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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
☆ 地下牢暮らし ――――――――――――――――― 2006/10/27 これは後で非常に悪い結果をもたらした。私と永田さん2人、Aさんと子供2 人は、有無をいわせず縛られたまま大車に乗せられ公安局に連行されて、Aさ ん家族とは別の地下牢に入れられた。 あっという間の出来事で何も考える余裕はなかった、どこでどうなったのか? ……全く狐につままれるとはこの事だ。 太い丸太で囲まれた牢は薄暗く板張りであった。牢内には既に7、8人の男が 入っていた。気持ちが落ち着いてから辺りを見回したら、皆日本人だった。私 と永田さん(兄の家の同居人)は部屋の隅のほうに座った。 「なんで捕まったのかね……」年輩の1人が尋ねてきた。 「いや、サッパリ分からんですわ…朝起きたところを突然襲われましてね…」 「皆さんはどうしてですか?」と聞き返したが、私らと同じように訳分からず に連れてこられたと言っていたが本当の事は分からない。 ここは、元奉天警察署だったらしい。名は公安局となっているが所属がどこな のかハッキリしないらしい。当時は八路軍が支配していたが、それとは関係無 しに、元の警察の満人警官が独自に公安局として動いているが、決まった給与 はなく、八路軍の支持と賄賂で運営しているとか牢の先輩が教えてくれた。 翌日呼び出されて取り調べを受けた。「何もしていない」と突っ張ったが聞き 入れられなかった。それから何日かは取り調べがなかった。生まれて初めての 牢獄、映画で見た事はあるが、本当に自分がこんな所に入れられるとは…余計 に惨めさを感じた。 はじめは全然食べられなかった高梁[コウリャン]の残飯も少しずつ食べられる ようになった。アルミの弁当箱にコウリャンの残飯を詰め、その上に小指の頭 程の塩がのっているだけ。箸がないので、弁当箱の員数を誤魔化してアルミを 手で引き裂き、スプーンみたいなものを作った。これも牢内の先輩が教えてく れた。 1週間程経ったら、弁当箱一杯をペロリと食べられるようになった。しかし、 これだけでは栄養失調になってしまうというので、皆は交代で掃除当番に出て 炊事場に落ちている野菜のヘタを拾ってきて分け合って食べた。時には人参の 大きな切れ端を見つけて大喜びした事もある。 食べ物だけが辛いのではない。毎晩のように見せつけられる拷問には寒気がし た。ーーー私達の牢の目の前で、見せつけるかのようにコンクリートの廊下に 毎晩1人ずつ連れ出して、バットで殴る、水道のホースを口にあてがい無理や り水を飲ます水攻め、ベルトや鞭で叩く等、正に阿鼻叫喚の凄惨さであった。 やられているのが日本人なのか満人なのかは直ぐ分かる。日本人は悲鳴をあげ ない、唸るだけ。満人は大声で悲鳴を上げる。民族の違いかなと思った。 ある日、元陸軍曹長だという男が、目の前でバットが折れる程殴られて全身紫 色に腫れあがり、牢内に返された時は虫の息、10分程で息絶えた。看守を呼 んで引き取らせたが、人間の死を目の前に見たのはこれが初めて、恐怖感はな かったが、只唖然として「為すことを知らず」……といった状態であった。 2、3日毎に看守が降りてきて、名前を呼び連れ出していく。また戻ってくる 者もおれば戻ってこない者もいる。その度に牢内の誰かが「開放[口+馬]?カ イファンマ=釈放か?」と満語で訊いた。とにかく皆は1日も早く釈放された いのだ。 食べること以外に何もすることはない。上の窓から差し込んでくる陽の光を、 床板の印で今は何時頃、もうすぐ昼飯だ、と人々はそれを待つ。この時程食べ ることのうれしさを味わったことはない。皆で食べ物の話をよくするのも、や はり人間食べることが一番大切だからなんだと思い知らされた。 食べ物の話が盛んなある日、牢内の1人の年輩者が、「そんなら饅頭の1つで も食べましょうか…」と言ったと思ったら、「おい、おい」と看守を呼んで何 か話し、金を渡した。看守は黙って去っていった。 それから30分程経ったら、先程の看守が人目を憚るように近づいて来て格子 枠棒の間からそーっと包みを置いて足早に立ち去った。頼んだ人はニヤーッと 笑い「さあ、みんな1つずつ食べなさいよ」と皆に配った。 牢内の人達は呆然とその人を見ていた。太り気味のその人は、前から別に困っ た様子もなく落ち着いた素振りであった。……地獄の沙汰も金次第……ですよ といわんばかりの顔つきである。な〜る程、小説を地で見たような気がした。 昼間、陽の明るい時にはシラミ取りをやる。1人だけ取っても駄目だから皆で 一斉にやる。ーーーシャツを脱いでみると居るわ居るわ、何十 何百と、取っ ても取っても減らない。その筈で、毎晩与えられる毛布がシラミの巣になって いるからキリがないのだ。だけど皆は飽きもせず毎日シラミ取りをする。つま るところ、皆の退屈凌ぎの日課なのだ。 こんな毎日が1ヶ月ほど続いたある日、突然私と永田さんは呼び出された…… 私は直感した……いよいよ前歴がバレて銃殺か?……恐怖はなかったが黙って 看守の後に着いていったーーー。 そこは取調室ではなく、なにかエライさんの部屋だった。中に入ったら椅子に 座らされた。「おや、珍しいな、、こんなところに座らされるのは?」と思っ た。正面の机に公安局長らしいエライ人が腰掛け、その横に「八路」と書かれ た赤い腕章を付けた軍人が立っていた。通訳を通じて、先ずその人が私に質問 した。 「あなたは飛行機の操縦が出来るのか?」 「…………………?!」一瞬戸惑った、どう返事したらいいのか? やっぱり 軍人だったことがバレたのか?! 「いや、心配しなくていい……あなたは宇田という人を知っているか?」 「知っています」私はそれだけ答えた。 「宇田さんが、我が軍の奉天司令官にあなたの釈放をお願いされた……あなた がもし我が軍に飛行技術を提供し、航空隊の建設に協力するならば、あなたの 生命財産は保証します」 と、いうことだ。 これを聞いて私はホーッとした。乾田に慈雨というか、地獄に仏というか、俺 は助かる!と思った。宇田さんが助けてくれたのだ・・・・ 真相が分かって気が落ち着いた。永田さんと顔を見合わせて「よかった」と目 で合図した。命が助かるのなら……いや、これから食っていけるのなら何だっ ていいだろう。「やります!」その軍人に答えた。 私達はその場で釈放された。裸足のまま正面玄関に出た。そこには1人の日本 人が待っていた。誰だか分からないが私達に付き添って外へ案内してくれた。 外の太陽の光が眩しかった。急に明るい所へ出て目がチカチカした。それでも やれやれ助かった!と大きく深呼吸をした。                   = この稿つづく:次の記事へ = ┏━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ ┃┃ 記事に対するお便りあれこれ。 ┗━┛ ┌──────────「白猫さん」男性@五十代@会社員@愛知 大澄様、 この前の京都交流会でご紹介いただいたので、早速読ませていただきました。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。 └────────── ┌──────────「大澄国一さんから」 お読み頂き、ありがとう御座いました。ニュースよりは具体的に書いておりま す。私の日中友好の原点です。今後も宜しく! └────────── ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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