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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
☆ 民主聯軍第1号単独飛行 ―――――――――――― 2007/03/09 訓練を始めて1ヶ月程経った頃、又発熱して寝込んでしまった。が、大したこ とはないので入院せず、宿舎の自分の部屋で寝ていた。宿舎は製油工場倉庫を 改造したものだった。 寝込んでいる間、学生が心配してよく見舞いに来てくれた。その頃飛行場に生 えていた草花摘んできてくれた。大して綺麗な花ではないが、文化程度の低い 八路軍の兵士でもこういう気持ちを持っている事を知り嬉しかった。----これ は、後で考えたら大きな偏見であった---- 学生は毎日のように見舞いに来てくれた。ある時、退屈だろうからこれを読ん で下さいと1冊の本を置いていった。それがなんと「思想方法論」という哲学 書みたいな中国語の本である。ちょっと見ても漢字ばかりの中国語でチンブン カンブンだ。 その当時は何の娯楽もなく慰安もなく、読む本もなかった。元々読書は好きで あるし又「珍し食い」でもあったから、学生の手前もあって読む事にしたが、 ーーー最初の1字目からダメ。 参軍以来ずーっと中国人と一緒だったから、言葉も少しは分かったし片言も話 せた。しかし文を読むのは初めて……同室のポーさんが「支那語辞典」を持っ ていたので、それを借りて1字1字探しては読んだ。ーーーいや、読む事はで きず意味を覚えた。 最初の1行の字を覚えるのに1時間は掛かった。読む発音は学生に習った。辞 書を引くのに慣れてくると読むのも早くなり大体の意味も解ってきた。 それから中国語に対して興味が湧き、勉強する気になった。通訳を使っての訓 練ではノロ過ぎるので、自分で話せるようになりたいと思っていたので、これ を機会に中国語の勉強に突入した。 私達の宿舎は豆油工場であった。ある日曜日、工場に入って油を絞っていると ころを見物した。なかなか見事であり面白い作業であった。製油の過程を初め て見た。日本でいうなら家内工業だ。ここで初めて「豆餅(トウビン)」という 大豆粕の輪みたいなものを見た。大豆の中にこんなに油があるとは知らなかっ た。 その見物中に、スチームエンヂンの余り蒸気で湯を沸かしている風呂を発見し た!早速ここの主人に話して、私らも入浴させてもらう事になった。長いこと 風呂に入っていないのでこれは意外な収穫であった。久しぶりに命の洗濯をし た感じである。 ーーー10日程の休養で身体も回復し、訓練に戻った。 その頃はもうかなり暑くなっていた。日本軍時代の毛皮の飛行服では耐えられ ないようになり、夏服の着用となった。飛行服も飛行帽も布製で、日本軍のも のをそっくり真似て作られていた。 私は飛行帽だけは革製の日本軍用を使った。靴も、ちゃんと革長靴を履いてい た。他の教官や学生は布製のズック靴であった。格好だけでも飛行員らしくし たい見栄からかも知れないーーー。 学生は、どうやら離陸と場周飛行は出来るようになった。習うより慣れろとい うが、そのとおりだ。何回も何回も繰り返していれば覚えていくものだ。 7月半ば頃だろうか、宿舎が飛行場内の建物に移った。間に合わせに急造した もので、窓の半分は板を打ち付け、明かりとりにガラスが1枚か2枚嵌ってい た。とにかく寝る事が出来るという程度、物が無いから仕方がないが、それで も飛行場の中にあるので便利だった。
1987年撮影:千振飛行場の宿舎
そして8月の末頃だったか、学生が初めて単独飛行=習熟した学生を1人で飛 行させる事)をすることになった。日本軍時代と同じように、機体尾部に小さ い赤布の吹き流しをつけた。他の機を全部飛行停止にして、単独機がただ1機 離陸していった。 教官をはじめ、全員が固唾を呑んで見守っていた。単独飛行は、教官にとって も学生にとっても一大ステップだ。その成否は全学生に大きな精神的影響を与 える。 現在のように無線誘導があるわけでなし、一度飛ばしたら教官はただ成功を祈 るしかない。勿論担当教官には自信があって、主任教官の検査もパスしての事 だが、やはり学生が着陸するまでは心中穏やかではない。――――大袈裟にい えば民主聯軍第1号のパイロット誕生である。その名は李漢=後の空軍英雄) である。 離陸は上手かった。第1旋回、第2旋回、第3旋回、まずまず順調に飛んだ。 いよいよ降下着陸だ。基本操縦の中では着陸が最も難しい。……ヨシ、ヨシ、 目測はいいぞ、、そうだ‥‥そうだ‥‥ゆっくりと‥‥静かに引いて‥‥と、 まるで無線で誘導しているような言葉が教官の口から出てくる。皆の目は着陸 に釘付けになった。 みんなが固唾を呑んだ瞬間接地した!!少しバウンドしたが良くできた。 「ハォ〜!ハォ〜!=好!=いいぞ!巧いぞ!」学生達は一斉に拍手した。 こんなに気を揉んだ単独飛行は日本軍時代には経験した事がない。単独までの 飛行時間・回数は日本軍時代よりも多いが、よくまあここまでやったと私なり に感心していた。文化程度の低いこの連中が、言葉も通じない状況で「偉い」 と思った。 しかし、それから後は単独が次々とは続かなかった。――――適性検査で選ん だ学生ではないので個人差が大きく、上手、下手の開きが大きかった。が、こ の単独飛行成功が学生達に大きな励ましを与えたと思う。よくいえば自信を付 けさせる役目をした。 ーーーこの最初の単独飛行学生は、普段は良くふざけたり、オッチョコチョイ のところはあるが、シンはしっかりしていて、理解が最も早い学生であった。 これを契機に、学生達の単独飛行への意欲が大きく盛り上がった。                         = この稿つづく =
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