異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん
☆ アクモリンスク収容所(3) ――――――――――― 2008/08/18

当日夕食の時には居た彼が、夜の点呼の時に居ない。中隊全員で心当たりを捜
したが見付からない――――。

官舎に帰っていた中隊長に、当直将校から報告、官舎に帰っていた将校も全員
召集、週番司令を通じて聯隊長にも報告。

やがて非常呼集がかかって、聯隊全員千二百人----その年八月の関東軍特別大
演習(関特演)時には二千人近くに膨れ上がったが、当時はまだ少なかった----
が、
各中隊毎に捜索隊を編成、ハイラル市内はもとより、人家もない北満の大平原
の雪を踏み分け踏み分け大捜索を開始した。

ーーーそれまで経験したこともない大騒動となった。

この零下十数度の原野に一人で出て行ったら、とても生き延びる事は不可能。
凍死するのは必至。まして夜間は狼が群れをなしている。多人数で行けば狼も
逃げるが、一人や二人では襲われるのは目にみえている。

現に、前年の秋、興安嶺の山中で秋季演習の最中、一個分隊が襲われ全員がや
られた例があった――――。

ーーー朝までの捜索も空しく、何の足跡も掴めなかった。

ーーー翌日も日暮れまで捜索は続けられたが、何の成果もなかった。

ところがその夜、

十二時も過ぎて炊事係から、中隊の週番にKを発見したという連絡が入った。

彼は、炊事倉庫の木炭の中に隠れていたらしい。ーーー勿論その倉庫も捜索し
たのだが、奥のほうで炭俵を被り息を殺していたのだった。後の話では、捜索
隊の来たのは知っていたとのことだった。

夜中になって、どうにも空腹に耐えられずノコノコと炊事場に食べ物を捜しに
出てきたところを発見されたものだった。

中隊に連れ帰ったが、木炭で顔は真っ黒、誰か見分けの付かぬような汚れよう
だった。中隊長も余り叱らなかった。また逃亡されたらという思いからであっ
たろう。

話を聞いても支離滅裂、てんで辻褄が合わない。わざとそんな風に装ったのか
も知れなかったが、中隊長は、日頃の言動と思い合わせて、彼の精神が正常で
ないと判断。そのように上申したのであろう、特別な処罰はされずに済んだ。

その代り、以後の休日は外出禁止。常に誰かの目が届くように、常時中隊当番
(中隊事務室の直ぐ前の廊下の一隅が定位置の湯沸かし番)に就けられ、演習・
教育など一切免除だった。

当番になってからも、別段以前と変わりなく大法螺を吹いていた。そして皆か
ら「万年当番」というありがたい名前で呼ばれ、みんなよくカラカイに来たも
のだたった。しかし、本人は別にそれを気に掛けている風でもなかった。

Kの前歴が長くなってしまったが、その彼が私に会いに来たのであった。

懐かしがっていろいろと話したが、相変わらず自分の自慢話が大半、うんうん
と聞いてやった。三年兵のときに転属(私より約二年前)、終戦のどさくさで兵
長になったらしかった。

後に聞いた同じ隊に居た人の話では、もう五年兵になっていたので最古参、随
分勝手放題だったとのことだった。「ボゴンバイ」という別のラーゲルにいた
のだが、そこでも軍隊当時のような異常な行動で散々手を焼かせたとの事だっ
た。

戸外作業に行った時、着用していた服と防寒シャツを脱いで、地方人のパンと
交換したそうだった。氷点下の戸外で、下着のシャツの上に防寒シューバーを
直接着て、ブルブル震えながらパンを噛っていたという。

帰ってからそのことが露見、営倉に入れられた。

營倉に入ってからの行動も滅茶苦茶----とてもここに書けない----ついに収容
所長も精神異常と認めて放免となったとのことだった。

その後何回か遊びに来た彼は、前と変わりなく「大ボラ」こそ吹くが、べつに
異常と思う程でなく、頻りに昔を懐かしがって同年兵の誰彼の話などした。

私達のいた部隊は、私が転属で出てから間もない昭和十九年の七月頃、比島で
全滅したのだが、彼はそれを知らなかったので私の話に随分驚いていた。

後で聞いた彼の行動が、もし異常を装った演技だとしたら大した名優だと思っ
たぐらいだった。

しかし考えてみると、若しあれが逆の立場で、他国の捕虜があんな風だったら
日本軍当局ならどうしただろうか?ーーー恐らく適当に処刑してしまっただろ
う。

余り深入りをして付き合える男ではないのは充分承知していたので、一線を引
いて応対した。その頃べつに食べ物に不自由していたわけでもなかったので、
貰った小麦も適当に周りの人達に回した。

その後、私も彼も別の収容所に移ったので、その後の消息は知る由もない。

                           = つづく =
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