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異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん |
☆ アクモリンスク収容所(6) ――――――――――― 2008/09/15
―― 【可愛い妹】
ここに到着して十日目ぐらいのある夜の事だった。
十時も過ぎてから、激しいノックと、そして「ドクトル!ドクトル!」と呼ぶ
声に目が覚めた。ーーー出てみると、すぐ近所に住む老婆であった。話を聞く
と、一緒に住んでいるドーチカ(孫娘)が高熱で苦しんでいるので、すぐに来て
くれとのことだった。
警備兵のマッキャモフも直ぐ行ってやれとのことだったので、体温計と注射用
具一式、若干の薬品の入った鞄を提げて、老婆と共にその家に行った。
この集落には医者は全く居ない。普段は30キロ程離れた隣の村の医療所まで
行っていた。それが遠いので、一寸した腹痛や小さな怪我などは、よく手当し
てやっていたので、恥かしながら通称「ドクトル」で通っていた。
決して自称した覚えはないのですぞ!
私はよく「俺はセネタール(衛生兵】だ」とは言っていたが・・・・
着いてみると、八歳になるドーチカは、高熱に真っ赤な顔をして泣き叫ぶ元気
もなくしたのか、ぐったりとしてベッドに横たわっていた。測定はしなくても
大体は判るのだが、体温計を入れると間もなく四十度近くまで上がる高熱。
上半身を裸にして聴診器をあて、更に一応胸部、腹部の、触診、打診と格好を
つけた。----ドクトルの威厳保持のため----
おもむろに注射器を取り出し、バグノン=マラリヤ等の高熱時の解熱剤硫酸キ
ニーネ)のアンプルを切る。子供なので過剰反応があってはと、アンプルの半
量ほどを注射した。その時初めて「アーオ・バリッツ!(ああっ、痛い!)」と
泣き声を上げた。
更にアスピリンを与え、今晩と明朝一錠ずつの服用を指示した。
老婆の「バリショイ・ワーム・スパシーバ(大変ありがとう!)」を脊に聞きな
がら、「明日の朝また来るからね」と言い残して帰った。
ところが翌朝、まだ八時半頃、私と林は、皆が作業に出た後の整理、清掃をし
ていると、昨夜の老婆とドーチカがやって来た。老婆は両手に何か提げ、すっ
かり元気そうになったドーチカは、手提げの籠を持ってスキップしながらやっ
て来た。
「ドウブルイ・ウットロ(お早よう)」と挨拶を交わしながら「昨夜は本当にあ
りがとう。今朝はもうこの通り元気になった」と老婆はドーチカを前に押し出
した。
ニコニコしている彼女に「どうだまだ頭は痛いか?」と訊ねると、首を振って
「ニエット・サフセム(いいえ、全く)」と、手提げの籠を前に差し出した。
中を見ると生み立てと見えてまだ汚れの着いているヤイーチコ(鶏卵)が五個並
んでいる。お礼のつもりらしい。ーーーなにしろ病気になっても、殆ど薬など
飲んだことがなく、まして注射などしたことのない身体には薬の効果は絶大な
ものがあるというのは良く承知していた。
これは、軍隊の頃、北満の大平原で蒙古人と接触したことがあったが、その時
腹痛を訴え「何か薬を・・」と言われた時、持ち合わせの歯磨粉を包んで服用
させ、その腹痛が治まったことがあった。
信じるということは絶対のものだという自信はあったが、今度の場合は薬剤な
どは全然知らない無垢な肉体だったので、余計効き目があったのだろうが、余
りの速効に、私のほうが驚いたぐらいだった。
老婆のほうも頭を地に着けんばかりに感謝、両手にさげてきた自家製のカザッ
クパン、ペルシキ(野菜餡入りパン)、蒸しジャガイモを「みんなで食べて」と
置いて帰った。
これを機に老婆は度々何かと差し入れしてくれるし、ドーチカもすっかり懐い
て殆ど毎日遊びに来るようになった。
日本の童謡を教えたり、ロシヤ語の歌を習ったり、言葉を教え合ったりした。
掃除の手伝いをしてくれるし、一緒にチャイ(お茶)を飲んだり、連れ立って散
歩に出て野花を摘んだり、ずいぶんと楽しい思いをさせてくれた。
時には、昼寝をしているとベッドに潜り込んで来たりする。
妹を抱いているような気分で、手枕をさせすっかりご満悦だった。
= つづく =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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