異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん
☆ アクモリンスク収容所(9) ――――――――――― 2008/10/06

――【特異体験―3 美人マダムと警備兵..大変な相談】

この椿事だけは、私の一生にただ一度だけ遭遇した大変な事件で、とても二度
とは遭うことのできない貴重な(?)体験だった。

前に書いたが、この食堂の主人、つまりマダムの夫は、農繁期の約半年は各地
のコルホーズに単身赴任する。したがってその間マダムはシングルの暮らしと
なるわけである。昼の間は何かと気が紛れるかも知れないが、女盛りの孤閨は
実に虚しいものであったろうことは想像に難くない。

お国柄、この国では、夫以外に交際相手を求めることはさして難事ではないの
だが、生憎とここでは、青壮年の男女は殆ど働きに出ているので、誰も残って
いない。

そこで、我々の警備兵として同行してきた「ビッシェロフ」がその相手に選ば
れた。ーーー『美女と野獣』という言葉がぴったりの取り合わせであった。

マダム・トーリヤは、スラリと長身で、均整の取れた碧眼金髪の典型的なスラ
ブ美人。ところがタタール系の彼は、1メートル60そこそこ、がっしりした
体格ではあるが、東洋人種特有の皮膚の色、髪の色も瞳の色も我々日本人と大
差ない。

いや寧ろ、我々十五人の中には彼よりも数段上の美男子もいたのだが、不思議
に誰にもお声が掛からなかったらしい。

彼と彼女が普通以上に親密になったのは、我々が当地に来て一週間も経たぬ頃
からだった。

皆をそれぞれの仕事に割り当て、その仕事振りを見て回るのが彼らの任務なの
だが、大半の時間はこの食堂に来て皆と話し込んだり、炊事場に入ってきて自
分の料理を作らせたりした。

マダムとの話の遣り取りの具合から、普通の仲ではないなと直ぐに感じ取られ
た。

ビツシェロフには、彼自慢のスタミナ料理があった。

夕食の跡片付けをしている炊事場に入って来ると、大きなフライパンを火にか
ける。それに五十グラムぐらいのバターと、羊の脂身を入れてドロドロに溶か
す。そして、ヤイッツオ(鶏卵)六、七個を割ってその鍋に入れる。

目玉焼きみたいなものだが目玉が六つも七つもあったら化け物だ。バターが多
量なので焦げ付くようなことはないが、卵焼きというか卵揚げというか、兎に
角できる。

これの出来上がる前に、ニンニク一玉を刻んで振りかけ、食塩で味をつける。
「これが今晩の俺のスタミナ食だ!」と豪語する彼が「食ってみろ」と一切れ
を差し出すが、とても我々が口にできるような代物ではない。

そんなふうで、彼は我々の家で寝ることは稀だった。おそらく毎晩彼女の許へ
通っていたのだろう。

ここに来て三ヶ月程も経ったある日、私は食堂の隅のテーブルのマダムに呼び
寄せられた。辺りに人も居ないのに、なお声を潜めて話を切り出した。

「エトー、赤ちゃんができたのが=妊娠したのが)分かるか?」
「ええっ?・?」

私はその言葉の意味が理解できずに返事に困った。するとマダムは重ねて「実
は私は妊娠したらしいのだ。三ヶ月ぐらいだと思うがはっきりしない。お前は
ドクトルだから分かるだろう」と言った。

冗談じゃない!俺は産婦人科の医師じゃない!

ーーーでも、若干の興味はあるなと持ち前の助平心が頭を持ち上げた。

「ああ、それは診れば分かるかも知れないな」と曖昧に答えた。

詳しく話を聞いて、肚の中で呆れ返ってしまった。教育勅語や修身で育ち、軍
人勅諭と戦陣訓をたたき込まれた我々にはとても理解できる話ではなかったが
次のようなものであった。

彼女がビッシェロフとデキたのは、我々が到着してから一週間も経たないころ
だったという。ところが我々は全く気づかなかったが、同じ頃から、もう一人
の警備兵マッキャモフともデキていたと言うのであった。

もし彼女が危惧する妊娠が事実だったら、一騒動起こることは間違いない。

何故なら、彼女の夫は純粋なスラブ系のロシヤ人である。とすれば二人の間に
髪や、皮膚の色の違う子供ができるわけがない。況して夫婦が離れて暮らすよ
うになってからの日数も合わない。

彼女に聞いたら、警備兵のどちらかの子に間違いはないのだが、どちらの子と
いう確信はないと言った。

その日は一先ず話はそこまでで別れたのであったが、その翌朝が大変な事態に
なってしまった。

                           = つづく =
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┌──────────「吉田一彦さん」50代@男性@自営業@東北 カラカンダとかナホトカという地名を、親父から聞いたことがあった。 ーーー私の親父もシベリア抑留組である。 親父も、シベリヤでの苦しかったことや悲しかったことは話さなかった。親父 はどこかの(聞いたが忘れた)炭鉱とか農場で働かされたといっていた。 「シベリア鉄道(工事)に行かなくて良かった。向こうに行っていたら死んでた な」と言っていた。まぁ、自分のいたコルホーズだかソホーズだかではロシア の兵隊も日本人の抑留者も似たような生活レベルだったと言っていた。 親父が多く想い出として話していたのは、捕まって貨車で送られる途中、特に 警備の兵はいないのか?腹が減ったので貨車から降りて、あたり一面にはえて いる大豆畑から失敬して焼いて食べた。 そうしたら皆腹を下して、走る貨車から皆でケツ出して下痢便してたというこ とと、収容所に着いて裸にさせられ、何だと思ったら今まで着ていたボロじゃ ない新しい衣服、帽子、靴を配給された。ただサイズが大きかったらしく、後 でドイツ兵が着てたやつかと思い当たったと言っていた。 ドイツ兵といえば、収容所の飯はジャガイモで、日本人は皮を剥いて残すが、 その残った皮をドイツ人がクレクレともっていって食べていたそうだ。ドイツ 人はジャガイモの皮も食べるんだと思ったらしい。 どこでかは忘れたが、生まれて初めて馬に乗ったそうだ。(ただしどうも背が 低いようなのでロバじゃないかと私は思っている)案の定というか、曲がり角 で滑り落ちたらしい。馬が不思議そうな顔で落ちた自分を見ていたそうだ。 こんな親父も、心肺停止になり今はICUであの世とこの世の間にいる。 ーーーまた抑留の記憶がひとつ消えてしまうかもしれない。 親父の枕もとの雑記長にこんな文があった。  むかし国 いまは予算に 殺される やさしい親父ではあるが、いまだに許さない気持がここにあるのだなと、、。 ーーーつくずく戦争、国家主権にダメだしをしている。
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ライターの江藤一市さんも現在は連絡が取れなくなっています。おそらくは‥ 戦争体験者は次々と消え去っていきます――――。 戦中日記のようなものをつけていて、それを持ち帰ることができた方がおられ て、ご家族が保管されている、ーーーご提供いただける方はおられないでしょ うかーーー。 └────────── ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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