異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん
☆ アナール収容所に到着 ――――――――――――― 2008/04/07

――【軌道のない汽車】

翌朝、昨夜のショックもまだ覚めぬまま、早朝から五百人ずつの組み分けが行
なわれて、夫々別々の収容所=ラーゲル)へ送られることになった。その時に
別れた人達とは、それ以来会ったこともない。どのような運命を辿ったのやら
何処でどうなったのやら知る由もない――――。

見渡す限り銀一色の大平野を、八時間ほども幌つきの大型トラック(米国製の
スチュードベーカーだと聞いた)で揺れ続けた。途中で有蓋貨車らしきものが
四、五輛ずつ置かれてあるのを何度か見かけた。------軌道はない。

ちらちらと人影らしいものが動いていた。後で聞いたことであるが、この貨車
は人の住居で、何処からか連れてこられた人達で、1〜2年で移動するとのこ
と。その時には、汽車がレールを敷設しながら来て、その貨車を繋ぎ移動、目
的地に着くとまた切り放して線路を撤収しながら帰って行くとのこと。

とても日本では考えられもせぬことである。なにしろ枕木などは不必要なのだ
から・・・。

そうこうしているうちに、いよいよ目的地の「アナール収容所」に到着した。

屋根の低い平屋建ての粗末な建物が十数棟並んでいる。周囲は有刺鉄線で囲ま
れ、四隅には見張りの櫓があり、防寒服に身を固めた警戒兵が監視している。

ーーーそれが、それから三年半の悲喜交々のドラマの幕開けであった。

冒頭にも述べたが、その過酷な労働の悲惨な状況などは数多くの抑留記に克明
に記されている。私は努めてそのような部分は端折って、その生活の中にあっ
たささやかな楽しみ、喜び、明るさ、笑いなどを記していきたいと思う。

しかし、決して辛い事、苦しい事、悲しい事がなかったわけではない。矢張り
想像を絶するようなことも確かにあったことを申し添えておく。 

――【最初の恐怖、全員真っ裸】

収容所に着くと、先ずソ連の輸送係将校から収容所長に引き渡すための人員点
検がある。将校は指を開いた右手を高く上げ「パ・ペヤチ、パ・ペヤチ=五人
ずつ、五人ずつ」と叫びながら、五列縦隊に整列させる。

五列に並んでいるのだから、右側の一列を数えて五倍すれば良さそうなものだ
が、そうはしない。わざわざ「アジン・ドア・トリー・チテリー・ペヤチ=1
・2・3・4・5」と、一人ずつ横に数える。

人数が多くなると五倍の暗算が苦手らしい。数が進んで120にもなると数え
違ってまた1からやり直し。「アジン・ドア・ツリー・・・」全くやりきれな
い。ーーー大体ソ連では、英才教育は徹底しているが一般人は計算に弱い、と
いうことを知る場面には度々遭遇したが、そのことは後で書くことにする。

英才教育こそ徹底しているが、反面、一般人には教育が行き届いていないので
はないかと思われるフシがある。尤も、これはずっと後になって感じたことだ
が・・・。

ようやく引き渡しが終わると早速消毒。

大きな部屋に入れられると、装具を下ろして並べる。位置を変えて全員真っ裸
にされ、ご存じのDDTを頭から浴びせられた。なにしろ満州での一ヶ月間は
全然入浴していないし、ソ連に入ってからの約一ヶ月の間に二回「バーニヤ」
と称する蒸気風呂に入ったぐらい。

それも、使用する水は各人洗面器一杯の制限。風呂好きの日本人には大きな苦
痛だった。殆ど全員が垢まみれ、不潔この上もない。そして虱[シラミ]と南京
虫には悩まされ通しだった。

――【日本人の断種なのか!?】

消毒の終わった者から、身体検査ということで、二十人ずつ別の部屋に呼び込
まれた。私は衛生部員だったので、立会ということで軍医と一緒にその部屋に
入った。部屋は粗末な造作ながら、壁は泥煉瓦で厚く、ペーチカとストーブで
暖房はよく効いていた。

呼び込まれた二十人は、裸で部屋の隅に固まっていた。ロシヤ人の将校が三人
制服姿で座っている。中の一人は、同じような服装でも女医らしく中尉の肩章
をつけていた。

ところが、その女軍医がおもむろに無気味に、光った西洋剃刀を取り出した!

「さあ大変だ!これは矢っ張り噂どおりだったのか!」と皆が顔色を変えた。

その噂とは「優秀な日本人の血筋を絶つために、捕虜になった兵隊は生殖作用
ができないようにあそこを切り取ってしまう」というものだった。

それを聞いた時は「なんぼなんでもそんなバカな事があるもんか」と笑い合っ
たものだった。しかしこの場になると笑い事どころではない。ーーー皆は顔色
を変え、息を潜めて成り行きを見守った。

最初の一人が呼ばれ、尻込みするのを引き立てられ、女医の前に立たされた。

ーーー顔面蒼白、今にも泣き出しそうにブルブル震えている。前を覆っている
手をピシリ!と叩かれ、キオツケをさせられた。右手に剃刀を構え、左手で恐
怖のため縮み上がっているイチモツをグイッ!と引っ張った。

「アアッ!やられる!」と、見ている連中が声を上げそうになった。

とても正視できず思わず目を瞑った者もいた。私も「やられるな」と思った。

――【虱[シラミ]の駆除】

ところがそうではなかった。剃刀は「ジョリ、ジョリ」と派手な音を立てなが
ら局部の毛を剃り落とし始めたのである。水も石鹸も使わないのでかなり痛い
らしく顔が歪んでいる。それでも切り取られるのに比べたら少々な痛さは我慢
できるが、果たしてこれだけで済むのだろうかという不安は消せなかった。

しかしその作業は、全部剃り終わるとそれで終わり、次の者が呼び出された。

三、四人が済んだ頃、隊員の中から理髪の経験者が連れてこられて女医と交替
となった。兵隊がやるのであれば「痛い!」とか「水をつけろ!」とか文句も
言える。

ソ連の将校達はニヤニヤ笑い、なにか解からぬロシヤ語でガヤガヤ喋りながら
眺めていた。結局、最初の二十人だけでその作業は中止になった。なんのこと
はない、後はやらなくても良いということになった。

ーーー恐らく面白半分にやったことだろうが、何にしても二十人は貧乏クジを
引いたものである。

しかし、これにはそれなりのワケがあったのであった。

これも後に聞いた話だが、ソ連軍では極端に虱を怖れる。それは、ドイツ軍と
交戦した時「発疹チフス」が猛威を振るい、その為にソ連軍が戦闘に敗れた苦
い経験があった。

その「発疹チフス」は、虱の媒介によって伝染するので、虱の駆除、発生防止
には異常なまでに神経を使っているのであった。陰毛にはその虱が宿泊(?)し
ていると考えたらしい。

かくして、とにかく各バラックに分散して起居することとなり、いよいよここ
「アナール収容所」の生活が始まったのである。

                           = つづく =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。 
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