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帝国電網省 ―――――――――― by 竹下義朗さん
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☆ 北方領土考(2)それでも北方領土は日本の領土 ―― 2008/02/01
前回のコラムで、今のままでは「北方領土」は決して返ってこない!と書きま
した。とはいっても「北方領土」が「日本の領土」であることに何ら変わりは
ありません。というわけで、今回はその歴史を通して、いかに「北方領土」が
「日本の領土」であるかについて書いてみたいと思います。
北方領土関連地図(クリックすると拡大図が別画面で開きます)
「北方領土」が歴史の表舞台に登場したのは意外にも、大阪夏の陣で豊臣家が
滅亡し、徳川幕府が天下を平定した元和元(1615)年に遡ります。
蝦夷地[えぞち] ── 現在の北海道を治めていた松前藩の記録『新羅之記録』
に、元和元年、メナシ地方(東蝦夷)に住んでいたアイヌ人達が海獺(ラッコ)の
皮を松前藩主に貢物[みつぎもの]として贈り、松前藩がこれを幕府に献上した
旨が記されています。
ちなみに、海獺は北海道には生息していません。つまり、アイヌ人達が貢物と
して贈った海獺は、千島で捕獲されたと考えられ、この時代、既に千島に住む
アイヌ人達との間に交易が確立されていたと考えられるのです。
正保元(1644)年、幕府は、全国諸藩に対して国=藩)毎に自領の地図を作成提
出するように命じました。そして、提出された諸藩の地図を基に作成されたも
のが『正保御国絵図[しょうほうごこくえず]』といわれる全日本地図なのです
が、
この地図には、知床[しれとこ]半島・納沙布[のさっぷ]岬の東北に、大小39
の島嶼が記載されており、その内の34の島には「くなしり(国後)」・「えと
ろほ(えとろふ=択捉)」・「うるふ(うるっぷ=得撫)」などの名が付けられて
いたのです。
また、正徳5(1715)年には、松前藩から幕府に対して、「蝦夷本島・千島列島
・カムチャツカ半島・樺太(サハリン)を松前藩が統治している」旨の上申書が
提出されており、松前藩 ── ひいては、当時の日本が、彼の地を「自国領」
であると認識していたことは疑うべくもない訳です。
正保御国絵図(地図上方から樺太・蝦夷地・青森、右上には千島列島)
では、一方のロシア側がどう認識していたかということですが、少なくとも、
択捉島以南 ── 現在「北方領土」と呼ばれる南千島については、「日本領」
であることを認めていました。
例えば正徳元(1711)年、ロシアは、千島列島最北端の占守[しゅむしゅ]島・幌
筵[ぱらむしる]島に侵入したのを皮切りに、千島列島を島伝いに南下して来ま
したが、得撫[うるっぷ]島を越えて、南隣の択捉島へは侵入して来ませんでし
た。
何故かといえば、当時、日本側が択捉島を含む「北方領土」に番所を置き、守
備兵を駐屯させていたこと、寛政10(1798)年、幕府が近藤重蔵を択捉島に派
遣し、「大日本恵登呂府(恵登呂府=えとろふ)」の標注を設置させた事など、
つまり、日本による実効支配の現実を認めていたからなのです。
さて、このような経緯を辿ってきた日露両国の国境ですが、これらはあくまで
も「暗黙の了解」に基づくもので、正式な国境は確定されていませんでした。
何故かといえば、鎖国体制下の日本と、ロシアの間には、正式な国交関係がな
かったからです。
しかしそうはいっても、「暗黙の了解」はあくまでも「暗黙の了解」でしかな
いわけで、ゴローニン事件に伴う両国当局の接触や、北方海域における通商・
漁業紛争などから、国境問題を曖昧にしておけなくなった日露両国は、国境確
定交渉を始めました。
そして安政元(1855)年、『日露通好条約』が締結され、日露両国の国境は択捉
島以南(南千島)が日本領、得撫島以北(北千島)がロシア領として確定されたの
です。ちなみに樺太は、従来通り国境を定めず両国民雑居の地とされました。
『日露通交条約』(1855)における日露国境
明治8(1875)年、日露両国は『千島・樺太交換条約』を新たに締結しました。
