異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん
☆ アクモリンスク収容所(1) ――――――――――― 2008/08/04

――【移動】

アクモリンスク収容所に移動の命令が出たのは、翌二十一年十一月、二度目の
冬を迎えてからだった。半分の二百五十人が「アナール」を後にした。

楽しかったグルーシキの仕事を離れるのは心残りだったが、どうなるものでも
ない。

アクモリンスクは、シベリヤ鉄道の「ペトロパバロフスク」より南下700キ
ロ「カラカンダ」の北方250キロの地点。ウラジオストックから9100キ
ロも離れた人口三十万人の都会であった。

ラーゲル=収容所は、市街とは3キロ程離れたところに在った。

東西300メートル、南北250メートル、高さ2〜2.3メートルの板囲い
で囲まれていた。ここはアナールとは全然違う大収容所で、千五百人程が収容
されていた。

その内半分以上がハンガリヤ人(マジャール)で、ドイツ人(ニィメッツ)が二百
人、日本人(ヤポニカ)五百人=以前から居た二百五十人と合流、それに若干の
イタリヤ人(イタリヤーノ)の混成だった。

マジャール(ハンガリヤ人)が実権を握ってかなり民主的に運営されていた。

ここには、炭坑の他、発電所、工場、農園などがあり、仕事も種々様々。工場
で働く人は、旋盤、仕上げ、組立、鍛冶職、鋳物師等々。それぞれの技術を活
かして楽しく働いていた。

警備もアナールに比べるとずっと緩やかで、ほとんど自由といっても良いほど
だった。私は、もう医療室に復帰することも叶わず、一般作業班に組み込まれ
た。

――【外柵穴掘り。楽して得する法】

最初に外に行ったのが、発電所外柵の穴掘りだった。

二十人が一組となって穴掘りに従事した。一辺が1メートルの真四角の穴を、
3メートルおきに掘っていくのであるが、深さ1メートルの穴を二日で掘り上
げるのが各人に課せられたノルマであった。

ーーーこの時も、ロシヤ人の計算に弱いのには呆れたものだった。

穴の位置を決めるのに、マッセル=工事監督)は、20メートルの長い巻き尺
を持っていた。普通我々だったら巻き尺を一杯延ばして、3・6・9・12・
というふうに印を付けていく筈である。

ところが彼は三進法の計算が苦手らしく、巻き尺を3メートル延ばすと、その
一端を兵隊に持たせ、自分で3メートルの処に印を付ける。そしてその位置に
兵隊を呼び寄せ、そこからまた3メートル測って印を着ける。そんなふうに基
点を一回一回移動させて印を着けていく。見ていて実にまだるっこしい。

遂に見兼ねて「私にやらせてくれ」と申し出て、巻き尺を受け取り一杯に延ば
すと、3メートルおきに印をし、一回で六ヶ所に印を着けた。

マッセルは腕を組んでじっと見ていたが、やがてその印が確かに3メートルお
きになっているか確かめるため自分で測ってみた。そして納得。「ハラショー
=よろしい」と言って後は任せてくれた。

ーーーこれが土木工事の監督なのだから開いた口が塞がらない。

さて穴掘りであるが、ツルハシ(キピャートク)とバール(ローム)で掘るのであ
るが、地面が凍っているので全然ロームが立たない。なにしろ冬期は零下二十
度以下にまで下がるのだから、可成り深い処までカチンカチンに凍っていて、
夏になっても地表から僅かしか溶けない。

土質が完全な砂なので、これに雪解け水が滲み込んでいるのだから、氷を掘る
のと同じでツルハシも全然受け付けない。氷の破片が飛び散るだけ。ーーーこ
れではとてもノルマどころではないと思った。

ところが翌日、非常に都合の良いことに気がついた。

休憩時には石炭を燃やして暖をとるのであるが、朝来てみると、昨日火を焚い
た跡は氷が溶けて、ラパートカで掬える程柔らかくなっていた。シメタ!と早
速穴を掘る場所で火を焚くことにした。

この石炭は日本のものとは違っている。炭質は手で割れる程柔らかい。そして
全く無煙。それに、着火し易い。新聞紙を丸めてその上に石炭を置き、新聞紙
に火をつけると着火する。そして、一度火がついたら一個だけ離して置いても
完全に燃え切って仕舞う。

