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帝国電網省 ―――――――――― by 竹下義朗さん

この記事中の画像は全て「帝国電網省」の該当ページより転載しています。
☆ 尖閣は日本領!の歴史的傍証 ―――――――――― 2008/06/27
尖閣諸島
「尖閣諸島」(尖閣群島とも呼ぶ)は、 「沖縄県石垣市登野城」という、れっ きとした地籍をもっています。 魚釣島(釣魚台)・北小島・南小島・久 場島(黄尾礁)・大正島(赤尾礁)の5島 と、沖北岩・沖南岩・飛瀬の3岩礁で 構成され、 沖縄の南西・台湾の北東に位置し、石 垣島から北に約170Kmの海上にある 無人島群です。
尖閣諸島の位置地図
諸島最大の魚釣島でさえ、面積は3.6平方Kmしかなく、高さ383mの峻険 な丘を抱えています。このような無人島群である尖閣諸島の領有権を、現在、 日本・台湾・支那の三国で争っているのです。 では、なぜ日本のみならず、支那や台湾までもが領有権を主張しているのか? その前に、日本が尖閣諸島を領有するに至った経緯について触れてみたいと思 います。 明治12(1879)年、日本政府は琉球王国改め琉球藩を廃止し、沖縄県としまし た。その後、日本政府は明治18(1885)年以来、数回にわたって沖縄県当局を 通じ尖閣諸島を実地調査し、 無人島であること、清国を含むどの国にも所属している証跡がないことを慎重 に確認した上で、明治28(1895)年1月14日の閣議で沖縄県への編入を決定 し、正式に「日本の領土」となったのです。 この、日本領有の根拠としているのは、国際法でいうところの「無主地の先占 =occupation」の原則です。 「無主地の先占原則」 ┌-------- ある国は、「無主地=どの国にも属さない地域」がある場合、一方的な措置に よってこれを自国の領土とすることができる。 └-------- つまり平たくいうと、ある土地に、誰も住んでおらず、しかも誰の所有でもな かった場合、一番最初に見つけた人のものになる、ということなのです。ちな みに先占の具体例として、フランスによるタヒチやニューカレドニア=ヌーベ ルカレドニー)などの太平洋島嶼の領有が挙げられます。 このように、「先占」で日本が獲得した尖閣諸島ですが、戦後もかなり経った 昭和46(1971)年、突如として台湾・支那両国から領有権が主張され始めたの です。ーーーでは、何故、それまでひと言も「領有権」を口にしていなかった 台湾・支那両国が、急に領有権を主張し始めたのでしょうか? 昭和43(1968)年、国連・アジア極東経済委員会(以下、ECAFEと略)が、 一つの報告書を発表しました。タイトルは『支那・東支那海と朝鮮海峡の海底 地層と石油展望』。 前年から、東支那海の海底資源を調査していたECAFEがまとめた報告書に は、「沖縄諸島と台湾、日本の間の大陸棚の縁や、黄海・渤海には石油埋蔵の 可能性が高い」とし、尖閣諸島の海域にも大規模な海底油田・天然ガス田があ ると考えられたのです。 つまり「絶海の無人島」で交通の便も悪い辺境の島が、一夜にして「宝島」と なった訳です。ーーーそしてこの発表後、台湾・支那が相次いで領有権を主張 し始めたのは前述の通りです。 こう見てみると、「お宝=石油・天然ガス」に目が眩んでの領有権主張とみて も当然といえば当然でしょう。とはいっても、果たして本当に「お宝」目当て の領有権主張なのでしょうか? それとも尖閣諸島は日本の領土ではなく、台湾あるいは支那の領土なのか? 結論からいえば、尖閣諸島はやはり正真正銘「日本の領土」です。そしてそれ を証明するものは、はからずも領有権を主張している台湾・支那側にあったの です。 中華民国59(1970=昭和45)年、台湾で発行された『国民中学地理科教科書』 の初版所載の「琉球群島地形図」には、日本と台湾の国境線が、台湾と尖閣・ 八重山諸島の中間に引かれており、島嶼名も「尖閣群島」と日本名で記載され ていたのです。
台湾「国民中学地理科教科書(初版1970)」所載「琉球群島地形図」 台湾「国民中学地理科教科書(初版1970)」所載「琉球群島地形図」
同地図の拡大図(台湾と尖閣・八重山諸島の中間が国境線) 同地図の拡大図(台湾と尖閣・八重山諸島の中間が国境線)
