日本のお姉さんのアジア! ――― by 日本のお姉さん
☆ 東洋のキリシタンと近代史の絡み ―――――――― 2007/04/23

日本では天文12(1543)年に、鹿児島県の種子島に漂着した明の船に乗っ
ていたポルトガル人が、初めて鉄砲を日本に持ち込んだとされている。(スペ
インのイエズス会の記録では1542年)

明の儒生が通訳として、筆談で種子島の領主と会話をし、鉄砲の実演をした。
そのとき島主は、娘二人を奴隷として差し出し、鉄砲2丁と交換したそうだ。

種子島にいた堺の商人と和歌山の僧が鉄砲を本土に持ち帰って、足利将軍家に
献上されてから鉄砲が日本で広まることになった。15世紀、明は日本と貿易
をしていなかった。倭寇が私的な貿易を行っていた。火縄式の銃は、種子島に
入る以前から日本に入っていたらしい。

16世紀の日本は戦国時代だった。堺の鉄砲鍛冶が優秀だったおかげで、あっ
という間に日本の鉄砲生産は世界一となり、性能も世界一となった。銃は主に
オスマントルコ帝国に輸出されていた。最初は火縄銃だったが、間もなく銃と
火薬を一体化させ、すぐ装填できるように改良された。

鉄砲を上手に利用してのしあがった織田信長は、ポルトガルの宣教師ルイス・
フロレスに好意的で、キリスト教布教を黙認した。

フランシスコ・ザビエルは、日本の文化や風習に配慮した布教を行った。ザビ
エルは必ずその地の大名と会見し、宣教の許可をもらってから布教を行った。
ザビエルは更にチャイナでも宣教しようとして、ポルトガル船の停留地であっ
たマカオ西方の上川島に渡り、そこで死んだ。

その後、スペイン系の宣教師が来日した。フランシスコ会や、フィリピンから
きたドミニコ会など、日本文化を大切にしない布教法をとる宣教師たちが来日
した。信長は、ポルトガルと南蛮貿易をするために、彼らも商売に利用できる
と考えた。

日本では昔から人買いという業があり、奴隷売買は行われていたが、1540
年代の後半から、一部の戦国大名たちは、銃や火薬と交換に捕虜となった日本
人を奴隷として売り飛ばすようになった。

奴隷売買には宣教師の関与が疑われた。心ある宣教師は、大名達が奴隷を売り
たがるのに驚き呆れ、布教の害になるので奴隷を売らないようにという手紙を
書いている。

天正10(1582)年、遣欧少年使節団がローマへ行った時、使節団の少年た
ちは、各地で日本人が奴隷市場で安い値で売られ、動物のように使われている
さまを目にした。ポルトガルやアルゼンチンなど各地で、日本人が奴隷となっ
ているのを目にした少年たちは、同胞を外国に売る日本人に対して怒りを覚え
たと記録にある。

一部の日本人女性は、性の奴隷としてアフリカにも売られていた。色白の美し
い日本女性が、恥ずかしいところまで顕わにされて、性の奴隷として売られて
いく様を見て少年たちは嘆いている。

豊臣秀吉は、九州統一直後、博多の耶蘇会リーダーのガスパール・コレヒヨに
何故ポルトガルは布教にそんなにも熱心で、日本人を買って奴隷として売るの
かと厳しく難詰したらしい。当時マニラとアカプルコも、1560年から奴隷
貿易行路になっていたようで、宣教師が黒人奴隷を連れてきた。

ガスパール・コレヒヨは、元々宣教師ではなかったが、日本で宣教師として働
き、土地を購入したり、戦艦を2隻用意して秀吉に中の様子を見せた。宣教師
仲間は、戦艦を秀吉に贈り物にするようにコレヒヨに勧めたが、コレヒヨはそ
うしなかった。

案の定秀吉は、コレヒヨから戦艦を見せられた後直ぐに伴天連[バテレン]追放
令を出している。大名が神社仏閣を壊すことを禁じたり、奴隷の売買を禁じる
命令だった。天正15(1587)年だった。

慶長元(1596)年に、サン=フェリペ号が遭難して四国土佐国に流れ着いた
時、秀吉は部下を派遣して所持品を全て没収したが、そのときスペイン人航海
士が、「イスパニアが広大な領土を獲得したのは、キリスト教の布教と宣教師
の手引きによるものだ」と告げた。その言葉にも秀吉に驚き、再度の禁教令が
下された。

秀吉は京、大阪で、フランシスコ会系の24人のキリシタンを捕らえ、2人を
追加し、日本人キリシタン20人、スペイン人4人、メキシコ人1人、ポルト
ガル人1人を長崎で処刑した。

秀吉が明国征服を掲げて朝鮮半島に攻めていったのはこのような時期だった。
朝鮮人を日本に連れてきて、奴隷としてポルトガル商人に売り渡していた日本
人もいた。

徳川家康は武器の輸出を禁止した。1600年にオランダ船が漂着し、イギリ
ス人航海士が家康に仕えるようになった。1612年に自称キリシタン同士の
ワイロがらみの領土問題が起こり、家康は二人を処罰し、翌年からキリシタン
を迫害しだす。ーーー1619年京都で52人、1622年長崎で55人、1
623年江戸で55名を処刑。

1637年には、肥前の島原と天草で百姓3万人が島原の乱を起こした。

藩主が過酷な税を取り立て、百姓たちが生きていけない状態だったので、乱後
藩主はそれぞれ斬首、自害の刑にされたが、百姓たちにキリシタンが多かった
ことから家康は危機感を持ち、1639年に鎖国令を出した。

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ペリー来航によって日本は鎖国を解き、1858年、日米修好通商条約、日仏
修好通商条約が交わされ、1864年にフランス人のために長崎に大浦天主堂
が建設された。

2年後、浦上村に隠れキリシタンがいたと分かり、幕府が捕まえて拷問した。
浦上のキリシタンは4度も迫害に遭い、その度に拷問された。プロシア公使、
フランス領事、ポルトガル公使、アメリカ公使、フランス公使らが、大阪城で
将軍慶喜に抗議した。

1868年に迫害は止んだが、慶応4年になると、再度キリスト教が禁止され
た。次の日に英国公使が大隈重信に会って抗議するが、隠れキリシタン114
人が流刑にされ、流刑先で水責め火責めの拷問を受けた。

岩倉使節団が、英国女王にキリシタンへの宗教迫害を責められ、日本が外国に
不平等条約を改正してもらえない理由はキリシタン迫害であったと気が付いた
が、国内では保守派が「日本には日本の宗教がある!」「迫害を止めても不平
等条約は改正されるものか!」と反対し、
一般の日本人にはキリシタンは邪宗だという考えが浸透していたため、国内の
反対にあって簡単に改正できなかった。

明治6(1873)年になって浦上天主堂が建設され、流刑になっていた339
4人のキリシタンも釈放されたが、その内662人は拷問で死んでいた。

1889年には大日本帝国憲法が成立し、信仰の自由が一部制限された。18
90年には天皇が教育勅語で神とされ、日本のプロテスタント系キリスト教会
とカトリック教会は、いろんな教派をまとめて合併し、それぞれ戦争に協力す
るよう国から命令された。

1931年、満州事変が起きた頃には、天皇を拝まないキリスト教会のホーリ
ネス系教団は、迫害されて殺された人もいた。あるキリスト教系女学院の記録
によると、皇居に向かって礼をするように強制されたが、天皇の写真に向かっ
て拝礼するようには強制されなかったようだ。

朝鮮半島では、天皇の写真に拝礼しないクリスチャンは、殺されたり酷い拷問
を受けた。支那では、1860年から1870年まで、キリスト教の宣教師と
クリスチャンになった支那人が、一般の支那人から迫害されて殺されたりしな
がらも細々と布教活動をしていたが、1911年の辛亥革命の後、中華民国に
なってからアメリカ人の若い宣教師たちが大勢支那に入った。

1915年に日本が支那に21ヶ条の不平等条約を認めさせたが、日本は宣教
師や外国人には何もしなかったので、彼らは支那や満州で1945年まで布教
活動を続けた。宣教師たちは、支那人や満人の日本軍に関する不満の手紙を、
1千通もリットン調査団に渡すなどして満人の味方をした。

