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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
| ☆ 通化へ移動、2・3事件勃発(3) ―――――――― 2006/12/22
全然知らなかった私は、それを聞いて驚くやらアホらしいやら、全く馬鹿げた
無茶な話だ。そういえば民家に寄住していたとき、やがて国民党が日本軍の戦
車隊を連れて通化にやって来るというデマを聞いたことがある。気にもしない
でいたが、その頃既にそういう地下工作をしていたのだろう。いろいろな憶測
を話し合ったが本当の事は判らない。
…兎に角監禁されたのだからヘタに動かぬほうがいい…と皆で申し合わせた。
一晩まんじりともせずに朝が来た。外は時々兵士が走るぐらいで、宿舎内は静
かであった。起きて、洗面に行っても便所に行っても、必ず兵士がそこに立っ
て監視している。
食事もいつもより遅い。やっと来たと思ったら小米(粟)のご飯…白米から一転
して転落、囚人扱いだ。しかし誰も不服は言わなかった。何か大変な渦の中に
巻き込まれ、この先どうなるだろうか?という不安のほうが強かったからだ。
朝鮮人部隊の兵士が、機会をみては盛んに罵声を浴びせていた。過去の日本支
配に対する恨みの吐き出しとしか思えない……。
隣の部屋への出入りは許されないので、他の者の様子は一切分からない。まし
て街の者の様子などは全然不明である。同室の者も、本を読んだり碁をしたり
なす事もなく毎日が過ぎた。
4、5日経った頃、突然顧さんと陳さんが訪ねて来た。そして、私と宮田君の
二人だけ別の部屋に移された。「あなた達は今度の事件に関係ない」と言われ
その日から以前の待遇に戻してくれた。監視兵もつかないし、食事も白米と二
皿の菜=おかず)が付いた。
宮田君は双練機で、私はスーパー機で、部隊とは別に単独の任務を遂行してい
たので、その功労がかわれたのかも知れん。今まで同室だった山本・石森・原
・鵜飼君等は、これについて別に僻[ひが]んだ様子はなかった。
出入りが自由になったので顧さんの所へよく遊びに行った。そして、今度の事
件の内容を聞いた。大体山本君の話したのと同じであった。只、航空隊が大き
く期待されていたというか、むしろ大道具として使う意図だったらしい。
結果としては将校だけが参加したぐらいで不発に終わったのと、事前に民主聯
軍が情報を掴んでいて出鼻を挫かれた形となった。街の中では可成りの撃ち合
いがあったらしい、相当数の日本人が逮捕されたようである。
それから一週間ほど経って、漸[ようや]く学校に居る者の監視が緩んだ。街へ
は行けないが、校舎周辺の散歩は許された。ここに居た者は、直接暴動に参加
しなかったからだろうか。
――― これが有名な通化暴動事件=2・3事件である ―――
後で聞いたが、街に居た家族者は皆連行されて、空き家の中に座ることも出来
ぬ程大勢詰め込まれて、食事もロクになく、用便にも不自由したとか、全く囚
人牢獄と同じだったようだ。処刑された者も少なくないとか……
事件が一段落した頃、‘杉本’と名乗る政治幹部がやってきた。聞けば延安か
ら来た政治工作員だそうだ。林さんも姿を見せた。林さんは通化到着後間もな
く、九九高練機で離陸時に墜落事故を起こし半身不随で病床にあったとか。
ある日、全員講堂に集められて、杉本政治委員の「今回の事件の概要と今後の
我々日本人の方向」と題する話を聞かされた。その後で林さんから、部隊の再
編成の話があり、新編成の民主聯軍航空総隊となり、民航隊・教導隊に区分さ
れることとなった。
教導隊は林さんが責任者、民航隊は‘蔡’という人が隊長になった。部屋は隊
別に入れ替えがあり、私と宮田君の二人は民航隊に所属した。
この編成を機に、部隊を追われた者、他の部署に配置替えさせられたり、炭坑
に送られた者、等で可成りの人数が減った。要するに民主聯軍に協力できる者
のみで再出発という事である。(註:杉本=延安日本人反戦同盟幹部)
次の日、全員校庭に集合させられ、持ち物の検査があった。最低必要以外の余
分な持ち物は全部没収された。殆んどの者が布団一枚と日用品だけになってし
まった。不満はあるがどうにもならない。私は顧さんに頼んで、以前貸した私
の私服の返還を要求しておいた。これは後日、布地として弁償してもらった。
これで今までの軍隊組織はなくなり、可成り楽になった。中国側が軍組織を許
していた事がよく分からなかった。
この時期は、延安から続々と軍重要幹部が航空総隊に送られてきた。林部隊が
参軍してから、毛沢東はじめ首脳は、航空隊設立に関して各方面の地上部隊に
全面協力を指示する程の熱意を持っていた。そして、各地上部隊から選抜され
た飛行、整備の学生要員も多く送られてきた。
「当時、航校に集められた航空要員の兵士」
それからは毎日定められた日課で飛行機の整備、修理を行う。飛行場まで整列
して行き来する事になり、今までのダラダラした生活とは一変した規律となっ
た。街の中で分宿していた女子や家族持ちも、私達の宿舎近くに集結して同一
行動をとる事になった。久しぶりに見る顔もあった。
仕事をしながら、事件中の出来事や生活状況など話し合い、初めて事件前後の
全容がハッキリしてきた。と同時に、お互い部隊に残って生活の安定を得て、
明るい顔に積極さがみられるようになった。
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