日本のお姉さんのアジア! ――― by 日本のお姉さん
☆ インドネシアの独立と日本人 ―――――――――― 2007/07/30

1945年8月15日の天皇の「終戦の御詔勅」から半月後、9月2日にマッ
カーサー元師が日本に到着した――――。

日本が敗戦して直ぐに、以前の欧米宗主国が、日本に追い出されていた植民地
地域に再び乗り込んだけれど、そこで宗主国軍は、思わぬ民衆の抵抗を受ける
ことになった。

現在のインドネシアは、それまで340数年間オランダが支配していた。オラ
ンダの統治の仕方はイギリスとは違って、インドネシアの伝統的な建物を一掃
し、オランダ式の建物に変えてしまったこと。インドネシア人には義務教育を
受けさせなかった。島々にはそれぞれの言語が320以上あったが、共通語を
作らせなかった。

経済部門はすべて華僑に委ねた。インドネシア人の恨みや憎しみを華僑に向け
させ、オランダ人は高原の気候のよい場所で、御殿のような住居を作り一般の
インドネシア人から隔絶された場所に住んでいた。

オランダは、各地のスルタン(地元の王族)を使って支配した。インドネシア人
との混血児をたくさん作り、混血児を中間階級とした。警察や軍人はアンボン
人、ミナハサ人、バタック人を使った。

インドネシア人は、一切の会合を禁止された。3人ぐらいが路上で立ち話する
ことすら許されなかった。逆らえば厳重に処罰した。このようにして、オラン
ダは300年以上インドネシアを支配した。

インドネシア人も、1905年の日露戦争で、日本がロシアに勝ったことや、
1909年の青年トルコ党やパン・イスラム主義の反英革命や、1911年の
シナの辛亥革命をみて、東部ジャワのスラバヤの、ウマル・チョクロアミノト
という人が、1910年に、華僑だけにインドネシア経済を支配されるのは、
オランダに間接支配されることだと悟り、会員200万人のイスラム経済連盟
を作った。

オランダ総督府はこれが独立運動に繋がっていると気がつき弾圧したが、チョ
クロアミノトはインドネシアのあちこちで講演を行って独立気運を広めた。独
立インドネシアの初代大統領スカルノも、彼に才能をかわれて学費を出しても
らい大学まで出た。

スカルノは一時共産主義に洗脳され、1920年には共産党に入っていたが
1925年に国民党を作って党首になった。1926年には、共産党がクーデ
ターを起こしたが、オランダ総督府の軍隊によって鎮圧された。チョクロアミ
ノトを崇拝するモハメッド・ナチールがマシュミ党を作り、インドネシア建国
に貢献した。

1920年、オランダに留学した経験を持つハッタが、日本の協力を得て独立
しようという考えを持ち、戦争以前から同志を連れて訪日している。スカルノ
の同志タムリンも親日派で、スカルノとハッタとタムリンは、インドネシアの
独立に貢献した。

そんな時代に大東亜戦争が起った。

日本軍はジャワに入ると、あちこちにインドネシアの国旗となる赤と白の旗を
掲げ、インドネシア語を島々に普及させた。ラジオでは、インドネシアの国歌
となったインドネシアの歌を流し、「日本軍は征服者オランダを駆逐してイン
ドネシアの独立を助けるために来ました」と宣言した。

それまでにインドネシアは、日本軍がマレー沖でイギリス艦隊を破ったことも
聞いていたし、白い馬に乗った英雄が率いる神兵が来て独立を助けてくれると
いう伝説もあったので、インドネシアの住民は全員が日本軍に協力したのだ。
おかげで日本軍は、9日間でオランダ軍を破ることができた。

日本軍は「独立はみずから勝ち取るものだ」と教え、タンゲランに道場を作り
インドネシア人に軍事訓練を施した。インドネシア人は、翌年最初の50名の
学生がジャワ派遣軍原田熊吉中尉の応援で、PETAという祖国防衛義勇軍の
教師となってボゴールに移された。そこで軍事訓練が実施された。3万8千人
が将校となるべく訓練された。

日本軍は「兵補」という部隊も作り、数万人が日本兵と共に訓練を受けた。日
本軍は専門学校や大学を作り、十万人のエリートを養成した。オランダは35
0年間の支配のうちに、数千名しか教育していなかった。

