日本のお姉さんのアジア! ――― by 日本のお姉さん
☆ 独立国タイと日本人 ―――――――――――――― 2007/09/10

タイの歴史は以外に古い。紀元前4000年までには、初期の青銅器文明の中
心地として、稲作を中心とした集団が今のタイに出現していたそうだ。

昔のタイは今の人種とは違い、マレー人、モン族、クメール人などで、今のタ
イ人は、言語からみて6世紀〜7世紀にチャイナ南部から移住した人々である
可能性が高いそうだ。

今のタイは、1238年に、スコータイでクメールを倒した民族で、1350
年に出現したとタイ人は考えている。その後のアユタヤ王朝の時期は、タイは
相当繁栄していた。上座部仏教を公式の宗教として独自の法律を持っていた。

日本人の山田長政は、江戸時代前期、徳川二代目将軍秀忠時代の駿河生まれの
人で、27歳の時に商人の船に乗ってシャム(現タイ)に行き、アユタヤ王朝の
ソンタム王の元で貿易をしながら日本人義勇隊の隊長として、カンボジア、安
南、トンキンと戦って活躍し高い地位についた。

山田長政は、ソンタム王の死後、後継者である王子を殺した権力者にリゴール
州に追いやられ、バタニー国と戦うことになった。権力者の息のかかった医者
に、戦争中に受けた傷口に毒を塗られて暗殺された。40歳だった。

その後、日本人町も、権力者が仕向けたアラビア人、タイ族、華僑の軍に滅ぼ
された。逃げ出した日本人はその後シャムに戻ったが、寛永12(1935)年
鎖国令のために日本との関係を絶たれて、現地人との混血が進んで消滅した。

アユタヤは400年以上続いたが、ビルマ軍によって破滅し、国は6つに分か
れたが、その後タークシン将軍が、トンブリーを首都としてタイ王国を再統合
して、1769年にトンブリー王朝の王となった。

タークシン将軍が精神の病を患い殺害され、1782年、彼に仕えていたチャ
クリがトンブリーの対岸バンコクを首都として、チャクリ王朝を築いた。この
王朝は現在も継続している王朝で、彼はラーマ1世として、チャクリー王朝の
最初の王となった。現在の王はラーマ9世(プーミポン・アドゥンラヤデート)
だ。

1826年にイギリスがビルマを侵略した年に、タイ王国はイギリスと友好通
商条約を結んだ。1833年にはアメリカもタイ王国と外交をはじめた。タイ
では、モンクット王(ラーマ4世)と息子チュラーロンコーン王(ラーマ5世)の
2人が、巧みな外交で西洋人による植民地支配を免れた。

イギリスの植民地マレー、シンガポール、ビルマと、フランスの植民地カンボ
ジア、ラオス、ベトナムの緩衝地帯として、タイは東南アジアで唯一、独立を
保持した。

1882年には、タイは日本と(明治15年)国交を樹立している。

映画「王様と私」は、当時モンクット王(ラーマ4世)が息子(ラーマ5世)のた
めに英語の教師としてインド生まれのアンナ・レオノーウェンズ女史を雇った
ことを元に作られた小説をミュージカル仕立ての映画にしたもので、「Shall 
we dance?」はミュージカル映画「王様と私」の主題だ。

タイでは王様に対する不敬罪があり、「王様と私」は王様を侮辱する映画だと
して上演禁止となっている。

チュラーロンコーン王が王位についてから奴隷制度を廃止したのは、アンナ・
レオノーウェンズ女史が小説「アンクル・トムの小屋」を教えたからだとなっ
ているが、時代の流れでそうなったのだろうし、王様と女史はそんなに仲がよ
くはなかったそうだ。アンナ・レオノーウェンズ女史の息子は王族の娘と結婚
している。

1932年には、人民党によるクーデターでタイの政体を絶対君主制から立憲
君主制へと移行させた。タイは昔からクーデターが多く起こる国であるが、王
室を中心に国民が団結しているので、人々はクーデターが起きてもあまり動じ
ない。