ところがその翌年、中華民国60(1971=昭和46)年に発行された同教科書=改 訂版)では、国境線が台湾・尖閣諸島と八重山諸島の間に引き直され、「尖閣 諸島」の島嶼名も「釣魚台列嶼(ちょうぎょだいれっしょ)」と書き改められた のです。
台湾「国民中学地理科教科書(改訂版1971)」所載「琉球群島地形図」 (国境線の変更と「釣魚台列嶼」の島嶼名に注目) 台湾「国民中学地理科教科書(改訂版1971)」所載「琉球群島地形図」
つまり、台湾「国民中学地理科教科書」を例にとれば、少なくとも1970年 までは、台湾は尖閣諸島を「日本の領土」であると認めていたわけで、翌19 71年、台湾が尖閣諸島の領有権を主張したのに伴って、国境線と島嶼名が変 更されたと考えられる訳です。 では、もう一つの当事者・支那の場合はどうかということですが、 1958(昭和33)年、北京の地図出版社から発行された「世界地図集」所載の 「日本図」の場合も、「尖閣諸島」は台湾同様に「尖閣群島」と日本名で記載 され、国境線も台湾と尖閣・八重山諸島の中間線に引かれていたのです。
北京・地図出版社発行「世界地図集(1958)」所載「日本図」 (台湾と尖閣・八重山諸島の中間が国境線) 北京・地図出版社発行「世界地図集(1958)」所載「日本図」
つまり、台湾・支那両国共に、当初=ECAFEによる報告書発表以前は尖閣 諸島を「日本の領土」と認識していた訳で、両国による領有権主張は、やはり 「お宝」目当てと考えざるを得ないのです。 さて、ECAFEによる報告書によって一躍「宝島」として脚光を浴び、日台 支三国の係争地となった尖閣諸島ですが、本当に報告書にあるような「宝島」 =有望な海底油田があるのでしょうか? 日本側の調査報告では1095億バレル≒150億トン)、支那側の1980 年代初頭の推計では700〜1600億バレルとされています。 しかし、米国CIA(中央情報局)の試算では390億バレル(1977年推計)、旧 ソ連の地質学者に至っては75〜112億バレル(1974年推計)とし、最新の科 学調査では僅か32億バレル程度ともいわれています。 蓋を開けてみれば、埋蔵量は案外大したものではないのかも知れません。 ーーーとはいうものの、海底油田の有無が問題なのではありません。 尖閣諸島はあくまでも「日本の領土」なのです。「お宝」に目が眩んだ台湾・ 支那両国、特に近年、周辺海域に海軍艦艇や海洋調査船を頻繁に繰り出してい る支那への警戒は怠るべきではありません。 かつて、南支那海の南沙諸島(スプラトリー諸島)において、フィリピンが主権 を主張する小島を、警戒の隙を突いて支那海軍が奪取したことがありました。 いや、もっと身近な例では「竹島」があります。 その意味でも日本は、「日本の領土」である尖閣諸島の領有権を、台湾や支那 に気兼ねすることなく、より強く主張すべきです。と同時に、容易に占領=奪 取されることがないよう、より一層防衛に努めるべきといえます。 ┌──────────「尖閣諸島」関連年表 1879(明治12)年 琉球処分(日本政府、琉球藩を廃止し沖縄県を設置) 1884(明治17)年 この頃より、福岡県の事業家・古賀辰四郎氏、尖閣諸島で漁         業等に従事 1885(明治18)年 日本政府、沖縄県当局を通じ数次にわたる尖閣諸島実地調査 1894(明治27)年 7月、日清戦争勃発 1895(明治28)年 1月14日、閣議決定により尖閣諸島を沖縄県の所轄として         標杭の設置を決定(=領土への編入) 1895(明治28)年 4月17日 日清講和(下関)条約調印により、清国、台湾・         澎湖諸島を日本に割譲(割譲の対象となった島嶼に尖閣諸島         は含まれていない) 1895(明治28)年 6月10日 古賀辰四郎氏、野村靖内相宛に「官有地拝借御         願」を提出 1896(明治29)年 日本政府、尖閣諸島の内、魚釣島・北小島・南小島・久場島         の4島を古賀氏に30年間無料貸与 1918(大正7)年 古賀辰四郎氏死去。子息・善次郎氏、父業を継承し魚釣島・         南小島でカツオブシ、海鳥の剥製等の製造を行う 1926(昭和元)年 尖閣諸島の内、4島の古賀氏への無料貸与期限満了(以後、         一年契約の有料貸与に切り替える) 1932(昭和07)年 古賀氏、尖閣諸島のうち4島の払い下げを申請。政府、同氏         の申請を受け4島を有料で払い下げる(以後、民有地) 1952(昭和27)年 8月、日華平和条約発効 1953(昭和28)年 12月25日、琉球列島アメリカ民政府布告第27号「琉球         列島の地理的境界」で施政範囲の緯度・経度を明示=尖閣諸         島も米国の施政権下に含まれる 1958(昭和33)年 11月、北京の地図出版社、「世界地図集」発行(尖閣諸島         を「尖閣群島」と日本名で表記し、日本領として扱っている 1965(昭和40)年 10月、台湾国防研究院・支那地学研究所、「世界地図集第         1冊東亜諸国」初版出版(尖閣諸島を「尖閣群島」と日本名         で表記し、日本領として扱っている) 1967(昭和42)年 国連・アジア極東経済委員会(ECAFE)、東支那海の海底         資源を調査 1968(昭和43)年 8月、琉球政府法務局出入管理庁係官、南小島において台湾         人労務者が不法上陸し、同島沖で座礁した船舶の解体作業に         従事していたのを発見。台湾人労務者、係官の退去要求に応         じて離島 1968(昭和43)年 ECAFE、調査報告書『支那・東支那海と朝鮮海峡の海底         地層と石油展望』を発表(尖閣諸島一帯に豊富な石油資源が         埋蔵されている可能性が高いと指摘) 1969(昭和44)年 5月、石垣市、魚釣島・北小島・南小島・久場島・大正島の         5島に地籍表示用の標柱設置(尖閣諸島の地籍は、沖縄県石         垣市登野城に属す) 1970(昭和45)年 1月、台湾(中華民国)国定教科書「国民中学地理科教科書第         4冊」初版発行(尖閣諸島を「尖閣群島」と日本名で表記し         日本領として扱っている) 1970(昭和45)年 7月、琉球政府、琉球列島米民政府の協力で、魚釣島・北小         島・南小島・久場島・大正島の5島に領域表示板設置 1971(昭和46)年 4月、台湾、尖閣諸島の領有権を主張 1971(昭和46)年 台湾国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」改訂版発行         尖閣諸島を「釣魚台列嶼」と表記し台湾領として扱っている 1971(昭和46)年 6月11日、沖縄返還協定に対して、台湾(中華民国)外交部         声明を発表(日本への返還範囲に含まれる尖閣諸島の領有権         を主張) 1971(昭和46)年 6月17日、佐藤栄作総理・ニクソン米大統領の間に、沖縄         返還協定調印 1971(昭和46)年 12月30日、沖縄返還協定に対して、支那外交部声明を発         表(日本への返還範囲に含まれる尖閣諸島の領有権を主張) 1972(昭和47)年 5月15日、沖縄返還協定に基づき、南西諸島全島の施政権         が米国から日本に返還(尖閣諸島は、合意議事録に明記され         た範囲=緯度・経度に含まれている) 1972(昭和47)年 右翼団体「日本青年社」、魚釣島に航路標識(灯台)を設置 1978(昭和53)年 日中平和友好条約調印(日本・支那両国共に、尖閣諸島領有         権問題を当面の間棚上げとする事で合意) 1988(昭和63)年 「日本青年社」魚釣島に航路標識法に基づく灯台を設置 1989(平成元)年 9月、海上保安庁、尖閣諸島海域に侵入した台湾漁船を領海         外に駆逐 1990(平成02)年 9月29日、日本政府、「日本青年社」設置の魚釣島灯台を         航路標識として正式に認定 1992(平成04)年 支那、「領海法」を制定し「釣魚台=尖閣諸島」の領土編入         を一方的に宣言 1996(平成08)年 7月14日、「日本青年社」魚釣島にソーラーシステム灯台         を設置 1996(平成08)年 8月、海上保安庁、尖閣諸島海域に侵入した台湾漁船を領海         外に駆逐 1998(平成10)年 6月24日、尖閣諸島の日本領有に反対する活動家を乗せた         香港の抗議船「釣魚台号」等6隻が尖閣諸島海域に侵入。