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異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん |
☆ アクモリンスク収容所(2) ――――――――――― 2008/08/11
――【小麦(ピシニッツア)の切り返し】
もう一つの補充食糧は小麦であった。「エルバート」と呼ぶ製粉工場に付属す
る小麦貯蔵倉庫(スクラート)がその作業場所で、私達の仕事は小麦の切り返し
だった。
膨大な量の小麦が、全部バラ積みで5メートル程の高さにもなる。発酵を防ぐ
為にその上下を切り返すのである。空けてある片方へラパートカ(スコップ)で
撥ねて積み直すのである。
崩れてくる小麦で腰まで埋まることもある。自分で抜け出せなくて助けて貰う
事も度々であった。だから他に誰も居ない時の作業は危険であった。
この仕事にも役得があった。
着てきたシューバー=毛皮の防寒外套)のポケットに小麦を入れて帰るのであ
る。帰る時、一応の検査はあるのだが、少々ぐらいなら見逃してくれる。あま
り多量だと制止して返させられた。
この小麦は、帰ってから飯盒で煮たり、煎ったたりして食べる。口の中で少し
モサモサするが、結構旨かった。ーーーもっとも、飽食の現在ではとても食べ
る気にはならないだろうが・・・。
また、要領のいい連中は手に入らない者に売りつけたり、パン・砂糖・煙草と
交換したりした。どんな境遇にあっても、要領の良い者は上手く立ち回るもの
だと思った。
――【思い出した二人】
小麦といえば必ず思い出す人が二人いる。
一人は、この抑留記の初めのほうに書いた、食堂で他人のパンを盗んだ元下士
官のTという男で、小麦を食べ過ぎて死ぬような思いをしたことがあった。
なにしろ茹でただけでそのまま食べるのだから、極めて消化が悪い。口の中で
糊状になるまで咀嚼して食べればそんなこともなかっただろうが、彼のことだ
から、ゆっくり食べたら他人に盗られるとでも思ったのだろう、丸呑みみたい
にして食べた。ーーー滅多に手に入らないので思い切り食べて満足した。
ところが、小麦の表皮には若干の渋があるので、これが作用して便秘を起こし
た。
食べて三日目の夜、「Tが酷く苦しんでいるからちょっと見てくれ」と不寝番
に起こされた。行ってみると、腹がパンパンに張って七転八倒である。食べた
小麦が腸の中の水分を吸って膨張、発酵したものとすぐに判った。
医療所に連れて行き、軍医に見てもらった。事の次第を聞いた軍医は笑いなが
ら下剤を飲ませ、浣腸をした。しかし、出口に膨張した未消化の儘の小麦が、
粒のままコチコチに固まっていて全然効果がない――――。
とうとうマジャール(ハンガリヤ人)が管理しているバーニヤ(入浴場)に連れて
行き、柄の長いスプーンで裏門から掻き出す始末と相成った。ーーー全然消化
していない多量の小麦が掻き出された。
発酵による気絶しそうな悪臭がバーニヤの外まで流れ、管理者のマジャールが
飛んで来て散々文句を言った。こちらは唯々平謝りするより他なかった。
本人は、処置が終わると腹はペコンと引っ込み、さっきまでの苦しみは嘘のよ
うに消えた。実に人騒がせな男だ。お陰で睡眠不足と毒ガス中毒で、翌日一日
中頭が痛かった。
もう一人というのが実に傑作人物である。
ある日、小麦を入れた飯盒を提げて私を訪ねてきた男がいた。その顔を見た私
は思わずアッ!と声を上げそうになった。Kという、三年前に別れた同年兵の
その男には特別な思い出があった――――。
初年兵として熊本の原隊に入ったのが昭和十六年二月十日だったが、一週間後
には渡満、まだ酷寒期のハイラルに着いた。ーーーそれから一ヶ月ほど経った
三月も終わりに近い頃、彼が軍隊脱走を試みたのである。
大体、知能程度が人より多少劣っているせいもあったが、話は実に誇大妄言、
荒唐無稽で、同年兵の間では有名なものだった。
彼の曰く「俺の四代前は大名だった」「俺の父はカナダ大使だった」「俺はア
メリカ生まれで、ニューヨークの小学校を卒業した」「兄貴は帝大を首席で卒
業、今ロンドンの大使館にいる」「家に帰れば田圃が五十町歩の大地主だ」
等々。
初めのうちは、よく法螺を吹くなあと皆は黙って聞いていたが、そのうち同じ
村から入隊した同級生(他の中隊に所属)の口から、根も葉もない大嘘であるこ
とが皆に知れた。
ところが彼は、その後もそんはことはお構いなしで相変わらず口から出任せを
まくしたてた。皆は、そんな話を冷やかしながら聞いたものだった。
その彼が脱走したのである!!
私達がいたハイラルといえば、北満有数の酷寒の地。気温は零下四十度にも下
がる。脱走した三月ではまだ雪も降るし、気温も零度より上がるようなことは
ない――――。
= つづく =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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