この条約では、日本が、国境が未確定だった樺太全島に対する領有権を放棄す
る代わりに、ロシア領とされていた得撫島以北の「千島列島」 ── いわゆる
北千島を譲渡されました。
ちなみにこの条約では、日本がロシアから譲渡された「千島列島」について、
島名が一つ一つ列挙されていますが、それらは得撫島以北の18島(北千島)で
あって、択捉島以南の「北方領土」(南千島)は含まれていませんでした。
『千島・樺太交換条約』(1875)における日露国境
その後日露両国は、朝鮮半島や満州の権益を巡って関係が悪化し、明治37年
(1904)、遂に両国は戦争に突入しました。いわゆる「日露戦争」(1904―1905)
です。戦争は、当時「世界最強」と謳われたロシアのバルチック艦隊を日本の
連合艦隊が撃滅したことで雌雄は決しました。
しかし、日本にこれ以上戦争を継続するだけの余力が残っていなかったことと
ロシアにも国内の反体制勢力が急速に台頭したことなどによって、両国共に戦
争継続どころではなくなり、明治38(1905)年、米国大統領セオドア・ローズ
ヴェルトの仲介で、米国ポーツマスで講和条約が締結されました。
これが『ポーツマス条約(日露講和条約)』と呼ばれるもので、日本は「戦時賠
償」として、従来の領土(千島全島)に加え、北緯50度以南の樺太 ── いわ
ゆる「南樺太」を獲得したのです。そして、いよいよ時代は昭和を迎えます。
『ポーツマス条約』(1905)における日露国境
昭和20(1945)年8月15日、日本は『ポツダム宣言』を受諾し、連合国に対
して降伏。ここに4年に及んだ「大東亜戦争(太平洋戦争)」は終結しました。
終戦から3日後の8月18日、ソ連軍がカムチャツカ半島を越えて、千島列島
に侵攻してきたことは、前回のコラムで書いた通りです。このソ連軍の侵攻に
よって、南樺太・千島全島が占領されたのです。ーーーなんとこの時、ソ連軍
は余勢を駆って、北海道から北日本まで占領する予定だった!
その後日本は、連合国軍総司令部(GHQ)による占領支配を受けましたが、昭
和26(1951)年9月8日、サンフランシスコ講和会議に出席した日本全権の吉
田茂首相が『サンフランシスコ平和条約』に調印。ここに日本は国際社会に正
式に復帰しました。
そして、本条約第二条(c)
┌──────────「サンフランシスコ平和条約(抜粋)」
第二条【領土権の放棄】
3.日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約
の結果として主権を獲得した樺太の一部、及びこれに近接する諸島に対するす
べての権利、権原及び請求権を放棄する。
└──────────
に基づき、日本は、千島列島と南樺太に対する領有権を放棄しました。
しかしここでいう「千島列島」とは『千島・樺太交換条約』によって獲得した
「千島列島」 ── いわゆる「北千島」のことであって、決して現在「北方領
土」と呼ばれている「南千島」は含まれていないのです。
『サンフランシスコ平和条約』(1951)における日本の領土
ちなみにロシア(及び旧ソ連)は『サンフランシスコ平和条約』における日本の
千島列島・南樺太の放棄と、『ヤルタ秘密協定』における以下の条項
┌──────────「ヤルタ秘密協定(抜粋)」
2.1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシア国の旧権利は、
次のように回復される。
3.樺太の南部及びこれに隣接するすべての島をソヴィエト連邦に返還する。
3.千島列島はソヴィエト連邦に引渡す。
└──────────
を楯に、千島列島(ロシア側の主張では「北方領土」も含まれるという)と南樺
太の領有を正当化しています。しかし、『サンフランシスコ平和条約』に旧ソ
連(ロシア)が調印していないことと、日本が何ら与[あずか]り知らないところ
で決められた『ヤルタ秘密協定』に「国際法」としての拘束力がないことから
ロシアに「北方領土」を領有する何らの正当性もないことは明白です。
以上見てきたように、歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島の、いわゆる「北方
