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帝国電網省 ―――――――――― by 竹下義朗さん

この記事中の画像は全て「帝国電網省」の該当ページより転載しています。
☆ 中華民国は清朝の後継国家ではない ――――――― 2009/05/08
1911(清の宣統2・明治45)年の武昌蜂起に始まった辛亥革命は支那全土
に波及し、翌1912年1月1日、孫文が臨時大総統(大統領)に就任、ここに
曲がりなりにも「中華民国」が成立したのです。

しかし、成立したとはいえ清朝が崩壊した訳ではなく、かといって民国政府も
発足したとはいえ全土を掌握する実力がある訳でもなく、情勢は混沌としたま
まだったのです。

このような中、時の実力者・袁世凱が清朝・民国政府両者を仲介「ある条件」
を以て宣統帝・溥儀=ラストエンペラーの「退位」を引き出し、同年2月20
日、宣統帝が退位、約300年続いた清朝が滅亡したのです。

と、ここまでは、皆さんもご存じの歴史だと思います。そして皆さんは、清朝
の滅亡により「後継国家」としての中華民国が成立した、と認識されていると
思います。

ーーーしかし、実際にはそうではなかったのです。ズバリいえば、中華民国は
清朝の「後継国家」ではなかったのです。

というわけで、今回は、宣統帝退位に伴った「ある条件」を軸に、この問題に
ついて書いてみたいと思います。

宣統帝・溥儀の退位に伴った「ある条件」とは一体何だったのか?

それは、一般に『退位協定』と呼ばれるもので、その中に清朝にとっての各種
優待条件があったからこそ、清朝=宣統帝が退位を受諾した訳です。

その退位協定とは以下のようなものだったのです。

中華民国政府が清朝と締結した退位協定(抜粋)
┌--------
・大清皇帝=宣統帝・溥儀)は、辞位=退位)後も皇帝の尊号を廃止せず、
 中華民国は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する。
・大清皇帝は年金として毎年400万両[テール]を中華民国より受領する。
・大清皇帝は、暫時、紫禁城内に居住し、後日、頤和園に移住する。
・大清皇帝の宗廟・陵(墓所)は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護す
 る。
・先帝・徳宗景皇帝=光緒帝)陵の工事は予定通り続行する。その奉安の儀式
 も旧制のままとする。
・紫禁城内の各職員は従来通り使用できる。但し太監(宦官)は今後採用できな
 い。
・大清皇帝の私有財産は中華民国が特別に保護する。
・禁衛軍=皇帝守備軍)は中華民国陸軍部の編成下におかれる。
└--------

退位協定には、この他、清朝皇族・満州・モンゴル・ウイグル・チベット各民
族に対する優待条件等も規定されていましたが、やはり核心は、宣統帝・溥儀
に対する処遇であったのは確かです。

支那王朝史上、幾多の皇帝・王がその地位を失い、玉座から引きずり下ろされ
てきました。所謂「廃位」です。

そして、廃位された皇帝は廃帝(但し王朝最後の皇帝は献帝・哀帝・末帝など
諡号[おくりな]は様々)と呼ばれ、自殺した者、殺害された者も多く、よしん
ば生き長らえたとしても、庶人=平民の地位に落とされ、惨めな生活を送る事
となった者も数多くいました。

しかし、溥儀は確かにラストエンペラーではありましたが、決して「廃帝」で
はなかったのです。

溥儀は形式上、中華民国政府によって「放伐=支那人の易姓革命観に基づくも
ので、徳を失った皇帝を討伐して放逐する事」されたのではなく「禅譲=皇帝
が帝位を世襲せずに徳のある者に譲る事」した事になっていました。

溥儀が無理矢理帝位から引きずり下ろされたのならば、廃帝ということになる
訳ですが、彼は禅譲した事になっているので「遜帝[そんてい]=帝位を譲った
元皇帝」と呼ばれていました。

そして、遜帝であった証拠が退位協定における、

「大清皇帝=宣統帝・溥儀)は辞位=退位)後も皇帝の尊号を廃止せず、中華
民国は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する」

だった訳で、退位後も皇帝の尊号を名乗る事が許され、「皇居=紫禁城」に住
み続け、高額の年金を支給され、側近等の使用人もそのまま使い続ける生活を
も保障されたのです。

つまり、中華民国政府にとって溥儀は、新政府に禅譲した先帝陛下だったとい
う事になり、その視点に立てば、中華民国は正に清朝の「後継国家」という事
ができる訳です。

しかし敢えて言います。それでも中華民国は清朝の後継国家ではなかったと。

では何故、中華民国が清朝の後継国家ではないのか?ーーーその答えはその後
の歴史が図らずも証明しているのです。

退位協定締結から僅か2年後の1914年2月、清朝と中華民国政府を仲介し
退位協定の締結に深く関与した袁世凱=この時、中華民国大総統の地位にあっ
たのですが、彼の公布した大総統令
┌--------
大清皇帝=溥儀)は、本日を以て永久に皇帝の尊号を廃除し、中華民国の一国
民として、法律上一切の権利を同等に享有する。
└--------
によって、いとも簡単に反古にされてしまったのです。