活         動家の魚釣島上陸を海上保安庁が実力で阻止 1999(平成11)年 9月5日、「日本青年社」のメンバー3人が、魚釣島に上陸 1999(平成11)年 この年、東支那海の日本側排他的経済水域内で支那海軍艦艇         8回31隻・海洋調査船15回25隻が、日本側に通告せず         に無断侵入 └────────── ―― 余談つれづれ 絶海の無人島で、沖縄本島から行くよりも、むしろ台湾からのほうが近い訳だ し、----尖閣諸島の南端は、台湾北部・基隆市から120海里、北端は沖縄県 那覇市から230海里---- 下手に台湾・支那と領有権争いで揉めるぐらいなら、いっそのこと領有権など 放棄してしまったほうが・・・といった意見もあるかと思います。 しかし、尖閣諸島の内、魚釣島・北小島・南小島・久場島の4島は、埼玉県在 住の古賀氏が所有するれっきとした「民有地」。例え、住んでいないとはいっ ても民有地である以上、国が勝手に「領有権」を放棄するなどということはで きないのです。 また、尖閣諸島の領有権を日本が放棄し、支那が領有したとしたら・・・「台 湾は神聖なる不可分な固有の領土」「沖縄も我国の潜在的領土」と公言して憚 [はばか]らない支那の事、 隣接する先島諸島=八重山諸島・宮古諸島)、更には沖縄本島までもが支那の 直接的脅威に晒されることになるでしょう。そういった観点からも、尖閣諸島 の「領有権」を日本は断固として守るべきなのです。                         = この稿おわり =
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ 読後アンケートの結果。 ┗━┛
◇ なるほど!このとおり! ------------------------------ 61人 (58%) ◇ 日本政府はこういう資料を活用してるのか? ------------ 41人 (39%) ◇ 尖閣はなにがなんでも中国領ッ! ---------------------- 4人 ( 4%)
┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ お寄せいただきましたご意見や感想。 ┗━┛
┌──────────「hideおじさん」 中華民国国民党は、何をとち狂ったのか?尖閣諸島は「中華民国の領土」とい い、挙句に「戦争も辞さない」などと発言する人間も現れるなど、首をかしげ てしまいます。 戦後、GHQも尖閣諸島は日本の領土として認めており、当時の地主であった 古賀善次氏=尖閣諸島を開拓し日本の領土となるよう働いた古賀辰四郎氏の長 男)に、射爆場として利用する為、年間1万ドルの借地料支払っていたという 事実もあります。 尖閣が米軍の射爆場であるというのは蒋介石も知っていたことですから、それ はとりも直さず尖閣は中華民国の領土では無いという認識であったと考えるの が普通です。 個人的な考えは、尖閣諸島は中華民国の固有の領土という認識ではなく、大陸 との対話の中で、国民党と中国とで、尖閣を利用してゆさぶりを掛けるという ことではなかろうかと思っています。 中国側としては、先日の東シナ海ガス開発で日本に譲歩したとされることを牽 制する意味があり、国民党は、領土に訴えて台湾住民の意識を国民党に向ける という意味合いがあるのではと推察します。 ただ、ことはどうあれ、尖閣諸島は日本の領土であることに間違いないのです から、歴史に沿った主張をおおいにすべきだと思います。 余談ですが現在、尖閣諸島は、後継者の居なかった古賀氏から、友人であった 同じく埼玉在住の栗原国起氏に所有権が譲られ、平成14年に日本政府は年間 3千万で栗原家より借り入れています。 └────────── ┌──────────「歯軋りゴマメさん」 OJIN さん、興味深い記事を毎度有難うござりまする。 6/27の竹下さんの尖閣諸島のお話、その詳細さには感服の限り。個人所有 の島々まであるとは、ホントに驚きじゃった。 ところで日本政府は、竹下さんが述べておられるような尖閣諸島の情況を中国 側にキチンと伝えておるのじゃろか? 外務省のチャイナ茶坊主グループや、 それと一緒になってるセンセ方も多いとのことで、どうにも心許ない次第。 暫く前じゃったが、ライス国務長官が東シナ海の問題については中国にフリー ハンドを与えるような発言をしていた記憶があり、非常に心配なところ。 スプラトリー諸島に味を占めて尖閣諸島にも手を延ばしてきた時、“どげん” に対処すべきか? 竹下さん、hideおじさん、教えて下され〜〜 そうだ!エンリケ航海王子=「軍事情報」主宰者)さんにも聞いてみよう!