日本が連合国のポツダム宣言を受け入れて降伏、停戦したあと、数百万の華僑
がオランダに味方し、独立を願うインドネシア人を襲ったが、日本人義勇軍は
日本に帰らずに、インドネシアの独立のために戦った。

1945年8月15日、インドネシアの独立志士13名がジャカルタに集結し
独立宣言の草案と武装闘争を協議した。そこに居合わせた金子智一氏は、連合
国軍がジャカルタに到着して日本側の重要人物を逮捕している最中にバンドン
に飛び、日本軍の武器、弾薬、宝石類をインドネシア独立軍に渡した。宝石は
売って軍用資金にするために役だった。ーーー金子智一氏はその後連合国軍に
逮捕された。

日本軍が猛訓練したPETAがインドネシア国軍の母胎となった。日本軍は反
共だったから、PETAの将校も反共だった。1948年に共産党がソ連主導
で起こしたクーデターも国軍が防ぎ、1965年に共産党がチャイナ主導で起
こしたクーデターもPETA育ちのスハルト将軍が粉砕した。

インドネシアが独立を宣言した後、イギリス軍とオランダ軍がインドネシア軍
を攻撃したが、日本軍が3年半の間に10万人を教育して、オランダ軍と戦う
基礎を作ったことがインドネシアの独立に役に立ったのだ、と当時のPETA
の将校たちに高く評価されている。

残留日本軍兵士と民間の日本人らが武器をとって、インドネシア人と共に命を
かけて独立のために戦った。スラバヤでの戦闘は凄烈なものだった。日本軍人
は常に先頭にたってイギリス・オランダ軍に向かっていったので犠牲も多かっ
た。日本人の戦死約400名。残留日本兵の話では約800名とも言われる。

部隊から離脱してインドネシアの独立を助けようと、日本に帰国する船に乗ら
なかったのは、スマトラで約500人、ジャワで約300人、軍属・民間人を
含めると、残留し独立戦争に参加した日本人は千人とも二千人ともいわれてい
る。

ジャカルタ郊外のカリバタ英雄墓地にも、インドネシアの独立戦争で戦死した
1800柱の勇士が祀られているが、日本人勇士も共に葬られている。独立後
内地に帰ったり病死した人を除けば、100人以上がそのままインドネシアに
留まった。

日本名を隠してイスラム名で通した人、貧乏を恥じて出てこない人も入れると
もっといたともいわれる。残留日本兵は、2007年6月11日に1人亡くな
られたので今では6人になった。

インドネシアでは、日本軍がインドネシアの労務者を使い、ビルマの鉄道敷設
に過酷な労働を強いたなどと宣伝する容共親中反日の華僑系のインドネシア人
もいる。そこに使われたレールは、インドネシアの鉄道のレールを外して持っ
ていったものであるが、インドネシアにとっては、日本とビルマは同盟関係に
あるのだから、それぐらいの援助は当然だと当時のインドネシア人は思ってい
たそうだ。

しかし日本の敗戦間近になると、日本軍もイギリス・オランダの捕虜も、イン
ドネシア人の労務者も、飢餓状態で悲惨なものだった。ジャワの労務者の生き
残りは、そのまま日本の敗戦後もビルマから帰れず、苦しい生活をしていたそ
うだ。

インドネシアの残留日本兵も、戦後帰るチャンスがあったものの、そのままイ
ンドネシアに残った人は、貧しい生活を続ける者が多かったそうだ。

オランダや英国は、日本が敗戦したあと、インドネシアやマレーシアで3年も
かけて現地人を、あらゆる非人道的手段で、女・子供も容赦なく捕らえて拷問
にかけたり虐殺したりした。――――今の日本人が抱いている、アジアにおけ
る日本軍のイメージは戦勝国が押しつけたもので、当時アジアで行われていた
各植民地宗主国の悪行は、歴史から巧妙に隠されている。

日本の敗戦後、インドネシアで連合軍は、国際法に反して元日本兵のみならず
日本の民間人にも強制労働を課した。インパール作戦で日本軍と共にイギリス
軍と戦ったインド国民軍の兵士達が、戦後、イギリスに対する反逆の懲罰とし
てインドネシアに送られ日本人強制労働の監視をさせられたが、インド人は日
本人捕虜に対し、共にインド独立のため戦った戦友として扱い親切に接した。

