┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃ ┃ ┃ |
![]()
八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
| ☆ 八路軍に参加(1) ――――――――――――――― 2006/11/03
出迎えの人が「何か食べたいでしょう」と、屋台に案内し寿司を食べさせてく
れた。その味は格別に旨かった。ご馳走になった後その人が、
「落着いたら○○にある司令部を訪ねてきて下さい。林部隊の人がいますよ」
言い残して去っていった。林部隊が八路軍にいる?? ちょっと考えたが今は
まず家に帰ることだ、と永田さんと2人喜び合って、とりあえずエミちゃんの
家へ向かった。
「まあ……帰って来られた!」おばさん達は、信じられんような顔して迎えて
くれた。
話を聞けば、Aさん親子はあの翌日に釈放されて帰ってきたらしい。それから
兄が訪ねてきて私の事情を知ったらしい。そしてそれから大分経ってから宇田
さんがこの家に来て事情を知り、八路軍司令官に頼んでくれたという経緯が分
かった。とにかくその晩はエミちゃんの家で、無事を祝って一杯飲んだ。
翌日、牢房で一緒だった老人の家を訪ねた。慢頭を食わせてくれた森さんだ。
森さんは金を使って先に釈放されていた。彼が出る時、兄の家に連絡を頼んで
あった。森さんは、貴方が出られたら私の家に来なさいと言ってくれていた。
森さんの家は大きかった。家には未だ満人の使用人がいた。喜んで迎えてくれ
早速兄に連絡してくれた。その晩兄が迎えに来てくれた。本当に嬉しかった。
森さんに礼をいって、夕方長安街の兄の家に帰った。同居の兵隊も喜んでくれ
た。聞けば、私が投獄されてから、兄はエミちゃんの家で事情を知った後、知
り合いの満人に頼んで金で釈放を図ったが、金をとられるばかりでなんともな
らなかったらしい。大変すまないと思った。改めて皆にお礼を言った。
けれどこの人達の中で、私の救出のために、金品があるのに誤魔化して協力し
なかったとかで、裏切りだ、出て行け、という内輪揉めがあって、兵隊が1人
追い出されて出ていった。
2、3日休養してから、救ってくれた宇田さんに会うため再び街に出た。教え
られた八路軍司令部を訪ねると、そこに前の四練部隊長、林さんが居た。お礼
を述べてから一別以来のお互いの行動を話し合った後、林さんから「直ぐには
日本に帰れそうにもないから、私達と一緒に八路軍に入って仕事をしないか」
と誘われた。
見れば生活には困らないようだし、知り合いも大勢いるし、何よりも助けられ
た恩は返さねばならないと参加を決意した。折角再会できた兄には申し訳ない
が、恩義には報いなければならない‥‥
その晩エミちゃんの家に寄り、兄への手紙を託した。夕方、宇田さんも来た。
「本当にありがとう!」と固く握手をした。エミちゃん一家も揃い、久しぶり
に和やかな夕食を過ごした。
明くる日、司令部に出かけたら飛行服と拳銃をくれた。驚いたが皆拳銃を持っ
ているし、門の衛兵は日本人が執銃して立っていた。
┌──────────
参軍したのは1945年10月の初めでした。当時の林部隊は日本軍の軍服を
着ており、八路軍の募集に応じた民間の航空関係者は私服のままで、ただ、皆
帽子だけは八路の軍帽 ▼ を被っていました。私は常時飛行服のままでした。
最近軍装が変わりました。 └──────────
通された部屋には、信楽准尉と高橋中尉が居た。部隊の者が殆ど居るようなの
でその経緯を訊いた。簡単にいうとこうだった。
ソ連侵攻前、四練(空中戦技と対B29迎撃部隊で、第四錬成飛行隊といい、
私は嘗てここで戦闘訓練を受けていた)は、奉天南の奉集堡飛行場へ移動し、
対ソ作戦を行っていて終戦を迎えた。
その後、部隊はソ連の武装解除を嫌い、全員南の開拓団を目指して脱出した。
途中の山中で八路軍の包囲を受け投降したが、航空部隊であることが分かると
八路軍の空軍建設を要請され、それを受けて参加したとのことである。
話が終わる頃林部隊長が来て「今から鉄西飛行場へ行くから一緒に来てくれ」
と自動車に乗せられた。日本人がウロウロ歩いている街の中を自動車に乗って
通るのは、何だか自分が日本人ではないような感じがした。
飛行場にはソ連の飛行機とソ連兵が居た。その中を歩いて以前満州航空が使用
していたスーパー旅客機の前に来た。 林さんが私に訊いた。
「大型機に乗ったことがあるか?」
「九七軽に乗ったことがあります」
「よし、それなら一度試乗してみよう」
フォッカー式スーパー機
ということで離着陸を1回練習した。暫く飛んでいなかったので勘が狂ったの
か、接地時に「高い!」と大声で注意されハッとした。その大きな声は今でも
覚えている。着陸してから
「それでいいから、今から営口まで飛んでくれ。向こうで人が待っているから
彼を連れて帰ってくれ」
との指令を受けた。
初めて乗る飛行機で、しかも地図も無しで行けという。不安であったが信頼さ
れた嬉しさもあって元気よく飛び上がり営口と思われる方角に機首を向けた。
ーーー海岸べりの飛行場、営口に着いたら1人の日本人が走り寄ってきた。
「ご苦労さんです、待っていました」見ると国民服に黒い長靴を履いている。
その人は飛行兵16期の‘勝瑞’と名乗った。さらに中国人が2人来た。元満
警にいた、日本語の話せる‘宋’さんという通訳と‘田[ティエン]’さんとい
う整備士であった。
早速本部のような建物に案内され、そこの八路軍に紹介されたくさんのご馳走
を頂いた。初めて食べる中国料理は非常に旨かった。食後、勝瑞君が格納庫へ
案内してくれた。そこにも日本人整備員が5、6人居た。元航空修理敞出身と
いう若い人達だった。
午後、勝瑞君を乗せて鉄西に戻る。本部に帰る途中、エミちゃんの家に寄って
お土産の砂糖をあげた。
2、3日経ってまた営口に飛ぶ。勝瑞君も同行する。ところが営口の手前10
分ぐらいの所で、水平ボランのハンドルが外れ、突然機体が上向きになり危う
く失速しそうになった。勝瑞君に操縦を任せ、外れたボランのハンドルを直そ
うとやってみたが駄目だった。
仕方なく、二人で力一杯操縦桿を抑えながら飛行を続け、やっとのことで営口
に着陸した。降りてから早速調べたら、ハンドルのノックが外れ落ちていただ
けで簡単に修理できた。
翌日、勝瑞君は修復した九九高練を(奉天)奉集堡へ空輸していった。

九九式高等練習機⇒
右の写真は中国軍に接収された後のもので、
上は中華民国=国民党軍)のマークになっている。
下は1947年から共産党軍のマークに換わっている。
|
= この稿つづく:次の記事へ =
┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘
└→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
|