領土」は、歴史的経緯からも、国際法の見地からも「日本の領土」であること
は疑うべくもない事実なのです。
―― 余談(つれづれ)
戦後、『サンフランシスコ平和条約』に基づき、日本が領有権を放棄した千島
列島(北千島)と南樺太。そして現在、それらを領有しているロシア(旧ソ連)。
しかし、『サンフランシスコ平和条約』には、日本による「領有権の放棄」は
明記されているものの、旧ソ連(現・ロシア)への「領有権の移管」については
ただの一言も明記されていないのです。=つまり新たな「所有者」は決められ
ていないことになります。
一方、旧ソ連が「領有の根拠」とした『ヤルタ秘密協定』ですが、これもあく
までも「秘密協定」であって、国際法に照らせば何らの正当性もありません。
そう考えると、仲間内=米英ソ)の勝手な打ち合わせ=ヤルタ会談)で取り決
めた「内輪の約束」を「領有の根拠」としているわけで、ロシア(旧ソ連)は、
「北方領土」(南千島)だけでなく、千島列島(北千島)や南樺太をも不法占拠し
ているといえるのです。
= この稿つづく =
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◇ そうだったのか知らなかった -------------------------- 11人 ( 9%)
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┃ ┃ この記事に頂きましたご意見や感想。
┗━┛ ┌──────────「沙者さん」
ロシアに7年間住んだ後、中国にやってきて3年目になる者です。
私も日本人ですから、皆さんの気持も痛いほど分かる。
ただ、領土返還交渉は、ロシア連邦とうい相手がいる。
現状では、日本が何を言っても、どんな強行な態度とろうと、経済援助をちら
つかせようと、ロシアは4島の返還をしないだろう。ロシアが受け入れられる
のは、2島返還し、平和条約を結び、それで最終決着とすることだけなのだ。
前エリツィン政権時代、ロシアのマスコミは北方領土の故郷を思う日本人達の
思いをインタビューしたドキュメンタリー番組などを放送していたので、ロシ
ア世論は日本に同情的だった。ロシア政府の方針であった2島返還に反対する
ロシアの民族主義者を迎える必要もあったのだろう。
しかし、日本が4島一括返還を求めると、ロシアのマスコミは一転して日本批
判に転じた。“国後、択捉には、すでに定住しているロシア人が多数いる。旧
ソ連崩壊後、外国に取り残されたロシア人が2等市民扱いされていることを忘
れるな”
しかし、この報道も政治宣伝の色彩が濃く、別のロシア地方紙の記事によれば
日本が北方領土にいるロシア人に高い生活水準を保証するのであれば、そのほ
うがよいという世論調査まで掲載されていた。
プーチン政権が誕生すると、ロシアはエネルギーを武器にして、空前の経済成
長を遂げる。GDPは旧ソ連の超大国時代の規模を回復、北方領土にも政府は
贅沢な開発投資を行うようになった。露政府は、極東や北方領土で反返還運動
を計画し、官製デモが多発するようになる。
プーチン政権発足当時、大統領はロシアをEUに加盟させることを夢見て、記
者会見でロシアは西側に一員であり、ヨーロッパであると、さかんに力説して
いた。しかしEUは門前払いした上“ロシアはヨーロッパではない”“未来に
もヨーロッパにはなりえない”と声明を出す。
その後、大統領は、ロシアはヨーロッパではない、ロシアは独自路線を追求す
ると宣言し、NATO拡大問題、ユーゴ問題、チェチェン問題、旧ソ連諸国の
民主革命運動、ユコス問題、ロシア国内の不正選挙問題などで欧米とことごと
く対立し、強行路線をとるようになる。
ロシアにとって日本とは、ロシアと敵対する欧米の勢力圏なのだ。特に、米国
が東欧と日本で進める戦略ミサイル防衛計画は、ロシアにとって受け入れがた
い暴挙とみなしている。
ロシアが本気で4島返還の領土交渉をするとすれば、対米緊張緩和・EU加盟
・EU内での特殊な地位の承認などを得て、西側の一員となった後だろう。た
だ、ロシアに長年住んで分かったのだが、ロシアに西欧民主主義を根付かせる
