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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
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| ☆ 1953年、帰国待機の日々 ―――――――――― 2007/07/06
私は、もうここまで来れば帰国という考えに変えなければいけないと思った。
……
もう私達の役目は終わったのだ、中国側もいつまでも日本人を軍関係におらせ
るわけにはいかないだろうし、帰国したかった日本人をここまで残留させたの
だから、この時期に帰さなければと考えたのかもしれない。
新中国となって、国内外の諸条件も帰国に有利になっていたのもたしかであっ
た。私自身は帰国にそれ程拘ってはいなかった。というよりもほとんど考えて
いなかった。が、他の人々が喜んでいるのだから、自分もその気持になるべき
だと‥‥‥。
ここで私は川北側の集団の班長を命じられた。川南は西谷さんであった。
新台子[シンタイズ]再訪 立っているのは川の南側。1996年6月
最初の頃は、ブラブラ遊んでばかりいてはいけないと時事問題の学習会を開い
たが、2週間程経ってから、皆の気持ちが帰国に集中していて身が入っておら
ず、ただ中国側に対する義理立てのような気持でやっているだけだということ
が分かった。
それでは意味がないので、次の指示がきた時に独断で学習会は止めると発表し
以後はなにもしなかった。周囲の日本人は、賛成、賛成、と喜んでくれたし、
中国側は何もいってこなかった。
私達は、時には連れだって沈陽まで買い物に行ったり、或いは農家の人に頼ん
で、服やシャツ・布団などを縫ってもらったり、それ以外は、ブラブラしてい
ても退屈だから有志を集めて釣りに行ったり、野球チームを作って試合をした
り、また、演芸会やダンス会も催したりして全員の融和親睦を図った。
5月になって夏服が支給された。――――そのまま着る者、改造する者、皆好
きなようにした。私はラシャ地の外套を普通のオーバーに直し、軍服の上着は
内田さんの子供にあげた。アメリカ製の寝袋はシャツに改造した。アメリカ製
を持っていると危ない、と噂されていたから‥‥‥。
そうした中で、北京組の私達は、林さんをはじめ多くの者が中国側に騙された
という不満から、一度司令部に掛け合ってみようということになり、私が代表
して沈陽空軍司令部に意見陳情に出向いた。こんな体験は私も初めてだ‥‥。
苦労して空軍司令部を探し出し、私達を引率してきた人を訪ねて責任者に面会
を求め、皆の意見を伝えて回答を求めたが、結局「上部の指示で、希望するよ
うな回答はできない」と言われ、退き下がるより仕方がなかった。
ーーー7月になって、
沈陽からの情報で「街に居る日本人は帰国が決まって準備中だ」という噂が伝
わってきた。そしたら、早くからここに来ている者達が騒ぎ出した。
「長いこと我々を待たせて置いて、沈陽の者を先に帰すとは何事だ!」と怒り
をブチまけ、大勢の者が集まりだした。この集まりが段々と大きくなり、集団
となって中国側連絡事務所に押しかける様子となった。
放ってはおけないので、西谷さんと共に事務所へ向かった。帰国者のほとんど
全員が事務所の前に集まって「説明しろ!」と叫んだりしながら座り込んでい
た。やむなく私と西谷さんが中国側と折衝するハメになった。私自身はそうは
思っていなくても、皆の総意である以上代弁しなければならない――――。
司令部から派遣された連絡員に事の顛末を説明し回答を求めたが「そんな事は
ない、しかし帰国については私では分からない」の一点張り。それを全員に伝
えたら怒り出して、一部の者が事務所へ雪崩れ込みそうな気配を示した。
この成り行きに中国側は驚き、警備兵を動員し銃を構えて包囲したので、益々
険悪な空気となった。「何をするんだ!」「撃つなら撃ってみろ!」「返事を
聞くまでは帰らんぞ!」と、口々に喚き立て、庭に座り込んでテコでも動かぬ
構え――――。
私と西谷さんは再び事務所に入り「何か返事をもらわないとこの騒ぎは収まら
ない」と迫った。連絡員は私達を待たせて奥の部屋に入り、司令部に電話をか
けている様子だった。暫くそのまま待たされた。既に夕日が傾きかけていた。
やっと連絡員が出てきた。「第5次帰国船の二次便で帰国する予定である」と
告げてきた。それを皆に報告すると「第5次の二次便なんてあるか?第6次に
するつもりだろう!」皆は信用できんとばかりまたも紛糾しかけたが、
私は「第6次でもいいではないか、とのかく帰国がハッキリしたんだからこれ
で解散しようではないか」と皆に問いかけた。結局そうしようという意見にま
とまり、全員宿舎に帰った。
その後で、私は連絡員に迷惑をかけたことを詫びてから戻った。途中西谷さん
と話した。……とんでもない事になったが、これで皆スッキリしたのではない
だろうか、結果的には良かったように思う……と結論した。
この事件のあった10日ほど後、今度は沈陽の日本人が「新台子では座り込み
をやったら帰国が決まったそうだ!」と、誤った伝聞情報が流れ、同じように
座り込みをやろうとして中国側と紛糾し、退散させられたという噂を聞いた。
とんでもない間違いが伝わったものだと思ったが、帰国にかける彼らの心情は
よく理解できた。皆、かつての職場に居る時は、進歩的な立派なことを言って
いたけれど、こうなるとまったくただの烏合の衆だな、と思った。
8月上旬、司令部より第6次帰国船で帰るという正式通知が届いた――――。
= この稿つづく =
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