火種に石炭を注ぎ足し、少し風を送って火勢を強めてやると完全に燃焼する。
尤も、火力は少し弱いようだが・・・。燃え切った灰は純白で、とても奇麗な
ものである。ーーー話によるとこれは、太古に繁茂していた特殊な羊歯[しだ]
類が埋没、炭化したものとのことだった。

朝から火を焚いて昼前にそこを掘ると、ラパートカで簡単に掘れる。10セン
チぐらいは地盤が下がるので、またそこで火を焚いて、帰る三十分ぐらい前に
掘る。そしてその跡に、思いっきり石炭を置き、それに火を着け、その儘にし
て帰る。翌朝来てすぐに掘ると20センチから30センチも簡単に掘れる。

これだ!とみんな大喜び。なにしろ凍った儘では一日20センチ地盤を下げる
のも難しい。とてもノルマの1メートルなどは覚束ない。それが火さえ焚けば
十分ぐらいで20センチも掘り下げることができるのだから。

さてそうなると、石炭の調達が問題である。暖をとるぐらいならそこらから拾
い集めてきても間に合うが、これほど多量になるとそう簡単にはいかない。

石炭は発電所で使うので、裏手に幾山にも分けて多量にあるのはある。それを
運ぶよりほかない――――。これを所員に見付からぬように運ばねばならぬ。

そこで各人役割を決めた。

見回りの所員をつかまえて話し込む者、その隙に石炭を運ぶ者、焚き付けにす
る吹き寄せられた枯れ草の茎を集める者、というふうにそれぞれ手分けしてこ
れを実行した。

マッセルに「アックダー・ウーゴリ・タスカイ=何処から石炭を持って来たの
だ?」と聞かれたこともあったが、「ああ、そこらに落ちてたのを拾い集めた
のだ」と言っておいた。

マッセルも薄々感じてはいただろうが、そう深くは詮索もしなかった。盗んで
いる現場を押さえられさえしなければ問題ではない。私達は毎日暖をとりなが
ら雑談、氷の溶けるのを待つ。

一日中火を焚いて、朝来てからとお昼前、そして帰る前と一日三回だけ掘る。
それで十分ノルマは達成できたのだからマッセルもご機嫌だった。

仕事をする時、日本人はすぐに帽子を脱いで鉢巻をする。ところがロシヤ人は
帽子を脱ぐことを嫌う。それは帽子を脱いで頭を冷やすと風邪を引く=病気に
なる)と信じている。だから「パチムー・シャープカ・スニマイ=なぜ帽子を
脱ぐんだ?」と直ぐ怒鳴る。

そして「お前達は頭を冷やして病気になり、仕事を休もうと考えているのだろ
う!」と訳の判らんことを言う。ーーー「アホか!だからお前達は頭が悪いん
だ!」ーーーと言いたくなる。

こんなふうな毎日で、この作業も半月ほどで無事終了した。

――【食糧補充・馬鈴薯(カルトーシカ)の積み替え】

馬鈴薯の積み替えという仕事があった。空腹を満たすには絶好の機会だったの
で志願者がとても多かった。選ばれなかった人達はとても残念がったものだっ
た。
馬鈴薯は、大きな倉庫にバラでその儘集積されていたが、長期間そのままにし
ておくと下積みの部分が腐るので、時々積み替えるのであった。五人ぐらいに
警備兵一人がついて、泊まり掛けで町の倉庫へ行く。

一日中馬鈴薯と戦うわけである。

休憩時や食事時には外に出るが、その時には馬鈴薯をいくら焼いて食べても良
い。また、飯盒で煮て食べることもあった。空き腹に不味いものなしとはいう
が、実に美味しいジャガイモであった。

土質が砂であることと、寒冷地であることとで、ここのカルトーシカは本当に
美味しい。帰国してからの北海道旅行の時に食べたものに劣らぬ味だった。

とはいうが、その頃は何を食べても不味いものはなかった筈である。二日間仕
事をするので、夜はジャガイモと添い寝だった。警備兵は外から鍵を掛け、自
分は何処かへ遊びに行く。

中の私達は毛布もなく、あまりに寒いので用意しておいた石油缶で火を焚く。
雑談をしたり、芋を焼いたりして過ごし、朝まで仕事など全然しなかった。
ーーー倉庫のカルトーシカも寒かろう、と一緒に温まることにした――――。

仕事は適当だし、食べるのは食べ放題だから、徹夜作業----といっても夜中は
適当に寝る----にも拘らず、この仕事は、志望者が目の色を変えて争うほどで
あった。

                           = つづく =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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