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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
☆ 再び牡丹江へ&人民裁判 ―――――――――――― 2007/03/16 その頃の内戦は、国民党軍に押されていた東北民主聯軍が、ハルピンと牡丹江 を結ぶ戦線で膠着状態となっていたが、夏になってジリジリと反攻に出て守勢 から攻勢に転じつつあった。 国民党軍の空からの攻撃はあるにせよ、地上戦では最早緊迫した情勢ではなく なっていたのだろう、10月になって急遽牡丹江への移動が命じられた。教官 は各自受け持ちの飛行機に機械員(整備員)を乗せ、糸川主任を長に編隊で牡丹 江へ飛ぶ。 懐かしの古巣に戻った。やはり滑走路が大きくて気持ちがいい。今度は宿舎が 変わり、駅西側の陸橋を渡ったところの三角路にある建物だ。 牡丹江・海浪飛行場への往復は学生の馬傑三が運転したが、この馬学生、運転 の疲れで飛行が上手くできないと言い出し、その後は専任の運転手を付けた。 訓練は千振で殆ど単独を終わっていたが、飛行場が変わったので慣熟のため少 し離着陸を練習し、空中操作の課目に移った。気候の変化が早く、急に寒くな り、又エンヂン・機体が古くなっているので特殊飛行は出来ず、上昇反転のみ 習得させた。 その後直ぐ編隊飛行に入った。編隊は全ての機種、どの飛行隊でも最も要求さ れる重要技術であるので、これをミッチリやっておく必要があった。編隊訓練 に移ってからは、学生達の討論研究も一段と熱が入ったように思われた。編隊 飛行中に互いの操縦がよく見えたからだろう。 訓練終了後の主任教官の全体講評は朝鮮出身の韓という学生が通訳した。最初 千振で手伝ってくれた通訳はいなくなっていたので、各組の教官講評は日本教 官が飛行用語だけは何とか中国語で通じるようになったので通訳は使わなかっ た。ーーーとはいっても、筆談・手真似・足真似といった有様で、中々大変で あった。どうしても駄目な時、話せない教官の組だけ韓学生が通訳した。 私はその頃はもう通訳を必要としない程上達していた。‥‥そのためには多く の時間を学生の部屋で過ごして言葉を覚えるようにした。 当時の事で今でも記憶に残るエピソードがある。‥‥糸川主任が飛行場で学生 に第一旋回の地点を教えるのに、畑の中に「一本の樹が有る」と言いたいのだ が「樹」という中国語を知らないので、樹のことを「死了没有的木頭」と中国 語で言った。が、 聞いた学生はキョトンとしていた、何の事か解らない。それを傍らで聞いてい た頓知の利く学生が、考えたあげく笑いながら「有一根樹」と教えた。聞いた その学生は「ああ、樹ですか!」と真面目に応えて周りの者が大笑いした事が ある。 糸川主任の言った「死了没有的木頭」とは、直訳すれば「死んでいない木材」 =即ち生きた木(樹)を指したのであるが、主任は木という言葉を知らないから 日本語の「木」を中国語の「木頭」と使ったのである。ーーー中国語では木と 樹は文字も発音も違うのである。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 1947年7月頃から始まった土地改革の運動が、この頃には頂点に達してい た。毎日のように農民(貧農・小作農)が農民大会を開いて、地主に対して過去 の罪悪を暴露したり訴えたりして地主を吊るし上げていた。街角、村の辻々の 至る所に「打倒地主」「打倒封建制」のスローガンが張り出されていた。 以前、平信さんから「八路軍は宣伝の軍隊である」と聞かされたことがある。 (彼は日本軍時代に、華北で八路軍と戦ったことがある) なるほど現在でも街 といわず農村といわず、およそ壁という壁には必ず大きな字で「共産党万歳」 「擁護人民政府」「打倒蒋介石」等々の、政治宣伝やスローガンが書かれてあ るのを嫌というほど見るし、又現在のような土地改革の最中には、これらに加 えて「貫徹土地改革」の文句もある。 つまり共産党の政策が隅々まで宣伝されて、大衆をこの方向に引っ張って行く 意図がありありと分かる、こういうやり方には少なからず驚かされた。 一度、機会があって、学生に連れられて農民闘争を見に行ったことがある。 それは地主に対する人民裁判であった。広場に設けられた舞台のような壇上の 片隅に、縛られた地主が座り、その向かい側に審判員(裁判員)が机を並べて控 えており、中央に農民が1人ずつ登壇して地主の罪状を訴えるのである。 中には泣いて訴える者もおり、或いは怒りで拳を振るって地主に向かい大声で 怒鳴る者もいた。その訴えの途中で、聴衆の中から興奮した誰かが立ち上がっ て拳を振り上げながら「打倒地主!*******!」とスローガンを叫ぶ。 大衆がそれに続いて一斉に叫ぶ……それを見ていて、実感としてはピンとこな かったが、農民の地主に対する憎しみの目や叫びはホンモノだと思った。第三 者の目で見ると、多少仕組まれているような感じもしないではないが、真実味 のある闘争と感じた。 見物中に学生が時々私を振り返って意味を説明してくれたが、その学生の目も 鋭い眼差しであった。所謂他人事ではないという実感を味わっているよう思え た。勿論彼等の殆どが農民出身である、又共産党員でもあるのだ。この態度に は感動した。やはり人民の軍隊なのかな?……と思った。 私の知る限り、日本人はこういう事にはとかく他人事のように傍観する無関心 さがあると思う。この日は、階級闘争の実物を見たような気がした。けれども 当時の私達は、日本人であるので直接こういう運動とか、闘争とかには関係し なかった。 日曜毎に街へ出て、映画を観たり、餃子を腹一杯食べてその楽しさを味わって いた。映画はソ連映画ばかり、やっぱり社会主義モノだ。たまには学生と一緒 に京劇を観ることもある。内容は分からんが、学生が一つ一つ教えてくれた。 結構面白かった。 チャン♪チャン♪ガチャ!ーーーという音は今でも忘れられない。                         = この稿つづく =
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