ピブーンソンクラーム首相は、1939年9月にヨーロッパで第二次世界大戦
が勃発した直後に中立宣言を出していた。

タイは、華僑に、華僑学校を閉じてタイ語の教育を受けさせ、華僑の入国を年
間100人に決め、外国語看板に重税を課し、華僑が理髪店やタクシー運転を
しないように決め、華僑の二世には自動的にタイ国籍を与えた。

1949年5月11日に、シャムというサンスクリット語の国名を自由(タイ)
な国という意味のタイに変えた。

ABCD包囲網で日本が苦しんでいる時に、生ゴムと綿を日本に提供してくれ
た。アメリカが日本の在外資産凍結をしたときは、タイは日本に多額の金を貸
し付けてくれた。満洲国を承認した国で、リットン報告の後、ジュネーブの国
際連盟の対日非難決議でも、唯一棄権して日本に好意を示してくれた国だ。

1940年に、日本軍が仏印での戦いのためにタイを通過させてくれるように
頼むと、直ぐにピブーンソンクラームは許可した。

ピブーンソンクラーム首相は、蒋介石にも「同じアジア人として日本と手を結
び、帝国主義的米英を駆逐するべきである」と電報も打ってくれた人物で、日
本を理解していた。

独立したビルマ、フィリピンを真っ先に承認したのもタイだった。

タイはフランスやイギリスに領土を奪われていたので、1940年9月10日
に、隣国の仏領インドシナと対仏国境紛争を開始した。1940年1月に日本
の仲介により講和を締結し、仏印の一部を自国領に併合した。

1941年12月7日に、日本軍がマレー半島やビルマへ向かうためタイに上
陸した際も、ピブーンソンクラーム首相はその場にいなかったが、戻って直ぐ
に通過を許可してくれた。

1941年12月21日には日泰攻守同盟条約を締結し、タイは日本の同盟国
となった。東条英機は、タイがフランス、イギリスに奪われた土地をタイに返
した。

1942年1月8日、タイが日本の味方をしたというので、タイの地方都市も
米・英空軍の空襲を受けるようになり、25日にはタイも米・英に戦線布告を
して参戦することになった。

1945年8月に日本が戦争に負けると、内閣の官僚のルワン・プラディット
マヌータム(本名プリーディー・パノムヨン、摂政で後の首相)が、「タイの宣
戦布告は無効である」と宣言した。

こうしてタイは、連合国による敗戦国としての裁きを免れ、国際連合での敵国
条項にその名を連ねることもなかった。日本が負けると、かつてフランス、イ
ギリスから取り戻した土地はまた奪われてしまい、戦後のドサクサに侵略して
きたフランス軍を、国際連盟に訴えて撤退させるなど、実に外交が上手い。

日本が戦争に負けた時は、タイは日本軍の避難場所となった。

戦後、タイはイギリスに支払う賠償金で大変だったようだ。また、日本がタイ
に借りた20億バーツ(当時の換算で10億ドル以上)の巨額な日本側の借金を
日本が敗戦して焼け野原になっているのをみて同情してくれて、40分の1の
2500万ドルにまで値引きしてくれたのだった。

一時期、タイから亡命者として日本にきていたことのあるサラサス氏も、マッ
カーサーに会って「日本をいじめるのは間違っている。将来アメリカはソ連と
いう共産国と戦うことになる。そのとき力になるのは日本である。日本をいじ
める事は、アメリカの為にもアジアの為にもならない」と進言してくれたそう
だ。
またサラサス氏は、戦後、日本の子供が象を動物園に欲しがっているのを知っ
て、象の花子と米10トンを私費で寄贈してくれた。

アーナンタ・マヒドン王は、1946年に、公式見解としては銃の手入れ中の
暴発事故で死亡、プーミポン・アドゥンラヤデート(ラーマ9世)が即位した。
ラーマ9世は、日本の戦争中から敗北以降も、米英を支持した「自由タイ」と
いうタイ人の団体の支援を受けて、アメリカと非常に親密な関係を保った。