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
有り難くもご指名がございましたので、個人的な意見を述べさせて頂きたいと 思います。 まず最初に、「日本は領土意識が希薄過ぎる」ということがいえます。戦後教 育のせいとばかりはいえないでしょうが、「国家とは」という基本的なことを 義務教育でも高等教育のなかでも避けてきてしまっています。 そこに住む人がいて、その人たちの権利が存在し、そして、住む場所がある、 たったこれだけで、何の難しさもないのに、国民の多くは無関心、結局政治家 も「領土は票にならない」ということか真剣にならない。 一度戦争に負けただけで、まるで「羹に懲りて膾を吹く」ように ・「領土」と言っただけで、どこか「右翼」の話のような雰囲気があり、 ・「国家」と言うだけで「軍国主義」と同義語のようにとられ、さらには ・「隣国といえでも言うべきことは言え」というと「軍靴の音が聞こえる」 ーーーなどとヒステリックに叫ぶ連中がいる。私からすると「頼むから耳鼻科 に行ってくれ!」と叫びたくなります。 領土問題に限らず「自分のことは自分でする」という意識を国民全体が持たな ければならないでしょう。それが基本だと考えます。 前置きが長くなってしまいましたが、東シナ海については、アメリカが何とか してくれるなど、甘い考えは捨てることです。アメリカにしてみれば、北朝鮮 の拉致問題と同様に、所詮「他人事」です。中国からすれば、日本の言い分が あっても「馬耳東風」でしょう。 外務省のHPを見るととりあえず主張はしているようですが、どうもインパク トに欠けます。政治家さんとすれば、ちっぽけな島のことより目先の利益が優 先なのかもしれません。 尖閣を考えると、中国が具体的な行動を起こしたときでは「遅い」です。 アメリカに頼んだところで「話し合いをして」というのが精々でしょう。 領土問題というのは、基本的に当該国の問題であるのですから、双方で解決す べきことというのが国際的慣例です。ですから、好き好んで首を突っ込むほど アメリカもお人好しではありません。 尖閣が、いくら日本の領土であるという証拠があっても、歴史的な事実があっ ても、スプラトリーの例もあるように日本の主張など「屁のつっぱり」にもな りません。ーーー残念ながら国際社会では「結果が全て」です。 ですから、今からでも「結果」を残しておくことが何より有効な防衛手段とな ると考えます。右翼が作った小さな灯台が非常に良く効いていることからも、 物理的な「モノ」を残すことを提案したいと思います。 1.歴史保存として戦前の「カツオ工場」の跡地の調査・整備。 2.安全航海の名目のもと、近代的灯台を設ける。 3.尖閣近海、沿岸での遊魚漁を解禁する。 4.「3」にともない、避難場所=港)の整備。 5.気象観測所(無人で可)の建設。 6.環境調査で尖閣、及びその周辺の自然状況のデータを収集。 カツオ工場の歴史的価値は別として、なにより「日本のもの」を調査するとい う口実を作ることが重要だと考えます。 灯台も、近隣は文句を言うでしょうが、「日本が身銭を切って各国の船舶の安 全航行をサポートしているのだ」と理屈を言えます。 環境調査も「環境問題を考える上で重要」といえますし、それに伴い気象観測 所を設け、調査データは各国に提供する。 なにより、日本が先に先に動かなければなりません。何か言われれば、日本は 地球温暖化の問題を非常に憂慮しているから調査している、それのどこが悪い と開き直りましょう。 屁理屈だろうがなんだろうが、やった者勝ちである以上、その土地に「実効」 の印をつけることが領土問題では非常に有効だと思います。 中国の嫌がらせを心配する向きもあります。現地に進出している日本企業に影 響があるといいますが、一部は当っていると思います。ただ、冷静に現在の中 国と日本の貿易の中身を見てみましょう。 中国の経済は、日本の資本財を輸入することで成り立っているといえますから どちらが我慢できるかでしょう。多くの問題を抱えている中国としては、日本 の技術と金は不可欠です。 使えるものは何でも使いましょう。毅然とした態度がとれるかどうか、それに かかっていると思います。
└────────── ┌──────────「歯軋りゴマメさん」
