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帝国電網省 ―――――――――― by 竹下義朗さん
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☆ カシミール問題は印パ2国の問題? ――――――― 2009/07/24
原著 2003/04/22
皆さんはカシミール問題をご存じでしょうか? インド亜大陸の北西端に位置
する地域「カシミール(カシミア Kashmir)」の帰属を巡って、インド(以下
印度と略)とパキスタンが係争している問題で、両国は二度にわたって全面戦
争=印パ戦争:1947〜1949&1965〜1966)をしており、
この問題は、今尚、両国間に刺さった棘として対立の火種を残しています。
しかしこのカシミール問題に、印パ両国とは別に、もう一つの当事国が介在し
ている事実はあまり知られていません。
というわけで、今回は、カシミール問題に於ける印パに次ぐ第三の「当事国」
について書いてみたいと思います。
カシミール問題に於ける印パに次ぐ第三の「当事国」とは一体何処なのか?
それを明らかにする前に、先ず、カシミール問題の概略についてざっと見てみ
ましょう。
そもそもの発端は、昭和22(1947)年8月、英領印度がヒンドゥー教徒を主体
とする「印度」と、イスラム教徒を主体とする「パキスタン=独立当時は西パ
キスタン(現パキスタン)と東パキスタン(現バングラディシュ)から構成されて
いた」とに分離独立したのに始まります。
この時カシミール地方が印パ両国どちらに帰属するのかが焦点になりました。
印パ両国が独立してから2ヶ月後の昭和22年10月、パシュトゥーン人=ア
フガニスタンに於ける多数派民族)がカシミール渓谷に侵入してきたのを見た
当時のジャンムーカシミール藩王国の藩王(マハーラージャ)・ハリ・シング--
--彼はヒンドゥー教徒だったのですが----は、
パシュトゥーン人の背後にパキスタンの支援があると見て取り、印度に対して
自領の編入を求めると同時に、パシュトゥーン人侵入者の排除を求めました。
これに対して印度は、カシミールへ軍隊を派遣、パシュトゥーン人侵入者に対
する掃討軍事作戦を実施し、カシミールのほぼ全域を制圧、印度への編入に踏
み切りました。
しかしカシミール住民の約77%がイスラム教徒(ヒンドゥー教徒は約20%)
で、「民意」がパキスタンへの編入を求めた事から、昭和23(1948)年5月、
今度はパキスタンが軍事介入、カシミール地方の帰属を巡って、建国間もない
印パ両国が全面戦争=第一次印パ戦争)を戦うこととなったのです。
結局、第一次印パ戦争は、同年12月末、国連安全保障理事会の調停によって
停戦が実現、印パ両国の実効支配線を停戦ライン(暫定国境)としたカシミール
地方の暫定的分割領有と、「最終的な帰属は将来の住民投票による」事を以て
一応の決着が図られたのです。
昭和23年12月末、第一次印パ戦争は、印度寄りの三分の二が印度領「ジャ
ンムーカシミール州」、パキスタン寄りの三分の一がパキスタン領「アーザー
ドカシミール州(北部地区)」として、印パ両国による分割領有で決着が図られ
た訳ですが、
これはあくまでも「暫定的」措置であって、印パ両国共にカシミール地方「全
域」の領有を諦めた訳ではなく、対立の火種はいぜん残ったままでした。
その後、昭和40(1965)年4月初めに、カッチ湿原で印パ両軍が衝突、5月初
め、印度政府がジャンムー・カシミール州首相シャイフ・アブゥドゥッラーを
分離独立(イスラム国家建設)運動の扇動者として逮捕、
8月初め、パキスタン側からイスラム武装ゲリラがカシミール渓谷に侵入する
等の事件が続発し、印パ両国の対立は益々激化していったのです。
そして9月1日、遂にパキスタン軍が印度領のチャンブを攻撃、これに対して
印度軍が6日にパキスタン領のラホールを報復攻撃した事から再び全面戦争に
発展=第二次印パ戦争)したのです。
結局、第二次印パ戦争も、米英両国や国連安保理の停戦圧力により、9月22
日、印パ両国が国連安保理の停戦決議を受諾、翌昭和41(1966)年1月、コス
イギン・ソ連首相(閣僚会議議長)の調停で、印パ両国は中央アジアの枢要都市
タシュケントでの首脳会議を経て、開戦以前の状態に復す事で決着が図られま
した。
しかし、皆さんもテレビや新聞でご存じのように、今現在も印パ両国は「カシ
ミール問題」で対立しており、平成10(1998)年の印パ両国による核実験と、
その後の核武装・各種ミサイル発射実験は記憶に新しいところです。
さて、このようにカシミール地方を巡る印パ両国の対立史を見てきた訳ですが
冒頭で書いた通り、カシミール問題の当事者は印パ両国だけではありません。
実は、もう一つの国が絡んでいたのです。そしてカシミール問題に於ける第三
の当事国は、なんと支那(中国)なのです。
昭和37(1962)年10月12日、チベット問題等で対立してきた印度・支那両
国が、隣接する国境線全域にわたって大規模な軍事衝突を起こしました。これ
が所謂「中印戦争(中印国境紛争)」と呼ばれるものです。
10月19日、セラ峠を占領した支那軍が全面攻撃を開始、戦線各地で印度軍
が敗退した事により、中印戦争の雌雄は決しました。
この中印戦争によって、支那は、暫定印度領「ジャンムーカシミール州」の北
東部に位置するラダック地方の一部、アクサイ・チン(Aksai Chin)」地区を占
領、自国領に併合したのです。
また、印度・支那両国は、互いに「アジアの老舗=大国」としてライバル関係
にあり、昭和22年の独立以来、印度に対して常に軍事的劣勢にあったパキス
タンを支那が軍事支援してきた事と、
「敵=印度の敵=支那は味方」という論理に基づいて、暫定分割線よりも北側
の印度側占領地のうち、パキスタンが占領=奪還した地域を、昭和38(1963)
年、パキスタンから割譲されています。
つまりカシミール地方は、
印度=ジャンムーカシミール・パキスタン=アーザードカシミール・支那=ア
クサイチンの三国によって三分割されているのです。
http://chinachips.fc2web.com/illust/map/kashmir-s_color.gif
さて、このように印パ両国だけが当事国だと思われていたカシミール問題に、
実は支那も一枚噛んでいたということを書いたわけですが、この地域の問題に
支那が絡んだ事で、引き起こされたもう一つの問題についても書いておきたい
と思います。
それは、平成10年、世界中に衝撃を走らせた印パ両国による核実験と、その
後の弾道ミサイル発射実験についてです。
一般に印パ両国の核武装は、互いの国に対する軍事的優位を保つ為とされ、特
にパキスタンについては、通常戦力で常に印度に劣勢である以上、それを挽回
する為に核武装に走ったとされています。まあ、この認識は基本的に正しいと
思います。
しかし、印度の核武装、というよりも核実験については疑問を抱かざるを得ま
せん。何故なら、印度はパキスタンに対して通常戦力に於いて常に優位にあり
パキスタンに先んじて核実験を強行する必要等なかったからです。
印度が核実験を強行した事が引き金となり、パキスタンも支那の技術支援を受
けて核実験を強行、遂には両国共に核武装する事となった訳で、印度が核実験
に踏み切らなければ、パキスタンも無理してまで追随する事はなかったでしょ
うし、その後の両国核武装による核による均衡という事態を招く事もなかった
でしょう。
しかし、現実に印度は核武装の道を選びました。では、印度をして核武装に走
らせたものとは一体何だったのか?
