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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
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| ☆ 寄せられた関心事について(4) ――――――――― 2009/06/03
―― 自分像について
私のような、麩[ふ]みたいな、吹けば飛ぶような人間がここまで生きてこられ
たのは「運が良かった」の一言。敢えて言うなら「忍従したが服従はしなかっ
た」という、中国人の哲学ではなかったかとも思います。
特攻拒否も、同じような者が三人いたから付和雷同しただけとみるのが正解。
一人では、右にならって「志願」と書いたかも…。
天皇の事も 軍隊の事も、先頭に立って叫ぶ事はしなかった。航空隊にいて知
り得た情報は、全て自分の身の振り方に充てるものだった。敗戦後大連に飛ん
だとき、私物をみな持っていったのもその例である。
ただ、今振り返っていえる事は、死というものが怖かった。死んだら終わり。
ーーー魂が何なんだ、神仏が何なんだという考えは一貫していた。
周りの反対を押しきってまで自分の意志を通す事はしない。養成所の受験も、
自分の志望というより、やってみないかで動いた。一緒に受験した他の同僚は
皆すべった。運がいい。
空中火災3回、エンジン停止緊急着陸2回、墜落1回、皆生きてきた。拳銃を
頭に突きつけられても銃殺にはならなかった。運のいい男としかいいようがな
いです。
「八路軍に入るには勇気が要ったでしょう」は違います。
勇気より何より命の安全です。敗戦後、折角兄と会えたのに、一緒に日本に帰
ろうと言ったのに、ーーーその兄から別れて八路軍に入った。
あの当時は、何処でも、誰でも、皆で日本に帰ろう、一緒に祖国に帰ろうが合
い言葉だった。なのに私は兄を振り切った。
八路軍が助けてくれた、生かしてくれた、これは何物にも代え難かった。
ーーー彼らの望みに応えなければ……只それだけだった。
= おわり =
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┃ ┃ 記事に対するお便りなど。
┗━┛ ┌──────────「にしきおりさん」70代@男性@関東
懐かしい錦州と751部隊を検索していたら、貴方の自分史にゆきあたりまし
た。輸送基地で呑竜など爆撃機があり、操縦席に、座った経験があります。
親父は部隊長でありました。小生は市内の富士在満州小学校に通って、戦後、
平壌から引揚げました。
ますますお元気でお過ごし下さい。
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┌──────────「大澄国一さんから」
お便り有り難うございました。
錦州とは懐かしいところです。今後ともよろしくお願いいたします。
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┌──────────「ascotさん」30代@男性@会社員@関東
はじめまして、中国黒竜江省鶏西市出身の中国人です。
18歳に内地の大学に入るまで、西山(給水塔のある山)地区に住んでました。
記事を拝見いたしました。過去いろんなことがありましたが、われわれ普通の
人にとって“縁”というものは大切ですね。
ちなみに先週のニュースで鶏西空港ができたと聞きました。今年中はハルビン
来年に北京までフライトができるらしいです。機会があれば“旧地重遊”はい
かがですか。鶏西の町はびっくりするほど変わった(と思います)。
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┌──────────「大澄国一さんから」
ascot さん、お読み頂き有り難うございました。返事が遅れ済みません。
鶏西市出身とか、私の知人数人は鶏西市に何回も訪ねまして、そこの日本語学
校の学生さんと日本語の文通交流しています。
鶏西市の写真も見ましたが、すっかり都会になった感じです。中国の大きな発
展に驚いています。有り難うございました。
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