タイは、冷戦期は、ビルマ、ベトナム、カンボジアおよびラオスのような近隣
諸国の共産革命に脅かされた。タイは共産主義の防波堤としてアメリカの支援
を受けた。

ベトナム戦争ではアメリカを支援して、ラオスおよびベトナムへの派兵を行い
北爆のための空軍基地の開設も許可した。またタイは、米軍の補給・休養のた
めの後方基地を提供した。

ラーマ9世期のタイは立憲君主政体であったが、それは名目上で、実は軍政で
あった。1992年の民主選挙以来、タイは民主主義国家となった。

タイは東南アジア諸国連合(ASEAN)の積極的な参加国である。

タイは、日本と昔から付き合いのある国で、日本が物も金も無いときに必要な
物を揃えて出してくれた国なのだ。日本人は、タイが日本にしてくれたことを
覚えているのだろうか?覚えていないのなら、それはなぜだろうか?

戦争はずっと昔の出来事だから関係ない、嫌な思い出だから早く忘れたいとい
う態度では当時の状況を把握できずに、周りの国が都合のよいように作り出し
た「周りの国目線の歴史」に日本国民が振り回されることになるのではないだ
ろうか?

日本人が、戦争について語らない、または、何が起こったのか知ろうとしない
のなら、タイのような戦前から戦後までずっと日本によくしてくれた国のこと
も忘れてしまうだろう。

アジアの国々の問題を日本とは係わり合いのないことだと思い、以前受けた恩
義も忘れて、無礼な態度で生きる日本人を大量生産してしまうことになるだろ
う。その恩を忘れた無関心な態度は、日本人らしさを失くした行いだと思う。

戦争は嫌だ、戦争はよくない、戦争が起こらないようにしなければならないと
口ずさむだけでは世界は平和にならないし、何も始まらない。わたしたち日本
人は、歴史から学んで成長しているのだろうか。

