英軍はニースンの出来事に懲りて、白人兵
のみで抵抗を続けた。

2月15日、藤原少佐の伝令がやってきて、「英軍降伏」の報をもたらした。
国塚少尉とモン・シン大尉が外に飛び出すと、ジョホールの方角にゆらりと観
測気球があがり、「敵軍降伏」の大文字をつり下げた。あちこちからいっせい
に遠雷のような万歳の声があがり、こだました。

ゴム園に避難していたマレー人、中国人、インド人の老若男女が、歓喜の声を
あげながら家路に急ぐ。

マレー・シンガポール攻略戦は、1200キロの距離を72日で快進撃し、兵
力3倍の英軍を降伏させて10万余を捕虜とした稀代の名作戦として世界の兵
家から賞賛された。その陰には、インド国民軍の活躍があった。

―― 9.大尉とともに銃をとらん!

シンガポール陥落の翌々日、2月17日、まぶしいばかりの好天のもと、旧競
馬場ファラ・パークに、4万5千名のインド兵部隊が集められた。

藤原少佐が演説壇上に立つと、すべての視線が集まった。自分たちは今後どう
なるのか、と重苦しい空気が流れる――――。

 親愛なるインド兵諸君!私は日本軍を代表して、英軍当局から諸君を接収し
 た。諸君と日本軍、さらにインド国民と日本国民との友愛を結ぶために参っ
 た藤原少佐であります。

これが英語、更にインド語に訳されると、怒濤のようなざわめきが起こった。
藤原少佐は続けた。

 日本の戦争目的は、一に東亜民族の解放にあり、日本はインドの独立達成を
 願望し、誠意ある援助を行う。ただし、日本はいっさいの野心ないことを誓
 う。インド国民軍、インド独立連盟の活動に敬意を表し、日本はインド兵を
 友愛の念をもって遇する。もし国民軍に参加したいものがあれば、日本は俘
 虜のとり扱いを停止し、運動の自由を認め、いっさいの援助をおこなう。

数万のインド兵は歓声をあげて乱舞した。幾千という軍帽が大空に舞い上がっ
た。
興奮の静まるのを待ってモン・シン大尉が壇上に立った。大尉は、インド国民
軍の今日に至るまでの活動を報告し、いまこそこの天与の好機に乗じて祖国の
ために奮起することを望むと訴えた。全員総立ちになって、大尉とともに銃を
とらん!と呼号した。

                =(文責:伊勢雅臣)この稿つづく =
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