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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
☆ 牡丹江無聊の日々 ―――――――――――――― 2007/01/19 敦化から帰って暫くの間は、訓練処の建物で起居し何もない毎日を過ごした。
牡丹江訓練処跡:1978年撮影
或る日曜日、街へ出かけて日本人に遇った。鉄路局に働いているとか聞いた。 その人は私の着ている軍服を見て目を疑っていた。「あんた、民主聯軍か?」 と訊いてきた。「うん」と返事したきり後は話さなかった。ヘタに喋って反感 を持たれてはまずいと思ったからだ。 その後、いっぺんに牡丹江中の日本人に知れ渡ったらしい。「八路軍の中に日 本人がいる?!」と――――。 当時、黒竜江省一帯は「解放区」といって民主聯軍の支配下にあり、比較的落 ち着いていて、住民はせっせと働いており内戦の危機感は感じられなかった。 商店はあまりなかったが、日用品は不自由なく買えた。露店がずらり並んでい て、俗に「泥棒市場」といわれていた。 売っている物の殆どは日本人の家から盗ってきた物か、日本人から買い叩いた 物らしい。私も市場で買物をしたが、店の中国人がニヤニヤしながら「是八 路軍?(お前は八路軍か?)」と話しかけ笑っていた。 この頃だったと思うが、若い西谷という少年飛行兵出身の者が入ってきた。ハ キハキした頭の低い好青年であった。また、同じ頃に平信さんの奥さんが胸を 患い寝込んでいた。平信さんは宇都宮以来の旧友、というより先輩である。暇 があるとよく部屋に行き話をした。時に喧々囂々と議論することもあった。そ れでもまた遊びに行き議論した。 私達独身者は大部屋に起居し、家族持ちは階下の個室または周囲の家の個室に 住んでいた。黒田さんの奥さんもこの頃胸を患って寝ていた。私は「遼陽から 来た女房は弱い…」てな失言をして恨まれた事もあった。(黒田は小深田さん の変名である、この頃は多くの者が変名していた)その頃の私は毒舌多弁で煩 がられていた――――。 私の隣で寝ている満航出身の枇杷田君は黙々とラジオの組立に熱中していた。 日曜日毎に市場へ部品を漁りに行っては買ってきて、首を傾げながらコツコツ と作っていた。 ある時突然そのラジオが鳴りだして、日本の放送が聞こえた。周りに居た者は わぁーっ!と寄って耳を澄ました。わずか数分の音楽だったが懐かしかった。 それから、俄然枇杷田君の技術が注目されるようになった。 こうして毎日ブラブラしているのが退屈なのと、何かしたいという気持から、 或る日、合作社を作ろうという話になり、私と枇杷田君と、もう一人名は忘れ たが3人で準備することになった。 訓練処の「何」処長の許可を貰い、正門前の大通りに面した廃屋を1軒借りて そこに日用品を並べた。但し酒類は禁止。居留民会から女性一人を頼んで店番 をしてもらった。これで航空隊の人達は街まで買物に行かなくて済むようにな り喜ばれた。 この合作社を作るに際して、何所長は色々と力を貸してくれた。店の売り上げ は儲かるほどではなかったが、ブラブラしているよりは面白かった。ーーーし かしこれは長くは続かなかった。2ヶ月ほどで休業した。私達にそれぞれ仕事 が出来たからである。 ーーー女の人はそのまま航空隊の誰かの保母さんになった。 ……書き忘れたが、この間に学校は対外呼称を「六一部隊」と改めた……                   = この稿つづく:次の記事へ = ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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