つまり、大総統令は「遜帝」或いは「先帝」である溥儀を、「中華民国の一国
民=庶人」に落とすと宣言しているのです。(満蒙皇族についても同様)ーーー
しかも、溥儀等になんらの相談もなく一方的にです。

退位協定はれっきとした契約であり、契約は当事者間の交渉で改定・廃棄され
る事を考えると、これは明らかな「契約違反」といえる行為です。

溥儀等からすれば到底受け入れる事などできよう筈がなく、彼等は民国政府に
よる一方的な協定変更を認めず、退位協定を盾に従前同様の生活を続けたので
す。ーーーしかし、溥儀等の抵抗も長くは続きませんでした。

民国政府側は、退位協定の一方的な改定後、更に輪をかけるような行為を繰り
返しました。

1924(大正13)年10月23日、時の権力者・呉佩孚の部下だった馮玉祥
がクーデター(北京政変)を起こし、首都・北京を占領、呉佩孚の追放に成功す
ると、同年11月5日、馮玉祥は軍兵を紫禁城に差し向け、溥儀等を紫禁城か
ら追放したのです。=溥儀等は天津租界の日本公使館に保護された。

しかし、事はそれだけでは済みませんでした。民国政府は、主人(溥儀)を失っ
た紫禁城から、清皇室の財産を悉[ことごと]く没収し、財宝の掠奪を欲しいま
まにしたのです。

そして更にはあろう事か、西太后を始めとする清朝歴代諸帝の御陵にまで軍兵
を差し向けて盗掘し、副葬品として埋葬されていた財宝までをも掠奪、それら
を売却して内戦の軍費に充当したのです。

さて、話を中華民国が清朝の「後継国家」であったか否かに戻しましょう。

ここまで見てきたように、中華民国が清朝との間に退位協定を締結し、宣統帝
溥儀から「禅譲」という形で政権を移譲された事は確かです。

しかしその後、一方的に退位協定を改定、協定に明記されていた各種条項を悉
く破棄し、財産没収・財宝掠奪等の暴挙を働いたのも事実です。

つまり見方を変えれば、中華民国は清朝から禅譲された政権の「正統性」を自
ら放棄した。=「後継国家としての地位」を擲[なげう]ったといえ、それは図
らずも、清朝歴代諸帝御陵に対する盗掘が何よりも証明しているのです。

――― 余談つれづれ

「遜帝」溥儀が、民国政府による退位協定の一方的な改定・破棄によって「廃
帝」にされ、更には紫禁城を逐われて天津租界の日本公使館に保護されたのは
前述の通りです。

その後、関東軍によって父祖発祥の地である満州に迎えられ、「後清」ともい
える「満州国」の皇帝に返り咲いたのは周知の事実です。

しかし、もしも民国政府が退位協定を一方的に改定・破棄することなく、遜帝
溥儀を始めとする清朝・満蒙皇族の身分を保障し、満蒙・ウイグル・チベット
各民族に対する優待条件を遵守尊重していたとしたら、

ーーー溥儀がわざわざ満州国の皇帝になる必要もなかったでしょうし、或いは
非漢民族による支那国内の分離独立運動も起きなかったかも知れません。

その意味では、その後の歴史は支那=民国政府自身が招来したことともいえる
のです。

                        = この稿おわり =
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┌──────────「ufufu さん」 別に正当であろうとなかろうと、実際問題、関係ないでしょう。 約束を破る事は良くない事ですが、だからといって歴史や時間が戻る訳でもな いですし、考察するのは自由ですが、だからといって非難したところで、はい そうですか、となるわけでもないですし。 大体、世界の国々の人々は、日本人が考えている程、お人好しは少ないように 思います。 国が変わる時に、正当性を考えるのは日本人ぐらい=1/60なので、世界全 体の1.6%)でしょうし。大体からして、今のアメリカやオーストラリア等 は、完全に正当な後継国家じゃなく、いうなればイギリスの国家乗っ取り行為 です。 └────────── ┌──────────「菅野さん」 ┌-------- 遜帝・溥儀が、民国政府による退位協定の一方的な改定・破棄によって廃帝に され、更には紫禁城を逐われて、天津租界の日本公使館に保護された。 └-------- という事実を初めて知った。当時の資料を知りたい。
└────────── ┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
フリー百科事典「ウィキペディア」は、項目によっては信頼度がかなり落ちま すけれど、大掴みに推移を見ることができますから、そこの日付から当時の新 聞ニュースを検索して確認される方法がよろしいのではないでしょうか。 「愛新覚羅溥儀」の項 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%A5%E5%84%80 └────────── ┌──────────「シンボーさん」 遜帝の意味がようやく分かりました。ン十年来の愛読書「歴史よもやま話」に 遜帝が出てきてましたから。 その中の「宦官」に、橋川時雄氏(当時順天時報の編集長)が、宮廷記事の統一 ということで遜帝である、とやかましくいっていたが、刷り上げまで見ないと 宣統帝、皇帝になっていると言っています。 新書「2・26事件」には、満州事変は日本陸軍と清の遺臣の合作、といった 意味のことが書いてある。このことからしてもそう言えるのだろう。 └──────────
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