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帝国電網省 ―――――――――― by 竹下義朗さん

この記事中の画像は全て「帝国電網省」の該当ページより転載しています。
☆ 昔はサイパンもパラオも日本だった ――――――― 2009/09/04
                        原著 2003/07/07

南の楽園──広大な太平洋に点在するポリネシア・メラネシア・ミクロネシア
の島々は、こう呼ばれ、日本人の心を擽{くすぐ}ってやみません。

実際、一年を通じて、サイパン島へは40万人、パラオ諸島=ベラウへは2万
人、ポナペ島=ポンペイへは1万人、コスラエ島へは2千人もの日本人観光客
が訪れています。

しかし、これら南洋の島々が、かつて日本の領土であった事を、どれ程の人が
知っているでしょうか? 恐らく知らないままダイビング等を楽しんでいるの
ではないでしょうか?

という訳で今回は、かつて日本領だった南の楽園について触れてみたいと思い
ます。

ーーー時は大正3(1914)年7月28日。

サライェボに於いて、オーストリアハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェル
ディナントがセルビア人青年ガブリエル・プリンチプによって暗殺された事件

所謂「サライェボ事件」が発端となって、独・墺(オーストリア)・土(トルコ)
・勃(ブルガリア)の同盟国と、英・仏・露・伊・米といった連合国による第一
次世界大戦が勃発しました。

この大戦に際して、日本は日英同盟に基づき、8月23日、対独宣戦布告し、
10月14日、赤道以北の独領南洋群島=ミクロネシアを占領、海軍による軍
政を実施したのです。

大正7(1918)年11月11日、キール軍港での水兵による反乱を契機に始まっ
た革命=ドイツ革命によって帝制が倒されたドイツが休戦条約に調印、ここに
欧州全域を巻き込んだ第一次世界大戦は終結。

これを受けて始まったパリ講和会議に於いて、大正8(1919)年5月7日、先に
日本が占領していた赤道以北の独領南洋群島=マリアナ・マーシャル・カロリ
ン等の諸島の委任統治国が日本に決定、

大正11(1922)年には、パラオ諸島コロール島に「南洋庁」が設置され、海軍
軍政から民政に移行、以後、南洋群島は昭和20(1945)年8月15日の終戦に
至る約30年間、日本の領土=委任統治領としての歴史を歩む事となったので
す。「正門より望む南洋庁庁舎」
http://chinachips.fc2web.com/photo2/td/090904_1.jpg

日本委任統治領南洋群島の行政区分『帝国行政区画便覧』南洋庁部分より。
(漢字は新字体に改め、島名は資料に忠実に表記)

――― サイパン支庁(マリアナ群島サイパン島)

マリアナ群島一円=サイパン島・ウラカス島・モウグ島・アツソングソン島・
アグリガン島・パカン島・アラマガン島・グウグワン島・サリガン島・アナタ
ハン島・メデイニイジヤ島・テニアン島・ロタ島

――― パラヲ支庁(西カロリン群島パラヲ諸島コロール島)

東経137度以西の西カロリン群島=パラヲ諸島・アンガウル島・ソンソール
島・メリー島・プール島・ヘレン礁・トコベ島

――― ヤツプ支庁(西カロリン群島ヤツプ島)

東経137度以東の西カロリン群島=ヤツプ島・ヌグール諸島・ウルシイ諸島
・フアイス島・ソロール諸島・ヨールピツク諸島・オレアイ諸島・フチヨウラ
ツプ諸島・イフリツク諸島・オリマライ島・エラート島・グリメス島・ピゲロ
ツト島・ラモトレツク島・サタワル島

――― トラツク支庁(東カロリン群島トラツク諸島夏島)

東経154度以西の東カロリン群島=トラツク諸島・モートロツク諸島・ナモ
ルツク諸島・ローソツプ諸島・ホール諸島・オロール諸島・プラツプ諸島・エ
ンダービ諸島・フルスク島

――― ポナペ支庁(東カロリン群島ポナペ島)

東経154度以東の東カロリン群島一円及び東経164度以西のマーシヤル群
島の一部=ポナペ島・オロルク島・アミシチア島・パキン島・ナチツク諸島・
ヌゴール諸島・グリーニツチ諸島・マタドル島・モキール諸島・ピンゲラツプ
諸島・クサイ島・ウゼラン諸島・エニウエタツク諸島

――― ヤルート支庁(マーシヤル群島ヤルート島)

東経164度以東のマーシヤル群島一円=ヤルート島・エボン島・ナムリク島
・キリー島・ミレ島・アルノ島・メジユロ島・アイリングラブラブ島・ヂヤバ
ツト島・ナモ島・エリツプ島・ラエ島・ウヂヤエ島・クワゼリン島・エルクツ
プ島・リキエツプ島・ウオツヂエ島・アウル島・マロエラツプ島・メジチ島・
アイルツク島・ウートロツク島・ピカール島・テケ島・ロンゲリツク島・ロン
ゲラツプ島・ウオツト島・アイリンギナイ島・ビキンニ島・ポカアー島