のは不可能だろう。当然、西側の一員にもなれそうもない。
そうでなければ、日本が日米安保条約を破棄し、ロシアの準同盟国にでもなら
なければ、まともに返還交渉に応じない。
それ以外にも北方領土を取り戻す方法があるとしたら、自衛隊による武力制圧
などだろうが、ロシアは核大国なので、そんなことをしたら核攻撃で日本は消
滅してしまう。
では、どうしたらよいか。
日本は、ロシア経済の生命線である原油と天然ガスの国際価格が暴落する政策
を、西側や中東諸国、中国、インドと協力して推進する必要があるだろう。し
かし、これを実現するには、中東イスラムとアメリカの和解や、中国やインド
の省エネ技術促進が前提になる。
資源の国際価格が暴落すれば、ロシアの経済も大打撃を受け、政情も不安定に
なる。
さらに日本は、ロシア連邦内のチェチェンやコーカサスや非ロシア人地域の反
ロシア独立派を経済・軍事援助するのである。この独立派に対する経済・軍事
援助停止の条件として、北方領土4島の返還を打診するのである。
独立派の夢見る、そしてロシア民族主義者達にとっての悪夢であるロシア連邦
崩壊が起ころうものなら、群雄割拠したロシアをさらに分断し、軍事的に北方
領土を制圧、返還を実現するべきかもしれない。ーーー日本国憲法上の個別的
自衛権、もしくは自衛隊の国内移動と解釈すればよい。
しかし、ロシアが混乱したり弱体化すれば、中国が“失地”回復を目指してロ
シアや周辺諸国に介入することが考えられる。
中央アジア諸国や北朝鮮、モンゴル、イランでは中露が覇権を争い、影響力を
競い合い、ある意味で抑止力が効いている。
中国国内の中国と中国人は依然として反日であり、強大化すれば日本最大の脅
威でもある。一方、国民の大多数が親日で反中のロシアは、中国に対する抑止
力でもある。
日本は、ロシアと対決する意志がないのであれば、ロシアの抑止力を十分利用
して、対中カードとするのがよいだろう。
考えられる策は、日本はこの両国と国際社会に宣伝工作を行い、中露の対立を
煽るのである。
└──────────
┌──────────「大原敬一さん」
私は北海道生まれの北海道育ちですが、ロシアの態度行動には、ほんとにハラ
が立ちます。
帝政時代のロシア人のほうが、人間性が高かったのではないでしょうか。現在
のプーチン政権を蛇蝎の如く嫌います。
└──────────
┌──────────「Jan さん」
ロシアとの交渉は、今後とも話し合いでは解決しないでしょう。というのは、
ロシア人というのは、一度手にしたものは暴力で打ちのめされる以外では決し
て手放さないからです。これは歴史が証明しています。
共産主義といっても彼らのは独裁主義であり、常に武力で人々を支配してきた
からです。だからといって、今後日本とロシア間で武力の衝突はありえないで
しょう。
というのは、たとえあったとしても、大多数の日本人は昔と違ってみんなブタ
になっていますから、武力衝突すると必ず日本が負けるだけです。そんな戦争
はやるべきではない、というよりも、情けないことにそんな気概もないので、
北方領土を取り返すことは先ず不可能だと思います。
最近、少し気概のある首相が出てきましたが、程度の低いマスコミと第3国人
に洗脳されたような国賊的な人々にボコボコにたたかれ、極め付きは大臣に抜
擢したアホなお友達に引きずり下ろされてしまい、最後にはとうとう投げ出し
てしまったではありませんか。
多分、最後の瞬間彼は、あまりの仕打ちに高邁な理想も忘れてしまって、狂乱
状態になり、こんなバカどもに付き合っておられるか!という気分ではなかっ
たかと思います。本当に惜しいことをしました。
└──────────
┌──────────「まいさちさん」
南樺太は、日露戦争で賠償金を諦めた代わりに得たものであるからして、現在
の状況をみると、
一体あの戦争で我が国が流した血や、犠牲にされた国民生活は一体何だったの
か、と思ってしまいます。
└──────────
┏━━━━━━━━━━「竹下義朗さん」
メルマガ掲載の北方領土に関する私の記事は、プーチン政権成立以前に執筆し
たものですので、時間的にも世界情勢からしても陳腐化している部分がある事
