異聞シベリア抑留記 ―――――― by 江藤一市さん
☆ 終戦のドサクサ ―――――――――――――――― 2008/03/10

終戦を知ったのは、旧満州の奉天(現在の瀋陽)近くの新民屯という村落で、

丁度、第十一遊撃隊という、所謂艇身斬り込み隊を編成中であった。鉄道・発
電所・道路・橋梁などの破壊・爆破、司令部・通信設備など、中枢施設への潜
入・襲撃などの特殊教育を受けた。

将校、下士官百名ほどが基幹要員となって、五百人ほどの現地召集兵とで一個
大隊を編成予定で、既に司令部からは召集令状が発令され、八月十六日には入
隊予定であった。兵器、弾薬、被服、糧秣の受領も完了、入隊兵の到着を待つ
ばかりであった。

ところが思いも寄らぬ終戦。若し入隊兵が来たら即時召集解除、各自帰郷させ
よとの上層部からの達示があった。その際には、被服、糧秣は自由に持ち帰ら
せて良いとの指示があった。

なにしろ六百名が優に一ヶ月は保てるだけの物資。それは膨大な量で、接収し
ていた小学校の校庭に野積みにされていた。終戦を知らずに応召してきた者、
知ってはいたがとても信じられず確かめに来た者など様々。三百人ぐらいは来
た。

――【召集解除】

達示どおり、各人持てるだけの被服、食料を与えて帰らせることにした。さて
そうなると人間の欲とは恐ろしいもの。勝手に持って帰って良いというので、
誰も彼も着れるだけ着込む、持てるだけの物を持つ。

如何に満州とはいえ、八月は未だ暑さの真っ最中。それにも拘らず冬物まで着
込むのだからその苦しさは並大抵ではない。毛布など二枚も三枚も畳んで背負
う。

無理もない、内地ほどではなかったにせよ、満州といえども物資の欠乏は甚だ
しく、殊に砂糖などは、余程でなければ手に入らないような状況だったのだか
ら・・・。

――【荷物強奪】

そんな風にして除隊。これで無事帰宅できたら良かったのだが、世の中そう旨
くはいかない。既にその時には、日本軍の敗戦を知った満州国軍の蜂起、中共
軍の進入、朝鮮居留民は大韓民国の旗を立てての暴動化、奉天市内などは大混
乱に陥っていた。各地方の住民も既に暴徒と化していた。

その中に、持ち切れぬほどの荷物を持った日本人が出ていったのだからただで
済むわけがない。忽ち荷物は強奪され、身ぐるみ剥がれて放り出される。それ
はまだ良いほうで、中には抵抗して大事な命を落とした者、重傷を負った者、
拉致されてどうなったか判らない人も多数いたという。

これは、略奪に遭い、パンツ一枚でほうほうの態で逃げ帰って救いを求めてき
た人達の話だった。逃げ帰った人達は、もう二度と部隊を離れる勇気もなく、
ずっと行動を共にすることになった。

――【逃亡計画】

さあ、こんな事態になったらお先真っ暗。私は仲の良かった経理下士官二人と
相談、三人で逃亡の計画を立てた。私が入隊前に住んでいた鞍山[あんざん]=
昭和製鋼所という製鉄会社があった)があまり遠くなく、そこまでなら三人行
動を共にすれば何とか行き着けるだろうという自信があった。----中の一人は
満州語が頗る堪能だった。

鞍山まで行けば、兄、姉も居るし、知人も沢山居るので何とかなると考えた。

さて、そうなると何よりも金。何とかして逃走資金を各人五千円ぐらいは準備
せねばと申し合わせた。しかしその頃の下士官の俸給が三十円程度。ひと口に
五千円というが容易な額ではない。

――【逃亡資金】

そこで我々は、野積みしてある物資を持ち出して金に換えることにした。それ
が悪い事だなどとは別に思わなかった。

この物資をこのまま置いておいも、どうせ暴徒化した住民に持ち去られるのだ
し「金の作れるのはその人の才覚だ」ぐらいにしか思わなかった。

太車[ターチョ]と呼ぶ大型の二輪車に、米、砂糖、味噌、醤油、被服類などを
積み、馬に挽かせ、各人拳銃を腰に、小銃には弾丸を込めた完全武装で村へ向
かった。現地でも物資の窮乏が甚だしいので、すぐ人が集まって来た。

満州語の達者な彼が交渉に当たったが、足許を見透かされて買い叩かれる。是
が非でも金に換えたい我々、結局それだけの品物で千五百円。各人の分け前は
五百円。目標の五千円には程遠い。

後に聞いた話では、馬三頭を五千円で売った者もいたとか、そんなことなら挽
かせて行った馬も車ごと売れば良かったと口惜しがったものだった。

――【物資を換金】

また、軽機関銃を持出して一万円で売り払った豪の者もいたとのことだった。

私も医務室に保管してあった薬品類に目を着けた。今は市中ではとても手に入
らないサルバルサン=梅毒治療薬、所謂606号)・スルファミン剤=化膿防
止、創傷治療剤)モルヒネ・コカイン・パピナールなど麻酔剤を相当量保管し
ていた。

それらの薬品を鞄に詰め、拳銃二挺を左右の腰につけ奉天まで出掛けた。正に
命懸けだった。何軒かの病院、薬店を回り、持って行った薬品を全部売り払い
千五百円ほどの金を手にした。

それ以後も何かと売り払い、結局各人三千円ほどの資金ができた。

――【逃亡を保留】

ところがそのうちに、何処か一ヶ所に集結して軍隊を解散、日本に帰るように
なるという噂が流れた。そうなると逃亡の計画も揺らぎ始めた。

三人で話し合って、ひとまず見合わせることにした。逃亡を決行しても果たし
て成功しただろうか? 逃亡していれば、その後に遭遇した抑留という事実は
なかった訳だが、果たしてどちらが良かったのだろうか?

「人間万事塞翁が馬」

今でもどちらが良かったという結論は持たない。

                           = つづく =
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┌──────────「onestoさん」70代@男性@無職@関東 シベリア抑留と聞くと・・・・ 9日から大相撲が始まった。TVで大相撲を見ていると、“XXX モンゴル ウランバートル出身”という場内放送が聞こえてくる。 今の人は、ウランバートルと聞いても何も感じないだろう――――。 私はウランバートルと聞くと、捕虜収容所と“異国の丘”のメロディーが思い 出される。そして歌の歌詞が頭に浮かび、抑留されていた方々の心情が心にし みる次第。ーーーモンゴル力士が悪いのではない。 悪の張本人はスターリンである!こともお忘れなく。 └────────── ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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