大分時期遅れの反応でお恥ずかしいんじゃが、 誠にもって的確な具体案で、これなら仮に「塵民凶悪国」側が何らかのイチャ モンを付けてきたとしても押し切れるんじゃなかろか。尤も、その前にはチャ イナ茶坊主グループを押さえ込んでおかねばならんじゃろが。 hideおじさん案の示す内容は、疾うに実施されていて然るべきなのに、未だに なされていないのは何故なのじゃろか。 最近読んだ、兵頭二十八さんの原作をコミック仕立てにした「2011年日中 開戦」という本に、日本の大使が中共主席の前に呼び出され、自分達が仕掛け た開戦の発端の責任を日本側に取らせ、日本の首相に謝罪させろと恫喝され、 平蜘蛛のように床に這い蹲っている場面が描かれとった。 過度に戯画化されとるとはいえ、チャイナ茶坊主グループの姿勢は凡そこんな もんじゃなかろかの。 この本は、ジャンルとしてはフィクションに入るのじゃろが、内容には恐ろし く現実味があり、あの連中ならやり兼ねんと思わせるのに充分じゃった。 大分以前じゃが、中国の李鵬元首相が、当時のオーストラリア首相との会談中 偶々話が日本に及んだ時、李鵬氏は「日本は二十年もすりゃ亡くなってるよ」 と答えたそうな。 この発言はその場の思い付き等ではなく、中国の対日政策の発露であり確信犯 的なものじゃなかろうか。 RPEジャーナルの北野さんによれば、唯一の仮想敵国は中国とのことじゃが 日本政府にはそんな発想は皆無のようで大いに心配なところ。日本の外交政策 は「ういのおくやけこえて(=ま抜けにふ抜け、ナンチャッテ!)」が基本じゃ が、対中国に関しては特にそれが顕著のように思えてならんのじゃ。 日本政府内において、チャイナ茶坊主グループはそんなに大きな力を持っとる んじゃろか。 東シナ海波高し! hideおじさんが示したような案を南西諸島全体に拡げてお かにゃならんと思うんじゃが「どげんしたらよかと」ですか?
└────────── ┌──────────「hideおじさんから」
根本的に日本人に欠けているのは「国境」という感覚ではないでしょうか。島 国である日本の特徴ともいえるでしょうが、国民のほとんどが自国の国境を見 たことがないということと、他国と地続きで国境を接していないということが 竹島・尖閣・北方領土に対する関心の低さに繋がっているように思えてなりま せん。 国民の関心が低ければ、国もお役所も、「利益」にならないとばかりに問題を 先送りしてしまう。そのツケが、今になってにっちもさっちもいかなくなって しまったのだと思います。 やはり基本は「教育」だと思います。まずは学校で、日本の周りにはこういう 領土問題が存在するということを学ばせなければ、それこそ20年後には「日 本省」になっていてもおかしくはないかもしれません。 短期間に意識を変えるというのは非常に難しいかもしれませんが、特に外交に おいては、外交官を数年一般企業で研修させ、実際に商売としての外国とのや り取りを経験させる。 また、一般企業よりアドバイザーとして、外国と長年商売をしてきた経験者を 受け入れる、またはサポーターとして利用する。ーーーこれとて企業と国の馴 れ合いという危惧もありますが、純粋培養された世間知らずのお役人より一般 社会である程度もまれた人間のほうがよっぽど役に立つと思います。 どうも、外交役人と一般企業人との間には、感覚のズレがあるように思えてな りません。このズレを修正しないことには「譲歩が外交」と誤った認識になっ てしまいかねません。 今私たちにできることは限られているかもしれませんが、尖閣に限っていえば 一隻でも多くの遊漁船(釣り船)、漁船を尖閣周辺に出すことでしょう。別に魚 を採らなくとも、「経済活動を行っている」という実績は後で必ず効いてくる はずです。 そして緊急避難の為の港、さらに大きな灯台と、中国得意の「なし崩し戦略」 が有効だと思います。日本が同じ手を使っても文句は言えないでしょう。 正面向かって主張できないなら、「こすい」といわれても「いやぁ民間がやっ ていることですから国としても規制できません」と開き直る。(^^; これぐら いのことなら今の日本でもできるんじゃないでしょうかね? 摩擦を怖がっていたら何もできません!商売とて同じではないでしょうか? いつも「仲良しこよし」で仕事ができるわけがありません。何かトラブルがあ るのが当たり前、それをこちらが優位になるよう取り計らうのが外交の仕事で はないでしょうか。 └──────────
本当にそうだこのとおり!‥‥と思われた方!「誰でもできる!1人1日1回の愛国活 動」は、ここをクリックして頂くことからはじまります!ーーークリックして頂くと票数がアップして、この問題を多くの 人々に知らせる事ができます!
    
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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