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異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん |
☆ アクモリンスク収容所(5) ――――――――――― 2008/09/08
「何れソ連の軍隊が進入して来るであろうけれども、もう交通が途絶している
ので避難もままならない。捕らえられたら軍の工作員ということは直ぐ判るの
で処罰は免れない。その時の覚悟はちゃんとできている。捕まって辱しめを受
けるよりは、自分でちゃんとケリはつけます」
と、青酸カリの小瓶を出して見せた。実際、その後病院の看護婦など婦女子が
屋上から飛び降りたり、服毒したりして何人も自決したという話を聞いた。
散々飲んだり食べたりして盛り上がっているその時だった。急に表が騒がしく
なった。様子を見に行った彼女が帰って来て「なんでもソ連の兵隊が民家に押
し入って略奪しているらしい」との事だった。
様子を見に四人で表に出た。横の人に話を聞くと、入っているのはソ連兵一人
で、家の中から悲鳴が聞こえたとのことだった。その家は道路の向こう側で、
真向かいから右へ三軒目ぐらいの家だった。
誰かがソ連軍へ知らせてあるとのことだった。
間もなく憲兵(私はゲーペーウーだと思った)が一人やって来た。
案内してきた男がその家を指差すと、家の前まで行き中に入らずに十メートル
程離れて立った。拳銃を抜くと安全装置を解除して再びサックに納め、出てく
るのを待ち受けた。
それから十分も経った頃、片手に大きな袋を提げ、マンドリン自動小銃を肩に
掛けたソ連兵が一人出てきた。それを見るとさっきの憲兵はいきなり拳銃を抜
き、声もかけずにその兵隊に向けて三発続け様に発射した。
何を言う間もなく、その兵隊はその場に膝を突くとそのままバッタリ倒れた。
見ていた私達のほうが驚いた。何ひと言聞くでなし、通報した人の言葉を信じ
て、本人から何も聞かずその場で射殺したのだから、とても我々の常識では考
えられない。
民家からの略奪は即死罪だと軍令でも出ているのかも知れなかったが、何にし
ても無茶な話だと思った。
軍紀が厳しいのは輸送途中でも何回か見た事があった。上官が兵を怒鳴る時に
も直ぐに拳銃に手をかける。また、叱られている兵隊のほうも、どういう理由
かは知らないがパッとマンドリンの銃口を撥ね上げると上官のほうに向けたの
を見た事があった。
その時は、どちらも発砲こそしなかったが、何とも物騒な事だった。
―― 【食堂の女性達】
話が横道に逸れてしまったが、本筋に還ることにする。
この食堂を取り仕切っているのは「トーリヤ」という三十歳そこそこの素晴ら
しいロシヤ美人だった。我々は単に「マダム」と呼んでいた。
その下働きに、ニィメッツの五十歳ぐらいの母親と、その娘で「カーチャ」と
呼ぶ十二歳の可愛い娘がいた。私と炊事係は、夜間以外はほとんどその炊事場
か食堂にいたので、自然彼女達とも大の仲良しになった。そして色々と彼女達
の身の上話を聞かせて貰った。
食堂のハジャイン(主人)はこのマダム夫婦で、純粋なロシヤ人であった。この
地には出向を命じられただけのもので、他の人のように処罰等の意味合いはな
いとの事だった。
深い事は言わなかったが、内実は、秘密警察関係の人達かも知れないと私には
思われた。ドイツ系の母娘はウクライナのほうに住んでいたのだが、独ソ戦の
煽りをくって巻き返したソ連軍に捕らえられ、夫はここよりさらに東、極東に
近いシベリヤ送りとなり、娘が幼かったせいであろう、辛うじて母娘だけは、
一緒に住むことを許されたとの話だった。
食堂の主人のほうは、一般住民と同じく何ヶ月間かはコルホーズ(国営農場)の
収穫等に派遣されていた。ーーーその間は、女盛りのトーリヤは寡婦生活。こ
れが後々問題を起こしたのだが、それは後述する。
= つづく =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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