そればかりか、インド兵も次々と脱走してインドネシア独立運動に加わったた
め、イギリスはインド兵をインドへ戻さざるを得なかった。

天皇の「終戦の御詔勅」の中に、『東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ
意ヲ表セサルヲ得ズ』という言葉があるが、インドネシアの独立を信じて現地
民衆を激励してきた日本兵としては、最後までインドネシアを助け独立を見届
けるのが正しいとして、異国の地で命を落とした人が少なからずいたのも事実
だ。

欧米の宗主国からみれば、日本が彼らの植民地であるアジアを侵略したという
ことになろうが、それだけなら、なぜ、インドネシア人は日本軍に協力したり
戦後も日本に好意的だったのだろうか。

華僑系インドネシア人は、日本軍を悪く伝えるマンガ本を発行したりしている
し、今でも日本のイメージを損なう工作を進めているようだが、華僑は欧米宗
主国の手先となって植民地経済を牛耳り、隷属化を手助けしていたのだ。

マレーでも日本軍に敵対的で、しばしば華僑グループが日本軍を襲ってきたと
いう。親日の華僑もいたが、日本が敗戦した後は彼らの運命は悲惨なものだっ
たようだ。

日本は3年半の間、無謀で無計画で悲惨な大東亜戦争を戦い、アジアを侵略し
た悪い国だ、と反日日本人や反日外国人はいっているが、その前に欧米列強が
数百年間アジアを侵略支配していたことはなぜ一言半句も触れないのだろう。

欧米列強はアジアやアフリカを植民地として永遠に支配しようとしていたのだ
し、戦後になってさえ、長い間アジア・アフリカの各地では独立を勝ちとろう
と苦労していたのだ。そんな当時の世界で、たった一国、日本だけが欧米列強
に戦いを挑んだのだということも、たまには考えてほしいものだ。

日本はアメリカとの戦争には敗れたが、アジアやアフリカの国々が次々と独立
する引鉄の役を果たしたこと、そしてインドネシアの危機やタイの通貨危機の
際には援助する役も果たしてきた。――――そうした事実を忘れずにいてほし
いが、軍事的に弱いアジアの国々が、年々軍拡を進める強いチャイナに逆らえ
ず、経済援助や恫喝に従うだけになっている現実も注視してほしい。

日本は、アジアではチャイナの軍事力にただ一国、アメリカの助けを借りれば
なんとか対抗できる国だ。軍事力なしで、アジアの平和や世界の平和に口をは
さむ事はできない。軍事力なしでは、やられたらやりかえすことも、侵略者を
追い返すこともできないではないか。

アジアの国々には、日本は憲法九条というベビーベッドで寝ている赤ん坊のよ
うな、無責任で頼りにならない国に見えているのではないか。もう少し、自衛
のためだけではなく、アジア全体のためにも、日本は責任ある立場をとれるよ
うに強くなるべきなのではないか。

このままではアジアのリーダー的立場は、自然にチャイナがものにするだろう
し、アメリカが干渉してくれなければ、日本だって仕方なくチャイナに合わせ
るような時代が来かかっているのだ。

日本は、世界で一番強くて一番道徳的な国と同盟していれば安泰だが、チャイ
ナの自国民に対する態度からみて、人権無視の共産国チャイナが、今後、道徳
的になる可能性はあまり期待できない。

日本は、自衛のためにもチャイナに負けない軍事力を持ち、道徳的にもチャイ
ナをリードするべき立場にいるはずだが、日本は何のアドバイスも警告もせず
逆に内政干渉をされる始末だ。援助金にも、見返りも感謝の言葉も一切ないど
ころか、20年間チャイナは自国民に反日教育を施してきた。

しかも、これからの日本は、チャイナの公害や棄民政策の尻ぬぐいまでさせら
れそうだ。――――昔の日本が悪かったといわれて反省ばかりして縮こまって
いないで、もう少し積極的にアジアのリーダーシップをとるべき時期に来たの
ではないか。何もしないでいることが、平和を創り出すのではないだろう。

日本には、チャイナにも強く意見が言えるようになってもらいたい。
侮られていては、意見を言っても相手は検討もしてくれないだろうーーー。

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―― 参考1: http://sarah.iza.ne.jp/blog/entry/194012/

日本の敗戦後、インドネシアに残って対オランダ独立戦争を戦った元残留日本
兵の藤山秀雄さんが、11日、ジャカルタ市内の病院で85歳で亡くなった。
元兵士の互助会「福祉友の会」によると、同国で生存する残留日本兵はこれで
6人になった。

