1937年(昭和12)8月22日、中国共産党は抗日のための国共合作の結果
27年創設の紅軍を国民革命軍に改編し、そのうち、華北主力を第八路軍とし
た。一般通称は「八路」、国民政府軍編成では第18集団軍に属する。
武器・弾薬・資金は国民政府が提供し、日本軍の背後に出て遊撃戦を展開する
というのが基本構想であった。また進出各地に人民をして根拠地を建設し、持
久戦も展開できる「人民戦争戦略」を行う。
八路軍は、1軍編成(軍長は朱徳、副軍長彭徳懐)で、第115師(師長林彪)、
第120師(師長賀龍)、第129師(師長劉伯承)からなり、当初兵力は約4万
5000人であった。
共産党の根拠地だった陝甘寧辺区から出撃し、平型関で勝利したのを手始めに
華北を経て、山西、山東まで進出し、晋察冀(山西・河北・察哈爾)、晋冀魯予
(山西・山東・河北・河南)、晋綏(山西・遠綏)などの根拠地を築いた。
40年には兵力40万人、支配人口は1億人を越えた。この時点で、抗日作戦
「百団大戦」を展開したが、日本軍の反攻と国民軍との衝突などで勢力を半減
した。そこで、三風整頓運動、生産自救、地方軍化を行い、戦略的には戦争・
生産・工作、戦術的には地下道戦、地雷戦、麻雀戦を展開した(麻雀戦とは小
部隊(雀)を出没させるゲリラ戦法のこと)。
45年には、兵力310万人(正規軍は90万人)に達し、19の根拠地を支配
するまでになる。日本軍の敗退後、その武器を接収するなどして軍備を整え、
46年国共内戦勃発で、華北、華東、西北、中原の各野戦軍に再編成して展開
し、47年10月に中国人民解放軍となった。
(以上
「聚史苑」日中・太平洋戦争時代年表1937年8月22日より)
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= この稿つづく: