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歴史再考 ――――――――――― by 竹下義朗さん

この記事中の画像は全て「帝国電網省」の該当ページより転載しています。
☆ 狩野博士への批判、「古史古伝」は偽書ではない ― 2008/05/09
                        原著 1998/04/23

「古史古伝」−特に、世に「竹内文書」として名を知られる古文書・神宝類に
ついては、昭和11年、岩波書店を通して発表された狩野亨吉博士の「天津教
古文書の批判」によって、完膚なきまでに「偽書化」されてしまいました。

「竹内文書」については、学界からの攻撃もさることながら特別高等警察によ
る「不敬罪」容疑での摘発、マスコミを総動員しての「皇祖皇太神宮天津教」
=竹内文書の継承者・竹内巨麿の主宰する神道系教団)弾圧と、

あらゆる方面から偽書化されました。最後には裁判にまで発展し、大審院判決
でようやく無罪となったほどです。しかし、公判中証拠資料として大審院に保
管されていた「竹内文書」のほとんどが、米軍による東京大空襲によって焼失
してしまい、

現在「竹内文書」と呼ばれているものは、証拠資料として提出される前に撮影
された写真類、文書の継承者で研究家でもあった竹内巨麿らの研究メモなどか
ら再構築された「神代の万国史」などの解説書です。

さて、このように偽書化されてしまった竹内文書ですが、はたして「天津教古
文書の批判」(以下『論文』と略)を発表した狩野亨吉博士の主張は正しかった
のでしょうか?

相手は「当代きっての碩学」です。その道のプロです。正攻法で戦いを挑んで
も敵うわけがありません。そこで私は、第一に博士の発表した『論文』の矛盾
点を、第二に、古文書の継承過程について検証してみました。

第一に、博士の発表した『論文』についてですが、博士は、資料として選んだ
テキストの一つ「長慶皇太神宮御由来」の中の「誤字」や「表記誤り」につい
て言及しています。例えば、

1.皇王→「人皇[にんのう]」
2.御崩→「崩御[ほうぎょ]」
3.形假名→「片假名[かたかな]」
4.掘付→「彫付[ほりつけ]」
5.忠心→「忠臣」
6.敬護→「警護」

また、署名にも問題があります。それは「紀氏竹内越中守正四位惟真」で、単
なる「正四位」という官位は存在しないのです。「正四位」にはそれぞれ「上
・下」があり、この場合「正四位上」または「正四位下」のどちらかでなけれ
ばならないのです。

たしかにこの点は博士の批判の通りです。

これらについての反論は後(後程採り上げる「誤字」「脱字」の論証)にして、
次の問題点を考えてみましょう。

資料として選ばれたテキストの中には全文が「神代文字」で記されている「大
日本国太古代上々代神代文字之巻」と呼ばれるものも登場します。この資料に
ついて博士は、

1.句読点の誤り
2.仮名遣いの誤り
3.全然無関係と思われる文字の使用
4.脱字の多さ
5.文法の誤り(動詞の終止形を用いるべき部分に連用形を用いている)
6.神代の言葉で綴られている筈なのに「漢音」の言葉が混入している=「即
  位」「勧請」「水門」等。

などの点を指摘しています。

さらに博士は「神代文字」についても、「へ」に相当する字が「尻を丸出しに
して放屁している」様子を象るなど、甚だ「稚拙」で「品位」に欠けると指摘
しています。

しかし、元来「神代文字」も含めて「象形文字」というものは、「ある物」の
「しぐさ」や「形」を元に作られる訳で、そういう意味からすれば「へ」の字
が「品位」に欠けるなどという指摘は「象形文字」に対する認識がないとしか
いいようがありません。

さて、以上のように博士の批判点のほんのごく一部を見てきた訳ですが、皆さ
んはどう思われたでしょうか?「博士の批判は絶対的に正しい」「やはり竹内
文書は偽書だったのか」と落胆された方も多い事でしょう。

ここで私は、第二の「古文書の継承過程」という面から博士に対して「批判」
をしてみたいと思います。

皆さんは、大事な書類の「控え」をどのようにとりますか?ーーー大抵の方は
コピー機でコピーをとると思います。コピーにかかる時間も数秒で終わってし
まいます。1枚の字数が400字だろうが1万字だろうが関係はありません。

コピーにかかる時間はどちらも変わりません。

「そんなこと当たり前だろ」と思われるでしょうが、ちょっと待って下さい。

もしこの作業=大事な書類の「控え」をとる)を、コピー機を使わずに、一字
一句手作業でするとしたらどうでしょうか? 400字と1万字では作業の時
間もまるっきり違うでしょうし、書き写す過程で「誤字」や「脱字」も出てく
るでしょう。

こういった作業を、我々人間は、ついこの間までしていたのです。そして現代
にまで伝わる「古文書」にしても、それは全く同じなのです。

例えば竹内文書を例に取ると、「初版」は獣の皮をなめした物を「紙」代わり
にして、その上に同じく獣の脂を「墨」代わりにして書かれたといわれていま
す。しかし日本は多湿の国です。物の傷み方が意外と早いのです。

するとどうでしょう? 獣皮に獣脂で、しかも「神代文字」で書かれた竹内文
書も、ある程度の期間を経過すると傷みも激しくなり「コピー」をとる必要が
でてきます。そこで別の物、例えば「和紙」に「墨」で書き写していきます。

こうして出来たものが「写本」といわれるものです。

「原本」が修復不可能となってしまったとしても「写本」があれば次代に「継
承」させる事ができます。このようなことが様々な古文書に対して行われてき
ました。

あの『古事記』にしても「原本」はもはや存在しません。残っているのは「写
本」なのです。

次に「神代文字」についてですが、竹内文書の「原本」は「神代文字」で書か
れていました。しかし、武烈天皇の時代、天皇の勅命を受けた大臣・平群真鳥
[へぐりのまとり]が「神代文字」で書かれた竹内文書を「漢字仮名交じり文」
で「写本」したといわれています。

なぜ神代文字で書かれていた竹内文書を「漢字仮名交じり文」で書写する必要
があったのでしょうか?それには「漢字」の問題がありました。「神代文字」
というのは、「漢字伝来以前にあった日本の古代文字」と前に書きました。

しかし、朝鮮半島や大陸からの渡来人が増加し「漢字」が知識人を中心に普及
していくと、「神代文字」は次第に衰退の途を辿っていったのです。その理由
は、

第一に、当時の支配階級の多くが「渡来系」で占められており「神代文字」を
排斥した事。

第二に、一般庶民から「神代文字」という「コミュニケーション手段」を剥奪
する事=つまりは「文盲」を増やす事だったのです。

このような中で、武烈天皇がわざわざ「神代文字」から「漢字仮名交じり文」
での書写を命じたのです。この理由は皆さんならもうお判りでしょう。次第に
衰退していく神代文字で書かれた竹内文書、

もしこのまま放っておくと、遂には神代文字を誰も読めなくなってしまう。す
ると、誰も読めない神代文字で書かれた竹内文書に、一体何が書かれているの
か判らなくなってしまう・・・

武烈天皇が危惧した点は、これだったのではないでしょうか?

さて、話を戻して、狩野博士の「批判点」の一つ、「表記誤り」や「漢音の混
入」についても反論できます。例えば下の言葉で説明しましょう。

1.古事記[こじき] ―→ ふることふみ
2.天皇[てんのう] ―→ すめらみこと
3.朝廷[ちょうてい] → みかど
4.日本[にほん・にっぽん] → やまと・ひのもと
5.言向和平す[?] ―→ ことむけやわす

括弧内[ ]が現代の読み方です。そして、右が昔の読み方です。漢字にルビが
振ってあれば読めるでしょうが、そうでなければ読めません。ことに「言向和
平す」を「ことむけやわす」と読める人が現在の日本に一体どのぐらいいるで
しょうか?

常用漢字でさえ「誤字」「脱字」が甚だしい現代人のことです。中世にしても
これと同じことが多々あったのではないでしょうか?「漢音の混入」にしても
「書写」の段階で「古語表現」をその時代の「現代風表記」に書き換えたとし
ても、それはそれで仕方がなかったのではないでしょうか?

「継承者」にとって大事なことは「一字一句正確に書写」することよりも「後
世の継承者が理解」できることのほうがずっと重要だったからです。

最後にもう一点。

竹内文書ばかりを採り上げましたが、学者には「誤字」「脱字」「文法上の誤
り」など、重箱の隅をつつくようなことよりも、「古史古伝」に記された「内
容」にもっと重点をおいて頂きたいと思います。

例えば『宮下文書』には、有史以来の富士山の火山活動や、それによって滅亡
した「家基都[かきつ]」と呼ばれる富士山麓の「古代メトロポリス」について
記されています。

これについては現代の研究で、宮下文書に記されている古代富士の火山活動の
正確さが実証されており、宮下文書の記述の正しさを証明した形となっていま
す。
このような点からも私は、「古史古伝」は偽書ではないと主張したいのです。

                        = この稿おわり =
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