外国の外交の上手さ、情報戦の上手さ、国益のために外国と駆け引きをする方
法などを学んできているのだろうか――――。

                        = この稿おわり =
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└────────── ┌──────────「hideおじさん」 私がタイを訪れていたときは、プータローさんが仰るほど日本人に対して友好 的ではないような態度とは思えませんでした。今は、仰られるように、あまり 友好的ではないこと、仕事仲間からも聞きます。ただ、日本のお姉さんが最初 に仰られたように、「日本人のおじさんの品行」で現状を全て説明するのは的 外れと思います。 同じく日本のお姉さんが仰られていましたが、こと「品性」についていえば、 外国人男性の行いのほうがよっぽど酷いです。――――代金を踏み倒す、女性 を、それこそモノ扱いする、等々やりたい放題の人も多いです。 その点日本人は、馬鹿が付くぐらい言われるままにお金を払う、チップと称し て余計に心づけを渡す、すぐ本気になる、等々真面目さが裏目に出てるのかも しれません。―――― 一方で、何でもネゴすればいいと勘違いしてか、現地 のシステムを無視して、それで英雄気分に浸っている日本人男性もいるようで す。ーーーこんな「品性」では尊敬もされませんねーーー。 日本では、タイで日本人男性がろくでもないことをやっているとニュースで見 られますが、現地でも、日本人男性の品行についてニュースが多く見られるそ うです。ーーー絶対的に欧米人のほうが遊んでトラブルを起こしているにも係 らずです。 一説によると、欧米人の悪行のスケープゴートにされているのが日本人ともい われているそうです。----真偽のほどは定かではありませんが、噂はあるみた いです----- 欧米人が「日本人は遊び方を知らない」とよく言いますが、「遊び」と割り切 ると、欧米人のほうがよいのかもしれません。私も男なので、タイで遊んだこ とがないとは言いませんが、日本人は「ちょろいもんだ」というのを聞いたこ とがあります。小バカにしているんでしょうね――――。   そんなことも影響しているかもしれませんが、それより、日本の企業がタイに 進出するようになってから雰囲気が変わってきたように思います。欧米の企業 は、遊びと同じようにビジネスも割り切っていて、自分のやり方を指導して、 殆ど現地人に任せる。――――それで利益を生まなければ撤退する。 日本企業はというと、クソ真面目に技術指導から物づくりの哲学まで叩き込も うとする、時間にはうるさい。当然現地人の文化というか生活リズムを無視し たやり方、、に対して抵抗があるのでは?と思っております。 欧米企業は、(いろいろありますが)手順だけ教えて、タイ人のやり方に口出し しない、、それでいてお金はくれる。――――日本は、お金をくれるけれども あれこれとうるさい。 タイ人として、どちらが有難いかというと、さて、どちらを選択するのでしょ うかね? └────────── ┌──────────「プータローさん」 博識なHIDEおじさんや日本のお姉さんには、いろいろ教えていただいて感謝! 最近東南アジアを旅することが多いのですが、この地域の発展ぶりはめざまし く、日本のマスコミは全然追いついていませんね! ――「シンガポール」は日本の技術や観光客には興味を持っているでしょうが 他の面ではもう完全に日本を凌駕しています。りー・クアンユーの息子のリー ・シェンロン首相をはじめ、欧米に留学した若い官僚たちが、社会インフラ面 を充実させ、世界の最先端をいっています。 20年以上前はルック・イーストで日本に好意的だったかも知れませんが、今 は街の中心地に日本軍の虐殺記念碑などがあって、日本人は居心地が悪い思い をする! なんといっても華人の国だけに、中国やアメリカ、EUのほうを向いて、もう 日本は目じゃないみたい!(そして安ホテルがなくてホテル代が高い。ここの 高島屋デパート地下2階の食料品とイートインは、東南アジアでも際立ってい ますが・・・・・・・・) でも、まだ庶民クラスの民度(マナー)はもう一つで、政府は口うるさく指導し ています。そにせいか、移民してオーストラリアなどへ出て行く連中も少なく ない。あまり管理社会になるのもどうかという例ですね。 ――「マレーシア」は、クアラ・ルンプールなどは今は東京よりも道路インフ ラがいいと現地日本人の評判です。 そして、最近安倍首相が240人の経済人を引き連れて訪問したように、イス ラム金融のメッカで中東からの観光客やオイル・マネーで潤っています。