┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓



八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
☆ 1951年、ソ連式訓練開始 ―――――――――― 2007/05/25 帰ってみたら他の教員はP−51の未習飛行をしていた。翌日から私も加わっ て地上滑走の練習を始めたが、雪が降り始め練習は中止された。10月末、蘭 崗・温春の飛行中隊は訓練を終わり、海浪に集結した。 抗美援朝という精神的な励みがあったせいか、訓練成果は非常に良く、蘭崗に 於いては終期に優秀学員に高練の後席操縦もできるようになった程著しい進歩 であった。 海浪集結後、訓練総括を行い今年の任務を完了したが、その後慶功大会が開か れた。抗美援朝の高潮もあってかなり盛り上がった雰囲気で行われた。それは 先ず、総括の中から各個人の評価を行い、 ・学員は進歩の著しい者、そして相互援助を良くやった者、 ・教員は教育成果著しく、学員の評判も良く創意工夫の著しい者、 ・機械員は機械学員への実習援助・訓練の保証・創意工夫の著しい者 等の項目で大衆討議を経て、功労ある者を小功・大功と分けて全校大会で表彰 した。 これらの運動は「雄……雄……雄……気……哄……哄……哄……過跨鴨緑江」 全国で高らかに歌われた抗美援朝の歌声と共に高揚されていった。 今年度の訓練終了後、海浪飛行場に全国から続々とアメリカ機材が運ばれてき た。C−46・B−25・P−51・P−38・AT−6・PT−17・PT −19・L−5等々、大型機から小型練習機に至るまで所狭しと並べられた。 特にC−46の大きいことにはビックリした。私達の今までの常識を越える大 きさで、着陸後滑走してきたら誘導路のコンクリートが大きくひび割れしてし まった。胴体が二層になっているのも驚きだった。 国慶式にはこれらがずらりと並び、去年よりも更に壮観な式典となった。中国 人も我々日本人もこれを目の前にして、八路軍が近代兵器のアメリカに勝った 証拠であり、朝鮮でのアメリカ打倒に大きな自信を持たせるものであった。 1951年は、教育施設充実と共に学員の数も多くなり、飛行学生ばかりでな く整備・航法・電気・計器等の学生も集められ教育を行う。整備学生は今まで にもあったが、見習うという形式で、正規の学科・実習を受けた者ではなかっ た。 訓練処も以前は名ばかりであったが、今年から立派な教科実習室もでき、航法 学生も実習機器を使い理論・実際と充実した教育を実施出来るようになった。 これらは多くのアメリカ機材と共に、教材設備・そしてアメリカ式教育を受け た中国教員も充足されて、47・48年頃と比べれば格段の進歩である。 今年も、学員の地上教育効果を上げるため、2月中旬から、飛行訓練に先立ち 教員の間で色々な地上教育器具の考案・製作が行われた。私らは日本軍時代の 適正検査機や着陸目測練習機、或いは地面に場周経路を描いて徒歩で覚えさせ る等々の方法を考え出して初期訓練の徹底を図った。 第2期生も、一般学生と部隊出身者と半々であった。去年と同じく蘭崗と温春 が九九高練、海浪がAT−6で訓練を始める。訓練方式も完全にソ連式となり 操縦教本も配られ航空被服もソ連製が支給され、航空眼鏡はアメリカの二眼一 連式から単眼分離のトンボみたいに大きく出張った凸面ガラスであった。 そして教員にはソ連式の指導記録・報告書が採用され、操縦法も部分的に変わ り、教員達が首を傾げるような部分もあった。(着陸は完全にT字布基準法で あった) 海浪は午前、午後の二部訓練に分れて実施された。私は再び蘭崗に配属され、 糸川主任の下で九九高練を担当する。この2期生については私の記憶に残って いる学員は一人もいない。それだけ何の変化もなくスムーズに進行したのだっ たか?……或いは学員との生活上の接触がなかったからか? 飛行訓練が進行する一方で、海浪修理廠はP−51の訓練のため、これを複座 式に改造することが研究されていた。P−51はアメリカでは今次大戦で勇名 を馳せた名戦闘機である。日本の「零戦」や「隼」のような戦闘機に比べ、ス ピード・装備・性能が抜群である。 アメリカでは最低350時間の飛行経験がないと乗せないと聞いていた。これ が最初に牡丹江に来た時、林さんが未修飛行した・その時着陸で大きく落ちた のを見て私達は「林さんでも上手くいかない程難しい飛行機だ…」と思った。 機内を見たが、照準器は射程1500m(日本のものは300〜500)電気式 自動照準、また後方警戒用のレーダー、機関砲6門等々…旧式の日本機しか知 らない私らはビックリするばかりであった。 既に甲班・乙班の学生は乗りこなしているが、彼らは2年も経って150時間 は飛んでいるだろう。----それでもアメリカに勝る記録である----今度はせい ぜい60〜70時間で乗せるのである。とても最初から単独でという訳にはい かない。そこで改造ということになったのである。 最初は不可能と考えられたが、修理廠の森・岡田・泉さんらがこれに取り組ん だ。一流の設計技師がいるわけではないので、3人が頭を絞って研究・失敗を 重ねて遂に改造に成功した。 試験飛行の結果は、単座の時より安定性が良いという、これだけの事業を成し 遂げたことは驚異的な事だと思う。恐らく世界でも初めてではなかろうか…? 日本人も中国人もこの成果を誇りに思っていた。中国側の指導者も大きく評価 してくれた。                         = この稿つづく =
中国ランキングに参加中!クリックして頂けますとランキングページが開きポイントが加算されます。 そしたら「応援してくれる人がいる!頑張ろう!」とファイトが湧いてくるんです!
    
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
八路空軍従軍記の目次に戻ります







SEO お金 無料レンタルサーバー ブログ SEO