日本の領土となった南洋群島には、内地=日本本土)からも多くの日本人=主
に東北・沖縄出身者・朝鮮人(当時は日本国民)が移民として渡り、

現地でコプラ生産・砂糖黍{サトウキビ}の栽培と砂糖の生産・南国果実=トロ
ピカルフルーツ栽培・鰹節生産等の農業・漁業及び、燐{リン}鉱業=パラオ諸
島アンガウル島)に従事しました。

また南洋庁や「南興=南洋興発株式会社」の職員・その家族も多く住み、更に
は「南洋楼」に代表される料亭・泡盛{あわもり}屋・沖縄蕎麦屋・沖縄芝居小
屋・各種商店等も次々と出店し、

昭和18(1943)年時点で、在住日本人10万人を数える程となったのです。

昭和8(1933)年3月、国際連盟に於ける「日本軍の満州撤退勧告案」の採択に
反発した常任理事国日本は、同連盟を脱退したのですが、「国際連盟委任統治
領」だった南洋群島は引き続き領有。

その後、日米両国の対立が激化していく中で、南洋群島は西太平洋地域に於け
る戦略軍事拠点としての重要性が増し、トラック諸島(現チューク諸島)に日本
海軍が大規模な軍事基地を建設、超弩級巨大戦艦「大和」「武蔵」といった連
合艦隊主要艦艇の泊地=投錨地としたのです。

そして、対米開戦半年後の昭和17(1942)年6月5日、米国太平洋艦隊の基地
があったハワイに近い、中部太平洋のミッドウェー島近海で日米両軍が激突、

日本海軍機動部隊の大型主力空母「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の四隻が
米軍の攻撃で消失した、所謂「ミッドウェー海戦」を契機に、日本に優勢だっ
た戦局が逆転すると、

更に拍車が掛かり、マーシャル諸島・サイパン島、そして、日本が占領してい
たグアム島(米国領)等の島々が次々と要塞化されていきました。

しかし、時を経るに従って戦局は益々悪化し、マーシャル諸島=1944年02月、
サイパン島=1944年07月、グアム島・テニアン島=1944年09月、硫黄島=1945
年03月と、駐留日本軍部隊が次々と玉砕(全滅)し、

逆にグアム島・サイパン島は、米軍による日本本土爆撃の一大拠点として、ま
たテニアン島は、広島・長崎と二度に及んだ原爆の搭載機B−29大型爆撃機
発進基地として使われ、日本を苦しめる事となったのです。

昭和18年春、トラック泊地に進出した戦艦「大和」と「武蔵」
http://chinachips.fc2web.com/photo2/td/090904_2.jpg

戦後、敗戦国日本は、南洋群島に対する施政権を放棄、これに代わって「国連
信託統治領」として米国が新たな施政国となりました。

その後、サイパン島・テニアン島等の北マリアナ諸島は、昭和61(1986)年1
1月、プエルトリコ等と同じ「コモンウェルス=Commonwealth=内政自治権を
持つ米国領「北マリアナ連邦」としての道を歩み始め、

ヤップ・チューク(トラック)・ポンペイ(ポナペ)の三諸島とコスラエ島の四州
は昭和53(1978)年、「ミクロネシア連邦」を構成、昭和54(1979)年5月、
自治政府を発足させ、昭和61年11月に「対米自由連合=Free association
=内政・外交は独自、国防は米国に委任)として独立。

またマーシャル諸島は、昭和61年10月に、パラオ(ベラウ)諸島は、平成6
(1994)年10月に、それぞれ対米自由連合として独立し「マーシャル諸島共和
国」「ベラウ共和国」としての道を歩み始めたのです。

こうしてみてくると、日本統治時代の南洋群島は、軍事一色だったように思わ
れるかも知れません。しかし、日本の南洋統治は、決して軍事一色ではありま
せんでした。

例えば現在の「ミクロネシア連邦」は、ヤップ・チューク・ポンペイ・コスラ
エの四州で構成されていますが、公用語は「共通公用語」としての英語(米語)
と四州独自の言語となっています。

つまり、十把一絡げに南洋群島と呼んでも、そこで使われていた言語は、それ
こそ島の数程あった訳です。それら南洋群島全域の公用語として、日本は日本
語を普及させる為、統治当初から教育に非常に熱心に取り組みました。

そして、学業優秀な者については、渡航費用・学費等を全額支給した特待生と
して内地に留学させ、日本での高等教育を受けた留学生達は、帰島後、それぞ
れの島で、各方面における指導者として活躍しました。

ですから、現地を訪れた事のある日本人が、時たま、流暢で美しい「古き良き
日本語」を話す現地の高齢者と出会って不思議に思う事があるかもしれません
が、正に彼らこそが、日本の南洋統治時代に青春を送った世代なのです。