今ま で地味な印象でしたが、脚光を浴び始めています。 ーーー東南アジアにロングステイしようと、マレーシアとタイの手続きを調べ てみたのですが雲泥の差でした。 マレーシアは、ロングステイの日本人でもマンションを2部屋買えますし、車 社会なので、日本から車を持ち込んでも無税にしてくれています。いろんな面 でおっとりしていて、ロングステイし易いように親切に便宜をはかってくれて います。----これと、実際にビザをくれるかどうかは別ですが。 ところがタイときたら! 家やマンションを日本人は買えませんし、手続き一般が細かいところまで小う るさいのなんのって!――――これはタイ式のやりかたではないと思うので、 日本人がやっていることへの仕返しでしょうか? まるで日本人が仕事でタイ人をいじめている敵を討っているみたいです。ビザ なしでの滞在も、以前は3ヶ月だったのに今は1ヶ月です。――――タイはも う日本人に対して必ずしも友好的ではありません。出入国の空港でも不愉快な 経験を2〜3回しましたね。一般のタイ人にもこういう認識は広まっていると みています。 日本は、国際政治や外交は音痴といっていいほどダメだが、コンピューター関 係も大きな視点に立った戦略的な面はダメだが“精密な技術”には強い。「木 を見て森を見ず」もう少し現地の人の感情に配慮しつつ、親善に努めてはいか がでしょうか?能率ばかりに気をとられていると、もっと大切なものを見落と すのではないでしょうか? はからずもタイで、日本人の特性が良くも悪くもでてしまったようです。 東南アジアの人々はおおらかです。そしてそれぞれ自分達流のやりかたがあり ます。日本人のくそまじめで、仕事には奴隷かロボットのように働く面、悪く いえばゆとりがないところはなかなか理解されにくいでしょう。 東南アジアが発展するに従い、日本のプレズンスは薄れています。日本もあら ゆる面でガラガラポンする時期に来ているのですね。そして勇敢に世界に出て 行く人達(このメルマガに書き込みをしているような)がたくさん出てくるとい いですね。 └────────── ┌──────────「hideおじさん」 正直いって、私は戦後の日本人が東南アジアで尊敬されてきたのかというと、 ちょっと疑問に思っています。――――彼らが尊敬していた日本人、その多く は戦前の日本人ではなかったか?という感じをどうしても払拭できません。 戦後、確かに「ルック・イースト」という掛け声はありましたが、それは経済 的に飛躍した日本を見習おうということであって、「日本人」を見習おうとい うこととはちょっと違うのではないかな?という感じがします。 昔と比べると東南アジア諸国の生活レベルは格段に上がっています。紆余曲折 はあれども、彼らの経済発展は目に見えており、日本を意識せぬともという自 信も生まれてきているのではと思います。その経済発展に日本が何らかの役割 を果たしてきたのならよいのですが...。 いったい何が戦前と戦後と違うのかな?と考えて場合、極論かもしれませんが 地元の人と同じものを食べ、同じものを飲み、地に着いた生活をしている、い わゆる現地人を理解しようとする日本人が、戦前のほうが多かったのではない かな?と思います。 中途半端に欧米人のような振る舞いだったり、変なプライドを持ったりしてい ないでしょうか?ーーーその点華僑は上手いと思います。東南アジアからして みれば、経済には学ぶことはあるけれども、人間として学ぶものが今の日本人 にあるかどうか疑問です。 別に好まれたり、尊敬されたいがためにするのではなく、嫌われてもその国の ためになることを信じて行動することが、将来日本のためにもなるのではない のでしょうか。 └────────── ┌──────────「プータローさん」 ーーー少し舌足らずだったと思うので付け加えます。 「尊敬されていない」というよりは、「好かれていない、好感をもたれていな い」というほうが正しいかも――――。私は外国を旅する時は経済的宿=安ホ テル)に泊まり、短くても2〜3ヶ月、長ければ1年とか半年滞在します。 移動はバスを使うことが多い(=バックパッカーですね)のですが、20年前と 比べてそう感じます。----EU特に英国などはとても好感をもたれていると感 じます。 ちょうど、10月1日(月)の日本経済新聞の9面に「経営の視点」という題で 太田泰彦編集委員の記事があったので引用させていただきますと、 ┌-------- ASEAN(東南アジア諸国連合)の一角で、背筋が寒くなる話を聞いた。 「日本は残り物の市場。食のゴミ箱と呼ぶ人もいる」ーーー発言の主は食品加 工会社の経営者。日本に冷凍エビを輸出している。