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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
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| ☆ 寄せられた関心事について(3) ――――――――― 2009/05/27
―― 天皇に対してどう思う
なんとも思っていません。何故なら、戦時中天皇を崇拝していたものではない
から、戦犯とも、欺かれたとも思わなかった。
けれど、軍隊の中にいたから従わなければならない。軍人勅諭の絶対の基準で
あり軍隊と国民の現人神[あらひとがみ]であったから逆らうことはできない。
忠実に服従していた。ただし 積極的でもなく、自主的でもなかった。決めら
れた事、命じられた事のみやっていた。端から見れば「なんだ彼奴、やる気が
あるのかないのか?」と見ていたのかも……。
兄弟や母は、他の人と同じように天皇様々であったが 崇拝した言動はなかっ
た。写真を戸々に飾れと言われれば飾る、国旗を立てろと言われれば立てる、
こうするのが無難と、私らは先祖代々こうしてきた。
従わぬ者は非国民、と、直ちに「村八分」にされる。「お上には逆らえねえ」
「お上の言う事に間違いはねえ」という気風か、社会通念ができていた。
私が戦時中に見た映画演劇の中で、こういうセリフは何度か聞いた。こうして
私の頭の中には、いつしか「当たり障りのない」処世術が植え込まれた。
= つづく =
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┃ ┃ 記事に対するお便りなど。
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┌──────────「尊野ジョーイさん」
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多くの戦闘体験者は「負けた」という負い目から戦争を語らない、とも思えま
す。
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相撲に、勝負には勝ったが相撲では負けていた、という言い方があります。
先の戦争では、勝負では負けましたが、国と国との戦争では勝っていたのでは
ないでしょうか。
アメリカは日本本土上陸まで考えていたのに、特攻までしてくる日本軍に度肝
を抜かれて講和を考えたという説があります。勝負には負けましたが、精神的
には勝っていたのです、大和魂は伊達じゃない。
そもそも、1億総玉砕、最後の1人まで敵兵に向かって日本民族が全滅してい
たら、後々まで伝説として語り継がれたことでしょう、スパルタのように←ど
うせ亡国になるならば1億総玉砕しておいたほうが良かったと思ったりする。
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私のいた旧満州では、来襲したB−29に体当たりする特攻機もいましたが
これは軍艦よりもさらに難しい戦法です。軍の焦りと、兵士やパイロットを
消耗品と考える発想だと思います。
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咲いた花なら死ぬのは覚悟 みごと死にましょ国のため 「同期の桜」
好きなヤクザ漫画に「仁義」というのがあるのですが、主人公の仁[ひとし]が
「親に預けたこの命、(鉄砲玉として)捨てられて本望ですわ」というセリフが
あります。
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┌──────────「尊野ジョーイさん」
ただ今、エレカシことエレファントカシマシのアルバム『風』の中の「達者で
あれよ」が流れている中で、熱い紅茶を優雅にすすりつつ書込みしています♪
天皇ですが、私は元極左(共産党シンパの母親に育てられた)なので、理性的に
は尊敬すべき対象だとは思っていますが、感情的には何もありがたみを感じて
おりません。
通販で、ご真影を買って飾ってみたのですが=形から入ってみた)なんの感慨
も起きません。
正月の参賀も出かけましたが、感じるところはなかったですねぇ。
ちなみに、ご真影について面白いエピソードがあります。
窓の上に飾っていたのですが、ある日、はたと気がついたことがありました。
それはなんと、あろうことかご真影に足を向けて寝ていたのですね、布団の位
置がそうなっていたのです。
気がつくまでに半年ぐらい経過していました(笑)
昔だったら不敬罪ですよねww
しかし、極左が存在する限りは、国内の政情不安を押さえるために、象徴天皇
の存在は必要であると思います。
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┌──────────「takeさん」60代@男性@九州
大澄さんの『八路軍空軍従軍記』を懐かしく拝見させて頂いています。
私も、終戦直後、山東省の八路軍根拠地に父について行きました。当時国民党
軍の反攻にあい、移動に継ぐ移動を記憶しています。
ーーー1953年3月、高砂丸で、同じく舞鶴に引き揚げてきました。
当時本当に苦労し、大澄さんと同じように新中国建設に参加した日本人が数多
くおられたの覚えております。
今後ともお元気で、当時の苦労されたことを記録に残されることを切に希望し
ます。有り難うございました。
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┌──────────「大澄国一さんから」
お便り、有り難うございました。山東省は八路軍の抗日大学で有名です。
私は、53年9月に高砂丸で帰りました。お互い「パーロ」の戦友ですね。
地上部隊に居られた方は、かなりご苦労されたと聞いています。
私たちの苦労は、前戦部隊に比べれば楽でした。今後ともよろしく。
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