もっとも、戦後、施政権が日本から米国に移った事で、公用語としての日本語
は廃止、新たに英語が採用された事で、日本語は廃れてしまいました。

しかし今でも現地の言葉の中には、コンペイトウやオルゴールのように、すっ
かり日本語として定着した外来語同様、現地語として定着した日本語も多々残
されています。

「パラオ語として残った日本語」

デンワ=電話      セイフ=政府     ダイトウリョウ=大統領 
シコーキ=飛行機    センキョ=選挙    ハンケツ=判決
シコージョー=飛行場  コーホシャ=候補者  ハラウ=払う
センプーキ=扇風機   アブラ=油(燃料)   ツカレテ=疲れた
デンキ=電気      アンパン=餡パン   アバレテ=暴れる
デンキバシラ=電信柱  カツドン=カツ丼   モンダイ=問題
マド=窓        ウドン=饂飩     シンパイ=心配
テンジョウ=天井    ラーメン=拉麺    ショウライ=将来
ベンジョ=便所     ナッパ=菜っ葉    ダイクサン=大工さん
サルマタ=猿股=パンツ タマネギ=玉葱    ドーグバコ=道具箱

チチバンド=乳バンド=ブラジャー
キンロウホーシ=勤労奉仕
ゴミステバ=護美捨て場

また日本は、台湾・朝鮮同様、南洋群島に於いても、統治初期から病院・診療
所といった医療施設の充実を図り、現地の公衆衛生向上に傾注しましたし、前
述のように、「南興」を通して地場産業の育成と経済的自立=本国日本からの
経済援助から脱却)をも図りました。

確かに、これら全てがなんの見返りも期待していなかったか?といわれれば、
それは嘘になります。日本語を公用語に採用した言語統一にしろ、日本留学制
度にしろ、統治円滑化の一助になった事は否定できません。

しかし、公衆衛生向上や、地場産業育成といった、現地にそのまま還元される
施策を講じた事も、これまた事実です。

そして戦後、米国統治を経て独立=多分に米国の強い影響下にはあるが)した
現地──パラオをはじめとする各国やトンガに代表される太平洋諸国が、概し
て親日である事、これが日本による南洋統治の功罪をなによりも物語っている
ように思うのです。

――― 余談つれづれ

戦後、南洋群島の施政権は日本から米国に移り、これらの諸島は漸次独立して
いきました。しかし、果たして米国統治のほうが日本統治よりも評価されるべ
きものだったのでしょうか?

例えば米国は、マーシャル諸島において昭和21(1946)年から同33(1958)年
にかけて、「第五福竜丸」で名高いビキニ・エニウェトク両環礁で、実に67
回にも及ぶ核実験を行い、南の楽園に死の灰をばら撒きました。

それに加えて、核廃棄物の貯蔵・海洋投棄による後遺症で苦しむ現地島民に対
する補償についても、「核実験との因果関係は疑問」との理由で、今以て応じ
てはいません。

また日本統治時代が、水産品・砂糖等の内地=日本本土への輸出超過により、
経済的に自立していたのに対し、戦後、米国は、商品価値ゼロでしかも繁殖力
の早いタガンタガンの種子を山林部に空中散布し、急速なジャングル化を招い
て島の産業経済を破壊。

これによって否応なく対米経済依存=米国からの経済支援)体制を構築、あく
までも「対米自由連合」という米国関与の枠内での独立国としたのです。

その様に考えると、南洋統治の名の下に島の発展を支援した日本と、名目上の
独立の裏で、依然として隷属を目論む米国のスタンスというものがはっきりと
浮かび上がってくるように思えるのです。

                        = この稿おわり =
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┌──────────「1国民さん」 まだまだ日本人観光客があまり行かなかったとき、日本語で話しかけてくる島 人が多くいました。日本の名前をつけて喜んでいる人、道具作りや生活の色々 なことを教えてもらったこと、 一番喜んで語ってくれたこと「アメリカは金しかくれないが、日本人は病院と 学校を作ってくれた、日本のほうが良かった」ーーーこれを聞いたとき、日本 を誇りに思ったものです。 └────────── ┌──────────「権兵さん」 南洋諸島は日本領だったとはいえない。なぜなら国際連盟からの「委任統治」 であり、必ずしも日本領ということは無理がある、あくまで委任統治である。 また、現地島民には日本国籍も与えず、あくまで「島民」として扱うなどして きた。確かに病院や港湾施設を作ったことは否定しませんが、まず第一に日本 の利益のためにしたことである。表面的に見ることは偏ることになります。 └──────────
本当にそうだこのとおり!‥‥と思われた方!「誰でもできる!1人1日1回の愛国活 動」は、ここをクリックして頂くことからはじまります!ーーークリックして頂くと票数がアップして、この問題を多くの 人々に知らせる事ができます!
    
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