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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
| ☆ ユングマンを取りに敦化へ(1) ――――――――― 2007/01/05
街路樹の芽が新緑となって、大分暑くなってきた5月末の或日、田さんと共に
敦化にユングマン1機を取りに行くことになった。この頃の汽車は発着時刻が
決まっておらず、大体何時頃という暢気なもの、又、途中の停車が多く、予想
以上の時間がかかるものだった。
午後、牡丹江駅を出発、一晩汽車の中で寝る。翌朝目が覚めたら汪清の町に着
いていた。ここで列車を取り替えるため、かなり時間がかかるというので、田
さんが下車して何か食べようと言い出し町へ出た。
町といっても田舎町、店らしい店は無い。その上殆どが朝鮮人であった。駅前
通りを眺めながら歩いていたら、直ぐに家並みがなくなって町の端まで来てし
まった。
田さんがソバを食べようと言い出して、一軒の朝鮮ソバ屋に入った。そこは今
でいう完全な手打ちソバ屋であった。主人が練ったソバを臼[うす]のような中
に入れ、杵[きね]を大きくしたような丸太の上に上がり、体重で押さえると細
長くなったソバが下へ出てくる仕掛け。中々時間はかかるが、見ていて面白く
こんなソバの作り方は初めて見た。
暑かったので冷麺を注文したが、これが又、冷たい井戸水で作ってくれたので
格別に旨かった。ーーー腹拵[はらごしら]えを済まして駅に戻ると、発車する
ちょっと前でちょうど間に合った。
再び汽車に揺られて国境近くの図們に着き、そこからまた列車を乗り換え北上
する。(地図では南下しているように見えますが、図們から一旦北上して、途
中から南西方向へと向かうようになります)途中の延吉で列車がストップ、動
くのは数時間後だという。仕方がないので昼食を食べに街へ出た。
延吉はかなり大きな街で、中国人・朝鮮人が半々で入り交じっている様子。駅
の従業員は、汪清・図門・延吉ともに皆朝鮮人であった。時々日本語の専門語
が聞こえるのが面白かった。
ーーー今まで私が日本人と気付かれなかったのは不思議であった。
食事後、田さんと市政府に行った。田さんは中へ入って行ったが、私は入口で
待っていた。用談を終えて出て来た田さんが「ここには『日本人居留民会』が
あるそうだから、行って話をしたらどうか?」と勧めてくれたので、興味も湧
いて行ってみることにした。
駅近くの、表通りから外れた小さな民家の入口に「延吉日本人居留民会」と書
かれた看板が掛かっていた。声をかけて中に入ったら、髭を生やした会長らし
い人が出て来て私の顔を怪訝そうに眺めていたが、日本人だと判ると中に入れ
てくれた。
いろんな話をした。ちょうど承徳の「日本人会」に行った時と同じような印象
を受けた。皆不安でいるのだ。延吉は特に朝鮮人が多いので、色々な面で反目
されているらしい。
ここでは私自身の事は話さず、私が見てきた各地の日本人の状況を話しただけ
である。それ以上の突っ込んだ事を聞かれても答えることができないからだ。
つまり私自身にも判らないのだ。「帰国出来る日まで何とか頑張って下さい」
と励まして別れた。
再び田さんと列車に乗って敦化へと向かう。営口以来、久し振りで又田さんと
一緒に仕事をして、二人はすっかり友達になっていた。私は未だ中国語を話せ
る程でもなかったが、彼の言う事は大体理解できた。いわゆる以心伝心という
やつだ。
夕方4時頃敦化に着いた。陽はまだ高かったので、二人で歩いて飛行場へ行っ
た。旧兵舎らしい建物に先遣の整備員がいた。‘張’という幹部(後の飛行学
生)が責任者でいた。名は忘れたが日本人整備員も4、5人居た。久し振りに
足腰を伸ばしてゆっくりと寝られた。
翌日、整備の終わったユングマンの試運転に立ち会った。ユングマン機は名前
は聞いたことがあるが見るのは初めて、勿論飛ぶのも初めてなので綿密慎重に
点検した。
複座軽練習機ビュッカーBu131ユングマン
「陸軍:四式基本練習機」「海軍:二式陸上初歩練習機」
矢っ張り戦時中に作られた機体だけに、相当節約というか金属部分が少ない。
私が操縦を習い始めた頃の‘初練’より一回りも二回りも小さく出来ている。
エンヂンはプロペラを手で回して掛けられる程だ。
一度はこんな事があった‥‥
整備員の浅野君だったと思うが、始動スイッチが入っているのを知らずにプロ
ペラを手で動かしたら突然エンヂンが始動し、危うく彼はプロペラに叩かれて
死ぬところだった。本人は勿論、見ていた私達も一瞬青くなった。
その日の試運転や地上滑走で、オイル系統に異常があったので、これが直るま
で空輸を延期して待機することになり、2、3日ブラブラしていた。
そうした或る日、宿舎の周囲の草取り整地をするため、集められた人夫を指図
して作業する事になった。その時に集まった人夫の半数が日本人であったので
驚いた。この人達を使役させる私が日本人だと判ったら、この人達はどんな気
持ちを持つだろう。
恐らくいい感情は持たない、、しかし、やらない訳にはいかない、、。
どうせバレるなら最初から言ったほうが良いと考えて「ご苦労さんです…ここ
から向こうの草取りをお願いします」と声を掛けた。皆はびっくりしたように
こっちを見、私の顔と服装を眺めがら黙っていた。――――「東北民主聯軍」
の胸章を着けた軍服と皮の長靴を履いている日本人の私を、不思議というより
奇怪に思ったのだろう‥‥やがて一人二人と草をむしり始めた。
中国人のほうは私に構わず作業を始めていた。――――ここで面白いと感じた
のは、同じ時間に同じ量の作業をするのに、日本人と中国人ではやり方が違う
という事だ。
同じ草取り作業であるが、中国人のほうは定められた時間までに作業を終わる
ように進めるが、日本人の組は早く作業を終わらせ、残った時間を休むという
やり方である。ーーー国民性の違いをハッキリ見たような気がした。
= この稿つづく:次の記事へ =
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┃ ┃ 記事に対するお便りなどあれこれ。
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┌──────────「大澄国一さんから」
明けましておめでとうございます。
昨年9月以来私の拙文を掲載して頂き有り難うございます。 また、見知らぬ
方から激励や感想のお便り頂き、感激しています。お陰でメールが楽しく打て
るようにもなりました。
昨年は本当によい年で暮れました。そしてまた喜びを期待できる新年を迎えま
した。偏[ひとえ]に貴編集局の賜[たまもの]と厚く御礼を申します。有り難う
ございました。
祝貴局更大的発展、併祝身体健康、新年快楽!
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└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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