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異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん |
☆ アナール収容所にて(9) ―――――――――――― 2008/06/09
――【炭坑の女達:ポンプ小屋の天使】
ジョロンベッド炭坑[シャフト]の中では、ツルハシで石炭を掘っている女性は
見かけなかった。(べつに法律で禁止されているのではあるまい。他の作業所
では見かけたのだから・・・)
石油[ケラシン]ランプの整備、管理とか、水揚げポンプの運転、監視、そして
浴場[バーニヤ]係、地上の雑役、などに就いていた。
何れも純粋なスラブ系のロシヤ人でなく、ウクライナとかウズベックその他、
西のほうからの流刑者が多かった。戦時中、まだドイツが各地に侵攻していた
頃、
現地の人がドイツ兵に水を持っていってやったとか、品物のやりとりをしたと
か、一寸好意を示したとか、ほんの些細な事でも罪を負わされ、こちらのほう
へ流されてきた人達ばかりだった。
家族はバラバラ、両親は極東のほうに流されているという18歳のマルーシャ
・結婚間もない夫はウラルの山中に強制連行されたという23歳のワーリヤ・
夫も子供二人も行方は全く判らないという48歳になるニィメッツ系のガーリ
ヤ。ーーーいずれもそれぞれに悲しい身の上を持つ女達であった。
しかし、生来くよくよしない性分なのか、それとも民族性か、または諦めきっ
ているのか、割と朗らかで、実にサバサバしている。その悲しい過去を話すと
きでも、左程落ち込む事もなく淡々と話すのだった。
坑道の入り口、昇降機の発着地点附近は、割合に広く、ランプ小屋、工具倉庫
[インスルメント・スクラート]、発電機室、ポンプ室、と各個の小屋がある。
このポンプ室にいるのが18歳のマルーシャ、もう少女とはいえない完熟白桃
である。
ウクライナで、親子五人農業を営んで何不自由なく過ごしていたのだが、戦時
中、兄・姉は軍隊に入り、親子三人となっていたが、独ソ戦の時、何か敵国に
協力したとかせぬとかで両親逮捕、16歳の彼女も見も知らぬ地へ強制移送さ
れた。
この国で一番卑劣な、そして怖いのが密告制度で、若干の報賞金に釣られて、
有る事、無い事、例え隣人でも密告する。するとロクロク調べもせずに直ぐ犯
罪者として処罰が決まる。
風の噂では両親は極東のほうへ送られ、鉄道関係の工事に従事しているとか。
彼女自身も、罪人として各地を転々とすること三回、やっと去年このジョロン
ベッドの炭坑に定着。少しばかり上手く立ち回って、ポンプ室勤務という条件
の良い仕事に就くことができたのである。
顔は南欧系のはっきりした顔立ちで、髪はブラウン、瞳は夢見るような碧眼、
肌色は幾分東洋系が入っているのかスラブ系のそれ程白くはない。なにしろ明
るく、優しく、そして情熱的なので、私達の中では格別の人気を持っていた。
私は、ちょいちょい偽の腹痛を起こしたりして、ポンプ室で休憩させて貰った
ものだった。「どうしたんだ?どこが痛いんだ?」と聞くが、どうやらこちら
の仮病は承知の模様。クスクス笑いながら「オゥ、チョールトイ=わるい人」
などと言う。
こちらはサボるのが目的、マッセルのほうは都合良く言いくるめてあるので、
ゆっくりマルーシャを相手に雑談しながらロシヤ語の勉強をしておれば良いの
だった。
ある時、友達から無理をいって譲り受けた鏡をマルーシャにプレゼントした。
奇麗な花模様の小さな布袋に入った10cm×6cmぐらいの鏡で、よくもま
あ今迄隠し持っていたものだと感心する程だった。それを3kgのパンと交換
して手に入れたのだが、
それを渡した時の彼女の喜びようはひととおりではなかった・・・
= つづく =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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