実は、印度が核武装した直接の要因は、支那にあるのです。どういうことかと
いうと、米露の軍事偵察衛星の情報によって、印度国内の少なくとも90都市
が支那の核弾道ミサイルの照準を合わされている事が判明したのです。
そこで印度が考えた事は、「核に対しては、核を以て対抗する」つまり印度も
軍事対抗上から核武装し、支那の諸都市に対して核ミサイルの照準を合わせる
ということだったのです。
でなければ、軍事的優位にある印度が、パキスタンを刺激し核武装に走らせる
事を百も承知の上で、わざわざ、核実験強行という愚を犯す筈がありません。
以上みてきたように、カシミール問題・印パの核武装問題ともに支那が関わっ
ていた訳で、これは裏を返せば、支那が印度の敵パキスタンを支援してきた事
で、印パ両国の対立を煽り、ひいては南アジア地域の不安定材料を常に提供し
てきたということでもある訳です。
まあ、支那にしてみれば、印パ両国が和解し、南アジア地域が平和になるとい
う事は、地域大国印度がパキスタン対抗の為に削いできた国力=主として軍事
力を、自国=支那に振り向けてくることが必至なので、いつまでも印パ両国の
対立を煽っているのでしょう。
そのような見方──支那を要素の一つとして加える──をすることで、初めて
カシミール問題を初めとする印パ両国の対立の構図がよりはっきりと見えてく
るのです。
――― 余談つれづれ
昭和22年の独立以来、半世紀以上に渡って係争されてきたカシミール問題。
二度に及ぶ印パ戦争、核実験強行、弾道ミサイル発射実験・・・その間、印パ
両国が注ぎ込んだ国力は途轍もないものがあります。印パ両国とも政治・宗教
の違いや、互いの国の民意や面子もあり、表面的には退くに退けない状況にあ
ります。
しかしその内実は、カシミール問題が両国にとってお荷物になっている現実に
突き当たります。それを如実に物語っているのが、
平成12(2000)年8月、ジャンムーカシミール州の夏の州都・スリナガルに於
いて、パキスタンへの帰属を求めて分離運動を展開してきた同国最大の反政府
イスラム軍事組織「ヒズブルムジャヒディーン」が、初めて印度政府当局と会
談した事です。
一説に、パキスタンは、印度国内の分離運動支援の為に年間1千万米ドルを、
印度政府もその鎮圧軍事費に4千万米ドルをそれぞれ支出、両国ともにその莫
大な財政負担が国家財政を圧迫しており、本音では事態の早期沈静化・全面的
和平を求めているといえます。
ーーー要は、印パ両国それぞれの面子が保たれる上で決着可能な「落とし所」
さえ用意すれば良い訳です。
例えば・・・少々突飛な考えかも知れませんが・・・印パ両国にカシミールの
領有権を放棄させる、というのも一つの手です。
印パ両国ともに国家の面子がある以上、互いに相手国への帰属等絶対には認め
られるものではありません。かといって、これ以上の対立は、下手をすると両
国の共倒れにも繋がりかねません。
ならばいっその事、かつてカシミール地方が藩王国であった歴史に鑑みて、印
度でもなくパキスタンでもない、「カシミール」という一つの主権国家として
独立──民族・宗教の違いを超えた印パ両国間の緩衝国家とする第三の道もあ
るのではないでしょうか?
そして、支那とは異なり、印パ両国のどちら側にも与せず、敵対関係にない日
本にこそが、その仲介・調停の任に最も相応しいと思うのですが・・・・
= この稿おわり =
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◇ 他国の問題に口出しすることはない -------------------- 8人 ( 9%)
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┃●┃ お寄せいただきましたご意見や感想。
┗━┛ ┌──────────「1国民さん」
解決しないのは中国が絡んでいるからで、中国がからんでいる限り解決は無理
です。
カシミールを独立させれば、チベットやウイグルのように中国に侵略され属国
化される。これはインドにとっては耐えられないこと。
現状のまま、インドの国力を削ぐことが中国の戦略であろう。カシミール問題
を解決するには、中国に対抗しうる勢力ができるか、中国が衰退しない限り難
しいだろう。
└──────────
┌──────────「埼玉県民さん」
我が国とインドに共通の利害があるとすれば、その一つは支那が仮想敵国だと
云う点だ。その点を考慮すると、印パ両国間の仲介・調停をするのは理に適っ
ていると思う。
両国で支那を挟み込み、牽制することで、アジア地域の安定に繋がるのではな
いだろうか。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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