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歴史再考 ――――――――――― by 竹下義朗さん

この記事中の画像は全て「帝国電網省」の該当ページより転載しています。
☆ 韓国は日本から独立したのではない ――――――― 2008/11/14
                        原著 2000/10/07

「光復節[カンボッチョル]」──これは「解放記念日=日本の支配から解放さ
れた日」「独立記念日=日本から独立した日」とされている韓国の祝日=8月
15日です。

昭和20(1945)年8月15日、日本の終戦に伴い、祖国・韓国は日本の植民地
支配から「解放」され、そして「独立」したのだというわけです。しかしこの
「光復節」とされる日=8月15日は、実は「解放記念日」「独立記念日」等
では決してありません。

というわけで今回は「光復節」を通して、韓国の独立事情について触れてみた
いと思います。

大韓民国(以下韓国と略)。

この項目(用語)を某歴史事典で調べてみると、

┌--------
「1948年8月15日、アメリカの支援の下、南朝鮮に成立した国(後略)」
と書かれています。日付は終戦と同じ「8月15日」です。しかし、これがそ
もそもの間違いなのです。

韓国が独立=建国した日は、昭和23(1948)年8月13日で、この日、首都ソ
ウルで韓国樹立の宣布式が挙行されているのです。日付は8月13日です。

つまり「独立記念日=建国記念日」は8月15日ではなく、正しくは8月13
日ということになります。しかし何故、独立記念日を2日もサバをよんだので
しょうか?

これは、早い話が「終戦の日」と「独立記念日」を、同じ8月15日とするこ
とで、韓国は終戦によって日本の植民地支配から独立したのだ、ということを
強調したかったからなのです。

では、本当に韓国は日本から独立したのでしょうか?

ーーー実は、韓国は日本から独立したわけではなかったのです。

昭和20年8月15日、日本の終戦に伴い、当時の朝鮮総督、阿部信行陸軍大
将と朝鮮軍司令官上月良夫陸軍中将の二人が、朝鮮総督府から日章旗(日の丸)
を下ろし、太極旗(現・韓国国旗)を掲揚させると共に、朝鮮建国準備委員会を
結成させ、朝鮮に自治権を付与しました。

つまり、終戦の日、朝鮮は「自治権」を獲得したのであって、決して日本から
「独立」したのではないのです。

しかしその自治権も、同年9月8日、米軍が南朝鮮(後の韓国)に進駐してくる
と解消されてしまいます。進駐してきた米軍は、ソウルの空にはためいていた
太極旗を引きずり下ろし、再び日章旗を掲揚させたのです。

つまりアメリカは、朝鮮をあくまでも「日本の一部」として扱った訳で、その
「日本の一部」である朝鮮が、やれ「自治権」だの、やれ「独立」等とは以て
の外というわけです。

そして進駐の翌日=9月9日、連合国軍最高司令官 ダグラス=マッカーサーが
南朝鮮に対して、アメリカによる「軍政」を布告、ソウルの空にはアメリカの
国旗、星条旗が翻ることとなったのです。

つまり、韓国の前身=南朝鮮は、終戦の日、日本から「独立」することなく、
今度はアメリカによる「軍政」の下に置かれることとなったなで、8月15日
は、決して「祖国の解放=独立」等ではないのです。

沖縄同様アメリカの軍政下にあった南朝鮮が「独立」を達成したのは、終戦か
ら8年後の昭和23年8月13日でした。

つまり韓国にとって、本当の意味での「祖国の解放=独立=光復節」は、8月
13日だったわけです。

しかしこの事実を、韓国初代大統領・李承晩[イ・スンマン]などの韓国指導部
は歪曲してしまいました。

本当はアメリカから独立したのにも関わらず、「我々は日本の敗戦によって、
(日本の)植民地支配から解放された」と喧伝し、国民の愛国心を煽ったわけで
す。

反日で国民の結束を維持する。未だに日韓関係において後遺症を残す李承晩の
反日教育の原点が、ここにあるといえます。

そして、8月13日が本来の「独立記念日」であるにも関わらず、敢えて8月
15日を「光復節」としたのには、多分に「政治的配慮」が働いていたという
ことです。

この点を踏まえた上で「光復節」──韓国の独立事情を捉えないと、日韓関係
において日本は、とんでもない勘違いをすることになるのです。

                        = この稿おわり =
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