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八路空軍従軍記 ―――――――― by 大澄国一さん
☆ 敗戦直後(2) ――――――――――――――――― 2006/10/06 飛び立って機首を錦州へ向けた。来るときよりぐっと高度を低く飛び、ソ連機 に発見されないよう、前後左右を鵜の目鷹の目で警戒しながら飛んだ。錦州が 見えたときはホーッとした。機から下りたら皆が迎えに来てくれた。 「よく帰ったな……小早川曹長は未だ帰ってないぞ」不安そうに言った。私は ヒョットしたらやられたのでは……と思った。不吉な予感は的中した。彼はそ れから何日経っても帰って来なかった。俺は運がいいな…自分でそう思った。 その後暫くして、街の中は不穏のため、部隊の家族は全員部隊内の兵舎に集め て保護した。家族が来て1週間ぐらい経った頃、紫垣准尉がそーっと私に耳打 ちした。「脱走しよう」ということだ。彼の計画によると、航空廠の格納庫外 においてある中島式AT旅客機を盗み、日本まで飛ぼうというものだ。 エンヂン始動には、運転手に金をやり始動車を動かす。同行者は私と紫垣准尉 と奥さん、それに整備曹長の4人であった。 決行前夜、私は秘かに飛行場に行きAT旅客機の翼の上に上がり燃料タンクを 調べた。満タンである。准尉に知らせて時を待った。が、憎むべし……夜中か ら激しい雷雨となり中止。……脱出の夢は消えた…… その2日後、航空廠の野崎准尉が九七軽を持ち出し、夫人を乗せて脱走したこ とを聞いた。九七軽では、航続距離からして九州までがギリギリいっぱいのと ころだ。うまく行けるかどうか?ーーそれにしても私達は運がないと思った。 その頃の部隊内の空気は、ソ連の捕虜となってシベリアへ行くか、それとも何 とか脱走して日本に向かうか、或いは漁船を雇って朝鮮まで行けば何とかなる だろう……色々な話が飛び交って、部隊内の人々は全く不安な毎日であった。 ソ連軍が未だ武装解除に来ない……街の暴動が日増しに増えている。こういう 状況下で何一つハッキリしたことがないのである。食糧も問題になってきた。 どうしたらいいのか分からんのである。依然部隊長からは何の指示もない。 そうした或る日(8月末だったと思う)、私の運命を変える命令が出された。 部隊長命令で、大連まで飛ぶことになった。大連には第二航空軍司令部がある ので、そこまで通訳の将校を乗せて武装解除の打ち合わせに行くという事らし い。私は内心、今度こそ最後かも知れない、恐らく帰って来られないだろうと 思った。それなら私物は全部持って行こうと、落下傘袋にトランクと他の品物 を全部入れた。それを見かけた紫垣准尉が、 「大澄、お前逃げる気か?」 と訊いた。 「いや、逃げるんじゃないけれど……何だかもう帰れそうにもない気がするの で、私物を持って行きます」 「うーん、そうかもしれんな〜、でも何とか帰って来いよ、皆一緒に行動しよ うぜ!」 とは言われても、明日が分からない今の情況では、確かなことは一つもない。 ムシが知らせたのか、この時だけはみんな飛行場に出てきて見送ってくれた。 別れの手を振って滑走路を飛び出した。天気晴朗、無風、視界良好、私は一路 大連目指して飛んだ。視界がよいので発見されやすい。ソ連機を警戒して低空 300mぐらいで海岸線に沿って飛ぶ。襲われたら直ぐ不時着できるように考 えた。 遼東半島の西側を、隠れるように飛んだ。1時間あまりで半島の突端が見えて きた。山の東側は大連周水子飛行場だ。機首を東にとって山の峰すれすれ飛び 越え飛行場の様子を窺う。ソ連機が飛び上がってきたらどうしよう? 今度は逃げても直ぐ追いつかれる。ここまで来たのだからアッサリ降りてしま うか……?など考えながら遠巻きに半周する。ソ連機は見当たらない、滑走路 には何もない。……大丈夫だ……と判断して直ちに降下着陸する。 人影はない。そのまま格納庫のほうへ滑走。見ると向こう前方で手を振って合 図している者が立っている。誘導されるまま滑走して停止、ヒョイと下の人を 見てびっくり……ソ連兵だ!!一瞬ドキッとなった、体中の空気がいっぺんに 抜けたようだ。 ……もう仕方ない、これで一巻の終わりだ。……覚悟を決めて操縦席から立ち 上がった。 後席の少尉も黙って降りた。そこへ1台のジープが走ってきた。車から2人の ソ連兵が降りて近づいて来た。銃は持っていない。その中の1人が日本語で、 「持ち物を渡して下さい。あなたたちを武装解除します」私は地図と拳銃を差 し出した。将校も同じようにした。彼は軍服のままだったから直ぐ将校と分か る。顔は青ざめて緊張していた。 次いで私は落下傘を外し後席から私の荷物を降ろした。 「これだけです……」 私は案外落ち着いて話せた。通訳が 「どうぞ乗って下さい」 と、ジープを指差した。無言でジープに乗った。そして飛行指揮所らしい建物 の中に連れて行かれた。ここで将校とは別々の部屋に入れられた。10分程待 たされたが、その間誰も来なかった。私は一人でしみじみと敗戦……捕虜、と いう実感を味わっていた。 これで全て終わりだ……これからは自分の意志では動けないだろう。「なるよ うにしかならんわ」という空虚な感覚しかなかった。けれど、危険とか、恐怖 とかは全然感じなかった。 やがてソ連将校二人と通訳が来た。机の前に座らされて色々なことを質問され た、最もしつこく訊かれたのは、特攻隊員ではないかということだった。 「私は戦闘には一度も参加していない、専ら教育飛行隊勤務である」事を強調 した。二人のソ連将校は互いに話し合いながら何かを書いていたが、やがて通 訳を通じて。 「良く分かった、暫く待っていて下さい」と言い残して出て行った。 通訳だ けが直ぐ戻ってきて「もう用はなくなった。ここにいる必要はないからどこへ でも自由に行きなさい」と釈放を告げてくれた。 「そう言われても、、私は初めてここに来たのだから、地理も分からないし、 行くところもないのだが……」と困った返事をした。通訳もそばに来て話しか けてきた。そして色々と雑談した。途中で果物や煙草を持ってきてくれた。 優しい通訳だな……話の様子では白系ロシア人らしい、話の途中で一人の兵士 が私の荷物と落下傘を持ってきた。「お前の物だ、持って行け」と言う。私は トランクだけ受け取り落下傘は要らないと返した。 「一緒に来た将校はどうなりました?…」 通訳に訊いた。 「彼は降伏文書を持っていたので、未だ調べる必要がある」 と答えたきりでそれ以上は言わなかった。 「釈放は嬉しいが行くところがない。とにかく街まで送ってくれないか?日本 人が居るところまで」と頼んだ、通訳は出て行って暫くして戻ってきて、 「それなら関東州庁まで送るから、それからは向こうで相談しなさい」という ことになり、ジープで関東州庁に送られた。 そこで州庁次官を紹介され、とりあえずその晩は次官の自宅に泊めてもらうこ とになった。ここで次官と相談したら、金州に航空軍司令部があるからそこに 行ったらどうですか、ということになった。 民間人の家に長く泊まっても居られないので、明くる朝、用意してくれた満人 の大車に乗って金州まで送ってもらった。                   = この稿つづく:次の記事へ = ┌―――――――――――――――――――――――――――――――――┘ └→ 感想や激励をよろしくお願いいたします。
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