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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
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| ☆ 1953年9月、高砂丸にて ―――――――――― 2007/07/20
翌朝、ホテルの人に見送られて港に向かう。――――埠頭に黒い船腹の高砂丸
が泊まっていた。下から見上げれば大きいものだ。甲板から船員が私達を眺め
ていた。埠頭で、中国側の最後の出国手続きを済ませ乗船する。船腹の梯子を
登りながら、振り返って別れの手を振った。
乗船するや私はテンテコ舞の忙しさ。船室の割り当て、人員点呼、手荷物の点
検等に走り回った。皆はやっとそれぞれの船室に落ち着くや、直ぐ甲板に出て
見送りの人々に大きな声で「再見!」「再見!」と叫んでいた。
どれぐらい時間が経ったろうか、全てを終わらせて腰を下ろし、タバコを一服
吸った――――。
それから甲板に出て、改めて皆と一緒に下の埠頭の人達に大きく手を振った。
皆、顔は明るかった。これで全員無事に乗船出来た。……後は船に任せるだけ
だと思ったら気が楽になってきた。そこへ船長が西谷さんと共に来て、出港す
ると知らせてくれた。西谷さんが船内アナウンスを頼んだ。
今まで船室内に居た人達が一斉に立ち上がり、甲板に出て別れの手を振った。
ボー!…ボー! 大きな汽笛の音と共に、船は静かに岸壁を離れた。見送って
くれる人は少なかったが、大きな感動があった。
さぁ、日本に帰るぞ!……という感慨であろう。反面、これで中国とお別れか
……という懐かしさが蘇ってきた――――。
何故か私は祖国に帰る……故郷に帰るという嬉しさはこみ上げて来なかった。
むしろ帰ってから「どうしよう?」という不安があった。家族の事は考えられ
なかった。だから、他の人と帰ってからの事を話し合う気持ちにはなれなかっ
た。又、話す暇も心のゆとりもなかった。
只、懸命に皆が無事に帰国する事だけを考えた。前回のような事件を起こした
くなかったからだ。幸い、今回の人達はよく私らの言う事を聞いてくれるし、
ハミ出たようなグループもいなかった。本当に只ひたすら日本に帰りたいと思
う素朴な人々であったのが一番嬉しかった。
どれぐらい航海したのか……食事時になって皆が集まってきたときは、すっか
り寛ろいだ気分が溢れていた。午後になって船長が私達代表のところへ来て、
境界線通過のため日の丸を上げさせてくれと言ってきた。
前回の時にこれで大きく揉めて混乱が起きたのを思い出した。私達は国際法上
の規定であれば上げるべきだと意見が一致した。これを全員に納得させるよう
分担して各班長を通じ説明した。皆は素直に聞いてくれた。ホッとした。船長
も心配していたのか「ありがとう」と礼を言った。
その夜、あちこちと走り回っていて、とうとう自分の寝る場所がなくなりウロ
ウロしていると、航海士の人が来て空いている1等船室を貸してくれた。
やっと落ち着いて、横になっていたら西谷さんが来て、家族隊代表の友さんが
私と結婚したい気持ちを持っているがあんたどうかね?と話しかけてきた。彼
女から頼まれたそうである。
考えてもいなかったことなので返事に困った。暫く考えてから、彼女はいい人
だ……が、今は何とも言えない、故郷の家族のことが全然判らないから……何
が私を待っているのか不安であるので、故郷に帰ってからを返事したい……と
答え、その旨を彼女に伝えてくれるよう頼んだ。
大きくゆっくりした船の揺れを感じながら、深夜1時過ぎに眠りについた。
翌朝も良い天気。見渡す限りの海原を、白い航跡を残して船は進んでいる。海
はいいなぁ‥‥大きなノビをしながらふとそんなことを思った。思えばこの8
年間、一度も海を見た事がなかった。
ほんのいっとき安らいだ気分になった。数人の船酔い者が出たが、皆は元気で
あった。それからは船中どう過ごしたか忘れてしまった――――。
午後になって、誰かが「日本が見えるぞー!!」と叫ぶのが聞こえた。大勢が
甲板に出てきた。水平線の彼方、船首右の方角に黒い島影が浮かんで見えた。
それからは皆甲板に出たまま島影の近付くのを待つように立ちつくした。黒い
影はやがて青くなり、その島の向こうに長く浮かぶ陸地が見えて来たーーー。
「とうとう帰って来た!……」
人々は口々に呟きながら、じーっと彼方の陸地を見つめている。甲板を行き来
する人達の顔は皆笑っていた。 誰かが私を見ながら「日本はやっぱり綺麗で
すねぇ」と声をかけた。
