異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん
☆ アナール収容所にて(8) ―――――――――――― 2008/06/02

――【男の嫉妬は食べ物から】

事の起こったのは二番方(三交代制だったので二番方は午後2時から10時迄)
で出勤してからだった。グループの中に、東北出身で、入隊までは常磐炭坑で
働いていた馬場という、かなりの暴れ者がいた。

背中には般若の彫りものをしている。以前ボゴンバイの金坑に入っていたが、
プロホラボーター=不良労働者)ということで金坑を追われた男である。

この馬場と入隊以来ずっと一緒の、細野という男が同じグループにいた。彼は
穏和なタイプで、粗暴な馬場との仲良しが不思議なほどの取り合わせだった。

仕事も一段落ついた夕刻のことだった。

「ちょっと表に出てくれ」と呼び出しをかけられた。何事かは判らなかったが
とのかく表に出ると、右手にペチカの火掻き棒を持った馬場が、続いて細野が
出てきた。

「おい、江藤、貴様近頃なんだ。貴様元下士官だったからと太てぇ面するな」

と詰り始めた。なんの事かさっぱり見当がつかない??言われている私も腹が
立ってきた。

昔流の軍隊だったら俺は七年兵だ。それに対して初年兵の分際で何という口の
利き方だ・・・と。しかしもう軍隊ではない、そんな道理は通るわけもない。

ましてや相手が相手だ。しかし何の事なのか??

「べつに大きな顔をしてるつもりはない。いったい何が気に入らんのか言って
みてくれ。俺には判らんのだから」と、腹の虫を押さえて穏やかに訊いた。

今度は細野がおとなしい口調で言葉を継いだ。

「それはですね、あなたは毎日パンをタラフク食べているでしょう。そしてあ
の沼田には幾らでも分けてやっているではないですか。それに比べて私達は、
支給されるあれぽっちのパンではとても足りない。

かといって他に手に入れることもできない。買うにも金がない。交換しように
も品物がない、どうすれば良いんです。あれだけ余るほど持っているパンなら
同じグループの私達に、少しは分けてくれても良いのではないですか。馬場も
それを怒っているんです」

と言った。考えてみればそうかも知れない。別に何の考えもなく行動していて
も、不平、不満のある人たちの目には普通には見えないのであろう。不遜とも
傲慢とも取れるのだろうと思った。

たとえ言い分があっても相手が相手だ。ここは大人しく退いたほうが無難だと
判断した。とにかく一応頭を下げることにした。

「それは済まなかった。俺の考えが足らんかったのだ。これからは気をつける
からな。とにかく同じグループにいるんだから仲良くやっていこう」

と、一応頭を下げて事を済ませた。

考えてみれば、食べ物の怨みとは怖いもの、傷害事件をさえ起こしかねない。

嫉妬とは女の専門などと考えていたのは大間違い、人の境遇、環境などに対し
て嫉妬心を起こすのは、男の世界でも同じだと知った――――。

                           = つづく =
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┌──────────「ベラミさん」50代@女性@自営業@四国 はじめてお便りいたします。 今年1月に父が85歳で亡くなりました。遺品を整理していたら、60年分の 日記、16年分の闘病記、シベリア体験記が出てきました。陸軍士官学校57 期生で、飛行士団で教官をしてました。 昭和20年8月19日、58期の学生を日本に帰すべく奉天から安東に引率し 再び奉天に引き返しソ連軍に投降したのです。 続シベリヤ体験記もあって未完であるにもかかわらず、そのシベリヤでの事が どこにも書かれてません。時間は少々ずれるものの、江藤様とほぼ同じ時期に いたと思われます。 ┌-------- S.20.09.26 皇姑屯駅発 北上開始    10.18 ブラゴエシチェンスクの駅前広場に露営    10.25 ブラゴエ出発    10.28 第一チタ到着。チタ第二分所に入る S.21.12.02 第一分所に転属 S.23.05.22 再び第二分所へ    08.02 帰国命令    08.05 チタより乗車、出発す    08.08 カリムスカエを出発    08.15 信濃丸に乗船、ナホトカ出発    08.25 東舞鶴港に入港 └-------- 父が亡くなった後、全国の陸士の同期や後期の方から弔辞や手紙を頂き、父の 書いたものを読み、終戦のあの大変な時期に心和むこともあり、興味深かった ので形に残そうと、本にしようと準備を進めてます。 何か手掛かりはないものかとブラゴエシを探していて、江藤様の書かれたもの にたどり着いたわけです。 父とそんなにお年は違わないと思いますが、お元気そうなのでうらやましいで す。これからも続編楽しみに読ませていただきます。 └────────── ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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