南京攻防戦では、宣教師は支那の訴えをアメリカ政府に伝えたが、実際に目撃
した事例は一回しかなかった、と東京裁判では正直に証言している。

蒋介石は、妻がアメリカ留学の経験があるクリスチャンだったので、妻の影響
で自分もクリスチャンになったと公言してアメリカの歓心をかったが、台湾で
大勢の知識人を殺した事実からすると、ポーズだけだったようだ。

蒋介石の妻は、あちこちの教会で講演して、日本は天皇を神として拝む蛮人の
国であり、支那は日本に侵略されたかわいそうな国なので、アメリカは支那を
助けるべきだというイメージを植え付けるのに成功した。

実際には、満州はロシアが実効支配していた土地であり、清国は自由に入るこ
ともできなかった地域で、日露戦争でロシアに勝った日本が正式にロシアから
南満州鉄道の権利を譲り受けた地域であり、支那の領土は万里の長城の南側だ
けであり、北側の満州は支那の土地ではなかったのだ。

当時の支那は多くの軍閥が割拠して争っている状況で、治安が保たれていた場
所は、外国が管理している租界か満州しかなく、大勢の支那人が満洲に移住し
てきた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

蒋介石は、数多くの合成写真を作らせ、写真によって日本が極悪非道な国であ
るとのイメージをアメリカ人の心に植え付けた。線路の上で泣いている支那の
子供の写真は多くのアメリカ人の心を打ったが、別の写真では支那人が子供を
わざわざ運んで線路に置いている様子が写っている。----ヤラセ写真なのだ。

上海で日本人居留民を襲ったのは支那人である。飛行機で外国人居住区を爆撃
したのも支那軍であるが、日本軍のせいにされた。ーーー満州で何が起こって
も西洋やアメリカが気にしないので、蒋介石は常日頃から、上海で日本を攻撃
しないとダメだと語っていた。

上海では日本人が殺されため、今でいえば日本の警察では守りきれず、大勢の
日本人被害者を出した後で、ついに日本は軍を送ることになった。日本軍は上
海から蒋介石(国民政府=国府)軍を追い払い、先鋒部隊は当時の支那の首都の
南京へ向かい、そこを占領した。

南京市内に入る目前の丘では、大勢の日本軍兵士が戦闘によって支那軍に殺さ
れた。また、南京の城壁の外側の穴の中には、大勢の支那兵が縛られていた。
敵前逃亡しないようにと味方から縛られたのだ。この穴の中で死んだ支那兵を
日本軍が埋葬した事が支那によって悪くアメリカに喧伝された。

戦闘が終ってから、民間人の服を着て民間人に紛れ込んでいた支那兵が処刑さ
れた。――――軍服を捨てて民間人の服を着て戦う者はゲリラであり、捕まっ
ても捕虜とはされない。一人で歩いている日本兵は、一般人の服を着た支那兵
に撃たれて殺されたそうだから日本軍はゲリラを掃討する必要があった。そう
しておかなければ、次に来る日本軍兵が殺されるからだ。それが戦争だ。

しかし、こうした捏造された日本の悪口を聞かされて、多くのアメリカ人は支
那に同情した。アメリカ人にとっては、支那は多くのアメリカ人宣教師を抱え
る大切な国だったのだろう。

キリシタン大名の奴隷売買を、すべて宣教師のせいにして、日本は宗教弾圧を
していないなどと言わないほうがいい。ーーー火薬が欲しくて同胞を外国へ売
り渡したのは日本の大名だったのだ。

当時は、西洋では奴隷売買が当たり前だったので、宣教師の中には平気で黒人
奴隷を日本に連れてきた者もいた。商売するのだけが目的で日本に入った悪い
宣教師もいた。秀吉はそれなりに危機感を感じて行動したのだが、

江戸時代や明治になってからも、日本はキリシタンの信仰を弾圧し、拷問を加
えて殺していたのだ――――。

~~~~~~~~
池本幸三/布留川正博/下山晃共著:人文書院
『近代世界と奴隷制―大西洋システムの中で』

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