「日本人自身は誤解してい るようだが、日本の安全基準は国際的にみて極めて甘い」 この地元企業は、厳格に検査した品をEU(欧州連合)と米国市場に回し、それ 以外を日本に売るのだという。 └-------- さらに続く。 ┌-------- 例えば醤油。発ガン性の疑いのある3−MCPDという化学物質をEUが真っ先に 0.02ppm以内と規制したが、日本は1ppmの目安だけ。アジア企業は 欧米にも顧客を抱える以上、厳しいEU基準を満たすしかない。 ・・・日本の基準制度は、アジアの同胞に見向きもされないのが現実である。 食品安全だけではない。環境基準、工業規格、会計基準でもEUの影響力は圧 倒的だ。工業化を急ぐ途上国の政府や企業が一斉にEUを見習う。 「安全な国ニッポン。だが、それは日本国内だけで通用する甘い幻想ではない のか」 └-------- わたしも、まだ日本人が気がつかないだけで、現実はこうなりつつあると思い ます。 〜〜〜 パタヤビーチからバンコックへのバス。 偶然隣あわせになったイギリス人の男の子と「座席は決まってないみたいね」 とおしゃべりしていたら、やがて女の車掌がやってきて「お前の席は後ろだ」 という。「何の番号もないよ」というと、ビニールシートにマジックインクで 手書きされた“ほとんど消えそうな数字”を指して「これだ」という。 イギリス人の男の子には何もいわずに運転手の後ろの席に座らせている。 周りを見回すと、1番後列にはロシアCIS諸国から来た数人が詰め込まれて いて(たしかベラルーシ、モルドバ)、その前にはイスラエル人、=つまりEU 以外)なんか人種差別されているようでとても不愉快だった。 〜〜〜 バンコックの空港で、 パスポートコントロールの長い列に並んでいたら、前の白人カップルに、国内 側の審査官が手招きしている。わたしも慌てて続いたら、お前は元の列に戻れ と言う。“あの人たちを通したんだから私もやってよ”とアピールしたら、 “お前は元の列に戻るんだ!”と命令調のきつい言い方をされた。ーーー手に パスポートを持っていたのでどこの国かは分かるはずなのだけど・・・すごく 不愉快だった。 〜〜〜 同じくバンコックの空港で チェックイン待ちの長い列に並んでいたら(1時間以上)、パンク風の若いイギ リス人カップル(鼻輪やへそ輪をしている、さらに口の周りにも1つ)だけを、 暇そうにしていた係官が親切にも空いているカウンターで先にチェックインさ せた。 あとで「何で特別扱いしてもらえたの」と聞いたら「私達にも分からない」と いう返事であった。東南アジアでも結構差別がある!! 〜〜〜 チェンマイ空港は更に無礼だった。 出国の長い列に並んでいたら、副のつく偉そうな人がこっちに来いといってい る。散々私のパスポートを眺めた挙句ポイと返してよこしたので、出国の判を 押してと言ったら、もう一度はじめから長い列に並べと非常に横柄な態度で言 い渡された――――。 タイの空港係官は、日本になにか恨みでもあるのだろうか? 〜〜〜 東南アジアでも結構差別がある! ラオスの首都ビエンチャンは、こじんまりした手頃な価格のフレンチ・レスト ランの多い美しい街だが、ウエイターは白人には甘く、日本人をなめている。 例1)合図をしても寄って来ないので「水がきていない!」「お勘定!」と叫 ばなければならなかったし、 例2)なんと、注文したものを一度に全部テーブルに並べた!?ひとつひとつ 持ってくる手間を省いたのだ――――。そしてさらにそれだけではないのだ。 例3)私が席を離れて、ラオスに駐在しているという日本人に事情を聞いてい たら、テーブルに戻らないと片付ける、とウエイターが言いにきた。その時、 レストラン内は空いていて、半分も席が埋まっていなかったのに・・・・。 ーーー日本ではこういうこと は報道されないが、現実である。 そのくせ欧米人達には、行儀悪く寝そべったり、足を椅子の上に投げ出したり と自由にさせ、注意する気配はない。ーーー東南アジアでも、白人優遇、アジ ア人蔑視らしい。----いや..もしかしたらチップの習慣のせいかもしれない。 欧米では、ウエイターは賃金が少ないのでチップで生活している。例2と例3 では、腹がたったので“No chip =チップなし!”と言明した。 日本にはチップの習慣がないので気をつけなければならないが、たくさん出し 過ぎてかえってバカにされていることも多い。----元凶は日本のガイドブック で、必ず多目に書いてある----。??あの情報の出元はどこなんだ?? ドイツに留学している息子を訪ねた夫婦が、息子さんから、くれぐもチップを 多く出し過ぎないように、ときつく念を押されたという話も聞いている。 