は確かです。
エリツィン時代だったら通用した経済援助カードも、現在では全く通用しませ
んし、天然資源を武器に復活した大国ロシアに対して、斜陽を呈している現在
の日本では、明らかに分が悪い。
とはいえ、私は「プーチン帝国」のロシアがいつまでも繁栄できるとはまった
く思っていません。その点については、いずれ小論を発表する積もりですので
今ここで明らかにする訳にはいきませんが、
ロシアにとって極めて深刻、且つ重大な問題が近未来、いや早ければ数年以内
に起こるものと見ています。おそらく、それは、ロシアが日本に尊大な態度を
取っていられない程の問題となるでしょう。
その機を逃さず、日本がロシアの足元をみて攻勢に出れば、領土返還交渉が一
気に進展するかもしれません。ーーーとはいえ、いざその時になってみなけれ
ば実際のところは分かりませんが・・・・
┗━━━━━━━━━━
┌──────────「hideおじさん」
北方領土は、日本の領土であるのは間違いありません。しかし、今までの返還
に対する日本の対応というのは、稚拙というのは言い過ぎかもしれませんが、
お粗末という謗[そし]りは免れないないでしょう。
特に、サンフランシスコ講和条約の批准国会の際に「放棄する千島列島には国
後・択捉も含まれる」などという見解を出した政府要人がいたのですから何を
かいわんやです。
後にその発言は取り消されましたが、みすみす相手に日本は一枚岩ではないこ
とを知らしめてしまったのは大エラーだと思います。
日ソ平和条約の交渉において2島(歯舞・色丹)返還が上げられましたが、アメ
リカから「勝手に進めると沖縄は返さないぞ」と脅され、流産した経緯もあり
ます。
冷戦時代であれば、北方領土はアメリカの国益にも利するものですから、上手
くアメリカを利用できたとは思うのですが、それも「過ぎたるは及ばざるが如
し」で残念です。
私が北海道にいた頃は、共産党が頑張って「千島列島全て返還せよ!」とやっ
てましたが、最近はどうなっているのでしょう?中国とソ連が対立していたこ
ろは、日本共産党も鼻息が荒かったのですが、仲良くなったらトーンダウン。
中国も、北方領土は日本の領土と言ってくれていた時期もあったのに...
2015年には、国後・択捉を含む千島のインフラを整備するとロシアはぶち
上げていますが、何とかそれまでに、筋道だけはつけておかないと、未来永劫
返還されないのではないでしょうか。
いっそのこと、北方領土近海に海上自衛隊を派遣して示威行動をする!
世界の注目を引き付けたところでロシアの不法占領をあらためて訴えていく。
ーーーなんて、やっぱり夢でしょうか。
└──────────
┌──────────「(^^) OJIN です(^^)」
西安地図出版社編:袖珍世界地図冊 定価8.5元。文庫本サイズの地図帳。
〜〜ふ〜〜〜ん、、どんなふうに描かれてるもんかいなぁ・・・
パラパラパラ........、
アルゼンチン沖合いに、いつかイギリスとドンパチやらかしたフォークランド
諸島があります。ーーー憶えておりますか?
――「阿根・英争議」と注釈がつけられていました。
(阿根=アルゼンチン・英=イギリス・争議はそういう意味)
では中印国境紛争の係争地、カシミール地方はいかに?
これはもう中国が既に占領している「アクサイチン」(Aksai Chin)地区は当然
中国領として表記されていましたが、その他のカシミール地方全体の色はイン
ド本国と同じ色で塗りつぶされている!
一応、停戦ラインの点線は描かれていましたが、全体はインド本国と同じ色。
〜〜ふ〜〜ん〜〜
さてでは、我が北方領土なんてぇモノは如何様に表記されてるもんだべか?
・
どうだったと思いますか?
!!なんと!!
日本とロシアの国境線は、択捉島とウルップ島の中間に引かれていました!
但し、北方四島の各島には「俄占」(俄=ロシア、占=占領)と注釈がつけられ
ていました。
└──────────
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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