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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
☆ 凌源・承徳へ飛ぶ(2) ――――――――――――― 2006/12/01 「あった!!」思わず叫んだ。顧さんに指で下を指して知らせた。彼は大きく 頷いた。広い町の灯が明るく見えた。なんのことはない、この灯を機体の下に 隠して飛んでいたのだ。 その灯の東側の山裾に一本の白い滑走路が見えた。ああ良かった……! 顧さんと私は顔を見合わせて笑った…… ゆっくり左旋回しながら降下、飛行場を確かめる。星明かりに見える飛行場は 輪郭がハッキリしない。只滑走路だけが確認できた。更に降下し着陸態勢に入 る。突然、滑走路の左右に転々と火が燃え出した。松明のような灯である。 …………ああ、地上の者が気付いて着陸誘導しているのだ……… と判断した。民家の煙で風向を確かめ着陸降下に移る。回りの障害物は判らな い、見えんのだ。焚き火に向かって一直線、、、ドスン!、、、やっと接地! ブレーキをいっぱいに引く。 着陸してみてびっくり! 焚き火が段々狭くなっていくではないか!滑走する 翼端すれすれのところで燃えている!慌てて方向を変え、転覆覚悟でブレーキ を引き切った、……やっと停止。 見れば左翼端とエンヂン前方で火が燃えている!慌てた顧さんが天蓋を開けて 顔を出し、「危ない!!火を消せ!!」(そういう意味だと思う) 大声で叫んだ。彼は急いで降りて、走り寄って来た人々に直ぐに消すよう言っ ていた。滑走路北端まで移動しエンヂンを止めた。 辺りは完全な夜の闇になっていた。人の顔も判らぬ程の暗さである。地面に降 りて顧さんと二人立った時、ホーッと一息ついて、やれやれ……と思った。 「良かったね〜、顧さん」 「アリガトウ、ヨクヤリマシタ……」 嬉しそうに手を握ってくれた。暗闇の兵士の中から指揮者らしい人が現れて、 顧さんと何か話していた。そこへ一台の馬車が走って来て目の前で止まった。 「大澄さん!大澄さん!」 大きな声で呼びながら寄って来た。見ると勝瑞君と佐藤君だ! 「なんだ〜、あんた達こんなところに居たのか?!」 ちょっと意外だった。 「爆音が聞こえたので外へ出てみたら、北のほうへ通り過ぎるようなので心配 した。そしたら急に旋回して降りて来たので、佐藤と陳さんと3人で馬車を飛 ばして来ました。でも良かったですね〜無事に着陸出来て!」 勝瑞君は一気に喋ると陳さんを紹介してくれた。日本語の分かる背の高い人で 政治委員だそうだ。格納庫が一つあったのでそこへ機体を入れて私達は馬車に 乗った。 ┌--------「注:政治委員」 八路軍の組織には、編成単位(師=師団・団=連隊・営=大隊・連=中隊)毎に 戦闘指揮の長と、その横に兵士の思想教育指導を担う政治委員がいる。各単位 で職名が異なる。委員、教導員、指導員、等。 └-------- 街の中の招待所に案内され夕食をご馳走になった。大変豪華な料理にびっくり しながら食べた。その後勝瑞君に案内されて宿舎に行く。そこで、深津という 若い人に会った。 初対面だが、修理廠出身とのこと。彼はマラリヤ熱に掛かり寝ていたが、今は 大分良くなったとか。彼らが何故こんな山奥にいるのか判らなかったが、敢え て尋ねはしなかった。兎に角一日も早く深津君の病気を直さねばならぬ。 ある日、彼があまり痒みを訴えるので、シャツを脱がしてみたら、物凄い数の シラミがいる。新聞紙を敷いてシャツをハタいて落としたら、なんと掌に山盛 りになる程出て来た。皆びっくりした。、、よくまあこんなにシラミを持って 我慢していたものだ……高熱で判らなかったのだろう。 翌日、私達の宿舎に日本人の女の人が二人やって来た。聞いてみると、勝瑞君 等が日本食が食べたいので、女の人を頼んで味噌汁を味わっているとのこと。 この二人は親娘であった。 二人の話によると、町の在留日本人の間にかなり動揺があり、瀋陽方面の日本 人はもう帰国してしまった、自分たちは放置されてしまった、これからどうな るか判らない……というデマが飛んでいるそうだ。 そこで、佐藤・勝瑞君等と相談の結果、私が居留民会に行って、私の知ってい る限りの状況を話し、皆の気持ちを落ち着かせようという事になった。陳政治 委員にこの事を話したら「それは良い事だ、行きなさい」と勧めてくれた。 翌日、勝瑞君の案内で居留民会に行く。事前連絡があったのか、大勢の人達が 集まっていた。ストーブの火を囲みながら、その人達は珍しげな顔付きで私を 見ていた。 「私は、昨日確かに瀋陽から来た者です」 と、先ず信用されるように口火をきり、向こう(瀋陽)の日本人もここと同じよ うに居留民会を作り帰国を待っているが、現状では帰れる見込みはないので、 それまでは何とか自活する方法を考えなければならぬ事を話した。1時間ぐら いいろいろと話したり聞かれたりして別れた。 私が又瀋陽に帰ることを知ってか、その後私のところへは「娘だけでも一緒に 連れて行って貰えませんか?」と相談を持ってくる人が2、3人いた。私は、 こんな時期は独り身のほうが動き易いので、そういう話は皆断った。 二日程したら、深津君の病状が回復したので引き揚げる事になった。 この時、食事を世話してくれていた親娘が、特別に、と同じ事を頼んできた。 私は親切になった事には礼を言い、しかし連れて帰る事はできないと断った。                   = この稿つづく:次の記事へ = ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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