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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん

☆ 1953年、帰国待機集結地へ ――――――――― 2007/06/29 翌日の午後北京駅に着く。北京は初めてであったので、好奇心が先立って嬉し かった。駅には空軍の人が出迎えに来てくれて、宿舎に案内された。ところが 着いた所は、なんんと普通の民家であった。 北京の伝統的四合院の構えである。真ん中に石畳の庭があって、それを囲むよ うに四方に4軒の家が建っている。独身者は前庭の家に、妻帯者は奥の家にそ れぞれ分散して住むことになった。独身者といっても4人しか居ないので、1 軒に皆入った。ーーー民家に住む事で、なんだか本当の民間人になったような 気がした。 食事は現金が支給され、各自勝手に街へ食べに行った。より安く美味い店を探 し出して食べ歩いた。今日は何処へ行こうかと、食べる楽しみが湧いてきた。 今まで、食堂の食事で暮らしてきた私達は、ここで初めて中国庶民の食生活を 味わう事ができた。 そのうち、毎日探すのが面倒になり、北京に詳しい鮑さんが良い店を予約して 皆で一緒にそこの店で食べる事にした。食費は余るほど支給されるので不自由 はなく、特に独身者は相当に金が残った。 間もなく1953年の正月を迎えたが、中国は旧正月の春節を賑やかに祝うた め、街は静かなものであった。私達には侘びしい正月であった。地理を知らぬ 為、街の中へ出かけて行って遊ぶこともなく、ここでも毎日ブラブラの遊休生 活をおくった。 皆は、いつ民航に行けるだろうか?と少し不安になり、上部に「早く仕事を与 えてくれ」と意見を出したがハッキリした返事はもらえなかった。あまりブラ ブラしているのも良くないということで、また私が講師になって中国語学習を やったり、読書会などをした。 或る日、街の映画館で日本のニュース映画を上映していると聞いて、遠くまで 電車に乗り「血のメーデー事件」を見に行った。何年も日本の映画を見たこと がなかったので、その内容より懐かしさのほうを強く感じた。 気儘な生活を3ヶ月ほど過ごした4月初め、司令部より命令が出て、工作分配 のため瀋陽へ行くことになった。やっと仕事にありつけるという嬉しさで、皆 は準備にかかった。2〜3日後、私達は司令部から来た若い軍人に引率されて 北京駅から列車に乗った。 けれど何故か鮑・和田さん他何人かは同行せず、何処へ行ったのか解らない。 車中皆は「いよいよ仕事だ!」と張り切って、新しい職場を想像しながら話し 合った。そして、てっきり瀋陽の民航局だと思っていたところが、着いた処は 瀋陽から北へ5つ目の小さな田舎の駅だった。皆「アレ?」という顔をした。 そしてトラックに乗せられ到着したのは、「新台子」という農村の一角であっ た。何が何だか解らないうちに、各自の宿泊先を割り当てられて、中国人農家 に分宿することになった。 着いてみれば、なんとそこには牡丹江航校の人達が大勢居るではないか!私達 を迎えた彼らの話によれば、ここは日本へ帰国するための集結地であるという ことが分かった。そして彼らは1月頃に牡丹江から直接ここに来たとか。帰国 準備もできて、あとは船が来るのを待っているとのこと――――。 へぇーっ、と私達は暫く呆然とした。……事態は一変。胸弾ませて来た元気が 急に消え去ったようだ。林さんは「俺達をペテンにかけよった!」と怒ってい た。 家族の者は川の南側、独身者は川の北側と別れ、各農家に泊まり中国人と寝起 きを共にした。私一人だけ、母親と16歳・10歳の娘がいる農家に入った。
後方の家がかつて泊まっていた農家 今は新築され住民も変わっていた。1996年6月
落ち着いてから、集結している人達を調べてみた。後勤部の軍工廠・後方病院 の看護婦と、退院した患者達であった。彼らも私達よりずーっと早くから来て いたらしい。別の航校の人達は、私達が北京に行った直後にここに帰国者とし て集まったそうだ。 そういえば、今年の初めに、日本赤十字社と中国紅十字社が交渉して、中国残 留の日本人を帰国させることになったという噂を聞いたことがある――――。 私達がここに来た時は、既に帰国が始まっており、興安丸・高砂丸の2隻が、 交互に天津・秦皇島と日本を往復し、既に4回に亘り帰国したそうである。 それから程なくして、先に来ていた一団が第5次帰国者として新台子を離れて いった。この次は私達だ、と残った者は思っていた。しかしその後は何の話も なくズルズルと日が経っていった。 この間に、私達北京から来た者と、残った後勤部の者が一つの区隊になり、西 谷さんが区隊代表者になって帰国の準備をすることになった。しかし、春が過 ぎて夏になっても、一向に帰国の気配はなかった。 聞いた情報では、第4次帰国者集団が、帰国途上の船中で「日の丸事件」とや らを起こし、日本の舞鶴港に着いてからも上陸を拒んだり、政府受け入れ側の 調査を拒むなどのトラブルを起こし、引き揚げ業務が混乱して、続く第5次の 帰国が延期になっているという情況らしかった。 先着の人々は、もう四ヶ月もここに待機させられ、持ち金も底をつきはじめて イライラが募り、不安定な心理状態にあることも分かった。そこへ私達の一団 が加わったので、益々遅れるのではないかと余計に不安を増しているようだ。                         = この稿つづく =
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