戦後、インドネシアの独立闘争に共感して義勇軍に加わった元日本兵は、約1
000人いたとされるが、多くがゲリラ戦で死亡した。佐賀県出身の藤山さん
は、独立戦争後、インドネシア人女性と結婚。整備兵だった知識を生かして自
動車整備で生計をたてた。葬儀は13日午前、カリバタ国立英雄墓地で執り行
われる。

―― 参考2:「アジアに生きる大東亜戦争」昭和63年10月初版
   ASEANセンタ−編 展転社刊

――参考3:中共スパイ活動:経済改革後、海外に設立した会社で情報活動
  =政治評論家【大紀元日本07月25日】

中国共産党(中共)指揮の下、海外でスパイ活動を行っている組織が国際社会の
広範囲において注目されている。

政治評論家・林保華氏はこのほど「希望の声」ラジオ放送取材で、中共の外交
・情報・統一戦線のスパイ活動は三位一体で、中国領事館は海外華人を使った
スパイ活動以外に、80年代に始まった経済改革後、海外に会社を設立し領事
館指揮の下、華僑や外国人に対し統一戦線や情報収集を行ったことを明らかに
した。

林氏は中共駐在外使館が海外の中国人を使ってスパイ活動していることについ
て語った。彼がインドネシアの華僑中学校に通っていた時、学校の教師はすで
に地下の党員として吸収されていたという。
林氏:彼らは毎週土曜の晩に領事館に集まり、対外的には映画鑑賞とされてい
たが、私はのちに、彼らは皆党組織として生活をし、中共の指令を受けインド
ネシアにおいてどのように統一戦線を展開するかを指導しており、そこには国
家転覆も含まれていたということに気づいた。

彼はさらに、「私の情報と外交人生」という本の著者・熊向暉は、統一戦線部
次長と国安部次長を歴任、さらに経済改革後は中国国際信託公司副理事長に就
任。海外における中国会社組織においてスパイ活動に従事し続けていたと話し
ている。
林氏:これら経済組織は、表面上海外投資目的とされていたが、事実上はスパ
イ活動をしており、それは彼らの重要な任務の一つであった。

このように、私たちの知っている中国外交事務機構は、実際には中国領事館指
導のもと統一され、華僑、さらには米国人に対する情報収集が行われていた。
米連邦調査局(FBI)は最近、サンフランシスコの多くの華人向け新聞雑誌に
華人社会に入り込んでいるスパイを見つけ出す人員募集広告を載せたことで、
国際上の広い範囲で注目を集めた。

分析家によれば、中共は国家安全部などの専業情報機構以外にも、すべての外
交関連部に情報任務が課せられているという。中共統一戦線部、宣伝部、外交
関連部およびそれらに属する部門――新華社、民衆日報社、全国僑連と外交友
協などもそれにあたる。

―― 参考4:(ジャカルタ共同)

対インドネシア円借款、累積額は4兆円を超え供与対象国中で最大。

スハルト長期政権下で、1970年代に始まった水力発電、アルミ精錬などの
大型開発やインフラ整備を支えてきた。97年のアジア通貨危機と、98年の
同政権崩壊による混乱期に減少したが年間1千億円規模の供与が続いている。

インドネシア政府は、今年1月、日本が主導的な役割を果たしてきたインドネ
シア支援国会合の解散を突然決定。支援調整の枠組みがその後決まっておらず
対インドネシア支援は転機にある。
http://www.toonippo.co.jp/news_hyakka/hyakka2007/0322_5.html

―― 参考5:(7/5)中国外相とインドネシア大統領、エネルギー分野で合意
  【ジャカルタ=代慶達也】

インドネシアのユドヨノ大統領は5日、ジャカルタを訪問中の中国の楊外相と
会談した。両者は電力などエネルギー開発の分野で関係を強化するほか、中国
がインドネシアに技術支援することで合意した。北朝鮮訪問を検討しているユ
ドヨノ大統領は、楊外相と6カ国協議の開催時期についても意見交換したとみ
られる。

楊氏は外相就任後、東南アジア地域では初めてインドネシアを訪問した。同外
相は「インドネシアは域内の大国であり、国連安全保障理事会非常任理事国と
して重要な役割を担っている」と強調した。

                        = この稿おわり =
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