「あぁ、そうだねー」返事をしながら、私も改めて日本の緑は美しい、海は日
本の象徴だと思った。今まで禿げ山の中国大陸に暮らしてきたせいか、特に水
と樹の緑は美しく映った。
近付いてきた小さな漁船が、特別懐かしさを感じさせた。
「1時間後に舞鶴港に入港します」
船内アナウンスが聞こえた。甲板にいた人達は、どーっと船室に降り始めた。
上陸の準備だ。また私は忙しくなるようだ。防疫検査・入国手続きの事など、
船内を歩き回り、船がいつ着岸したのかさえ知らなかった。
着岸してから2時間ぐらい、検査・手続き・荷物まとめなどでゴタゴタした。
= この稿つづく =
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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┃ ┃ この記事に対する感想や激励です。
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┌──────────「みえいおさん」男性@五十代@自営業@福岡
みえいおです。長期間のご執筆ごくろうさまでした。
このシリーズほど熱心に読んだ記事はほかにありません。人間の息づかいが直
に聞こえるかと思うほどの迫力でした。ありがとうございました。
最後に、御身くれぐれもご自愛のほど。
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┌──────────「大澄国一さんから」
拙文をお読み頂き、有り難うございました。
「やっと日本に帰ってきた……」あの時の感慨は今以て忘れません。帰国には
こだわっていなかったのに、祖国の緑を見ると直感的にあぁいいなぁと思いま
した。やはり日本人ですかね……!
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┌──────────「hideおじさん」男性@五十代@会社員@神奈川
大澄様、毎回興味深く拝読させて頂いておりました。大団円を間近にし、もう
終わってしまうのかという残念な気持ちと、今まで大変ご苦労さまでしたとい
う気持ちでおります。
私の母方の祖父は、ハルピンから逃げるように帰国しましたので、大澄様のよ
うに中国に残り活躍したわけではありません。しかし、釜山から出航し、対馬
の横を通過、内地が見えた時には「思わず万歳をした」と申しておりました。
大澄様のお話にありましたように、祖父も「日本は本当に緑に溢れている国」
と思ったそうです。国敗れて山河ありとはいうものの、満州の大平原から一転
草木が覆う祖国日本は大変美しく写ったのでしょう。
祖父は、運よくシベリアへ強制連行されずに済みましたが、ソ連軍の規律の乱
れから比べると、中共軍は比べものにならないほど規律がちゃんと守られてい
たとも言っておりました。それは、大澄様のような方々がいらっしゃったから
かもしれません。
大澄様のように、戦中・戦後もご苦労された方々のお話を聞くという雰囲気は
今の日本では欠けているように思われます。「日本兵が悪いことをした」とい
うことだけは、大きく採り上げられるのに対して、
異国で戦後も寄与した方々の話、また、戦中の話は全く無視されるか、悪けれ
ば批判されるような日本のあり方に疑問を持ちます。今の日本の、戦前を全否
定するような教育で、聞く耳を持たない状態では、本当の日本の未来は見えて
こないと思います。
「兵隊さん」が話したいことがいっぱいあると思います。それを言えないよう
な日本のあり方にも問題があるとは思いますが、私らのような者、そして若者
の中にも「兵隊さんの苦労」をもっと聞きたいと思っている人間がいることを
忘れず、これからもさらにご活躍されることをお祈り申し上げております。
戦中・戦後、そして今回の寄稿、本当にご苦労さまでした。
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┌──────────「大澄国一さんから」
長い間お読み頂き有り難うございました。今までに多くの、中国での思い、帰
国時の様子など、同じ思い出を持つ人達から励ましのお便りを頂き、友人を持
たない私は大変感動しています。
毎回掲載されるたびに私も読み返し、これが俺の第二の故郷だと思い込んでい
ます。人生いろいろ、こんな人間もいてもいいじゃないか……と思ったりして
います。ご声援有り難うございました。
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