もちろん、高級レストランや大金持ちは、それなりにたくさん出さなくてはな らないが、皮膚感覚で相場のチップを払えるようになったら、欧米生活に慣れ たといえるだろう。‥‥‥それにしても面倒くさいったらありやしない‥‥‥ ----私は密かに、欧米人は見栄っ張り、いいカッコしたがりで、それが慣習に なってしまったんだと思っている----。 英国が、国際機関で狙っていたポストを取れなかったとき、出資金を直ちに減 らしたと聞いた。国益に適っていると思う。むしろ、安全保障理事会にも入れ なかった日本が、国連の分担金を20%も払っているほうがおかしい。国連は 不良外交官も多いし、その贅沢振りも聞いている。 今の日本では、生活保護さえもらうのが大変なのに、外国への援助はしっかり した戦略もなくドンブリ勘定でばら撒いている。国益にもならず、感謝される こともなく、もらって当然という態度の国さえある。ねじれた敗戦コンプレッ クスのなせる業としか思えない。 !!日本は人口減で老人が増えるばかりなのに!! 国民健康保険代が払えず、健康保険証を取り上げられた人の数も増えているら しい。東京の板橋区では6千数百人もいるとか。板橋区は東京都の中でも老人 福祉が手厚いと評判だったのでショックだ。医者にいけずに手遅れになって死 んだ人もでている。老人ホームに入りたいが、ウェイティングリストが長くて 待たされている老人も多いと聞く。 ーーー日本人の安全ネットが崩れかけているーーー。 └────────── ┌──────────「onestoさん」 小学3年の夏休みに、疎開先で敗戦を知った。従って、生まれは戦前だが教育 は戦後教育を受けてきた。即ち、戦争はよくない、平和な国にしようという教 育である。だから、大東亜戦争はなぜ起きたのかという事については成人する まで知らずに過ごしてきた。 大東亜戦争が何故起きたのか。――――ひと言で言えば、日本の国益と欧米の 国益の衝突であったと思う。――――明治維新後、日本は急速に文明化し(日 本人の優秀性故だろう)アジア諸国との交易が必要となり、アジア諸国の独立 が必要となりアジアの経済ブロック化を目指した。 それが欧米との衝突となり、欧米は日本をへこませる必要があった。そして彼 らは日本に戦争を仕向けさせ、それに乗せられて真珠湾攻撃となったのであろ う。乗せられた日本も良くないが、それを仕向けた欧米諸国にも戦争の責任は ある。同罪である、と私は思う。 └────────── ┌──────────「日本のお姉さんから」 日本は、自衛の戦争をしたわけですが、戦争をしなくても切り抜けられたかど うか、分かりません――――。タイのように、フランスとイギリスの真ん中で 上手く独立を保てたかどうか疑問です。 日本は頑張り過ぎたのでしょうか?戦争になるように仕向けたほうも、仕向け られたほうも、両方悪いのでしょう。今後は、そういう戦争になりそうな状況 になったら、戦争をしないように相手の言いなりになるのでしょうか? そういう風に、日本は何でも言いなりになると外国に思わせるほうが危険だと 思います。ーーー今のところ日本は、全て外国のわがままに合わせて言いなり になっていますが、それでも戦争にならないほうがいいというのなら、しまい には日本民族は消えていくのかもしれません。 日本人は、自分の国があることと、自由と平等があるということのありがたみ を軽く考えているのかもしれません。 昔は、フィリピンはアメリカが、インドシナはフランス、インドとビルマはイ ギリス、インドネシアはオランダが支配し、ロシアがしきりに朝鮮やシナを狙 うなど、日本のまわりは貪欲な列強に囲まれていた。 日本も、弱ければいつ植民地にされるか分からない世の中だったから、強くな ろうと必死だった。アメリカは蒋介石のプロパガンダを信じていたし、満洲で の利権も日露戦争の時から欲しがっていたし、満洲やシナに宣教師を送ってい たから、天皇を敬い満洲で大発展している日本は叩いておくべき敵だったので しょう。 今でもブッシュ大統領は、昔の日本をアルカイダと同列に並べて、日本が世界 に自分の考えを押し付けたから戦争になったと演説しています。欧米がアジア でアジア人の人権を無視して搾取していたことは、忘れているようです。戦争 の前は、欧米諸国もアジアやアフリカに対して悪いことをしていたのです。 戦争が終わってからもまだ、アルジェリアなどで独立戦争は続いていたから、 西洋は、本当のところは植民地を手放したくはなかったのでしょうね! └──────────
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