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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
☆ 通化へ移動、2・3事件勃発(2) ―――――――― 2006/12/15 布団袋を肩に、顧さんと二人小さな橋を渡って町の中にある本部へ行く。通化 の街はすっかり雪に覆われていた。先発した地上要員は飛行場近くの川の畔の 学校に集結していた。操縦者と将校は民家に分宿していた。 ここでも勝瑞・佐藤君と会い、彼らに案内されて、街外れに近い‘佐藤’とい う日本人の家に泊まることになった。中国式オンドルのある細長い家である。 ーーーこの街の日本人は割合落ち着いていた。治安が良いためか、男は皆使役 に出て働いているとか。 主人の佐藤さんは、若い頃船員でよくアメリカに行ったと話してくれた。奥さ んと娘さんの3人暮らしであった。少し国粋的なところがあって、日本は負け たが、必ずまた立ち上がる時があるというような事を話していた。 そして、煙突の中に隠してある日本刀を出してきて見せてくれた。私はあまり そういう事に興味がないので聞き流していたが、これが後日有名な2・3事件 と関係しているとはまったく知らなかった――――。 この民家に10日程泊まっていた。 書き忘れたが、通化に来てから元の階級が二階級進級していた。私は見習士官 ということになった。週番士官の肩章まで掛けて点呼をとることもあった。 間もなく正月が来た。この家の人が、どこで都合してきたのかお餅を食べさせ てくれた。 普段の食事は部隊の食堂に行った。毎日街の中を飛行服のままで歩くのでよく 人目についた。 他に分宿していた将校や下士官達は、かなりの遊びをしていたらしい。飲み屋 まであって、そこの女とどうかしたとか、男女関係の話がしきりに入る。また ここでも遼陽の再現だと思った。何も仕事をしていない連中が遊びに耽ってい て、忙しく飛び回っている私は置き去りにされたみたいで面白くなかった。 私は殆ど中国人と付き合っていたので、給料を貰っても使う事はなくポケット に貯まったままであった。(ここに来て初めて給料を貰った)
当時の紙幣
間もなく、部隊全員、学校の宿舎に集結して部隊生活が始まった。 前に言ったように、私は週番勤務までやらされ、入り口の衛兵まで銃を持って 立ち、八路軍式敬礼をした。規律統制は必要ではあるが、これは軍隊の再編と しかみえない。あまりいい気持ちがしないので、私は顧さん・田さん・陳さん とかの部屋に行き遊んだ。 天気のいい時には飛行場に行き、スーパー機の手入れや整備をした。日曜日に は、以前の佐藤さんの家に行き、中学生の娘さんにスキーを習って遊んだ。 こうしてのんびり日を過ごしていたけれど、宿舎内における兵・下士官と将校 との間の感情的な対立は険悪であった。ある時など、大橋君が将校室へ怒鳴り 込んでアワヤ殴り合いになるような一幕もあった。 一般に、飛行技術の良い者がいない旧将校学生なので、「ナメられている」と 思っているのか?それとも威信を保ちたいのか?私も不快に感じる態度が屡々 あった。極端なときは「非常呼集」を掛けたろか!という会話も隣の将校室か ら聞こえたりした。小林という評判の悪い少尉だ。 家族持ちと女の人は街の中に別れて宿泊していた。我々独身者は殆ど顔を見る ことはなかった。 ある日、河でスケートをして遊んでいたら、平信さんが来て「山口という看護 婦がいるが結婚しないか?」と持ちかけられてびっくりした。敗戦後初めての 正月がきたばかり、この先どうなるかハッキリしない生活なのに結婚どころで はない、……断ったら、平信さんは当てが外れたという顔をした。 そんな生活をしていた或る夜、 真夜中に突然警備の八路兵が銃を持って入っ て来た!?何のことか判らなかった。かなりの数の兵が宿舎を取り囲んだ様子 だ。指揮者らしい声が廊下で叫んでいる。ドヤドヤと二人の兵が部屋に入って 来て私達の荷物を調べ出した。 「何が起きたんだ?」と尋ねたら、「知ってる癖に嘘を言うな!お前ら暴動を 企らんだんだ!武器を隠しているだろう!」 何の事か判らんが黙って彼らが為す儘にして眺めていた。私らの下士官室から は何も出なかったので直ぐ引き揚げて行ったが、隣の将校室ではなにやらガヤ ガヤと騒いでいる様子だった。 兵士が引き揚げて行った後、山本君が「やっぱりやったか‥‥」と呟いた。 「あんた、知っていたのか?」 「ああ、参加するように言われたが行かなかった。‥‥将校は参加してるだろ う」と話してくれた。 そういえば、隣の将校室は誰も居ないようだ。 大分騒がしくなった、あちこちで大声が聞こえる。状況は不利である、あまり 騒がぬほうがよいと思い、皆寝台に寝転んで成り行きを見守っていた。もう寝 られるものではない。他にも多少知っている者もいる様子だった。 山本・鵜飼・原君等の話によると、 通化には以前から、日本軍の藤田中佐という者がいて、街の中に潜入し国民党 と通じてスパイ活動をし、我々航空隊が来たのを機会に暴動を計画、我々の飛 行機もそれに参加させて八路軍を撃滅し、根拠地を作って国民党軍と合流する という計画らしかった。                   = この稿つづく:次の記事へ = ┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ 記事に対するお便りあれこれ。 ┗━┛ ┌──────────「北のコーリャンさん」男性@七十代@広島 「八路軍従軍記」以前から時々見ていましたが、最近少し面白くなって続けて 読んでいます。1953年に帰国されたとの事、私も1953年8月に黒竜江 省から帰国しました。同じ年に帰国されたというところに、妙に惹かれまして メールしています。 戦後の中国に居た時は、まったく外部の事が分からず、随分不安に過ごしてい たものでした。 今はネットのお陰で当時の多くの出来事を知る事が出来、お話の「八路軍従軍 記」も、こんな事もあったのかと驚いています、私が居た地域とは異なります が、楽しく読ませてもらっています。 └────────── ┌──────────「大澄国一さんから」 北のコーリャンさん、お読みいただきありがとうございます。 このことは、帰国後ずーっと隠していました。日中国交回復後初めて中国帰国 者だと話せるようになりました。私の人生で一番思い出深い時代です。 第6次の高砂丸で帰国しました。当時は帰国することは深く考えていませんで した、ただ、飛行機に乗っていられるという満足感で暮らしていたようです。 黒竜江とは懐かしいですね、ハルビンを思い出します。今後もよろしく。 └────────── ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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